ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

心に深く刻まれる思い出の旅、モロッコへの旅4

昔の日記を読み返して、旅の記憶が蘇る。

まだ書き終わっていなかった旅日記があったので、思い出しながら書いてみますねー。


ロッコへの旅は今考えても感慨深いものでした。


まず、当時の私はかなり旅に慣れていて、ただのツーリストのようにお金払ってなんでもテイク、テイク、テイクする旅はしたく無い。

ギブアントテイクのギブを現地の人に旅の中でしたかったという。

 


あの時の私は、今の彼と自主避難先の沖縄で出会って、う〜〜〜〜んフランスか〜どうしようか〜〜〜今は日本が良いんだけど、と思っていた所。

まあとりあえず相手の生活をちゃんと見てみないとね〜〜。結婚する前は両目を見開いて相手を見て、結婚してからは片目をつぶって相手を見る。なんかそんな文を何処かで読んで、そうだよねって。




彼の為にフランスに行くというよりも、本当にこの人で良いのか相手を見極める為にフランスに行ったんですね。


だから、まだ心に迷いがある。

それでパリでの滞在90日のシェンゲンが過ぎ、とりあえずモロッコへ出国して

またパリへ戻ろうと。。。。今ではよく言われるビザランという感じでしょうか。


本当はたったの一週間の予定だったんですよ。震災以来ストレスが溜まっていたのか、自然の中での生活や子供達や動物たちと触れ合う日常に出会って

物凄く解放されてね、まあ沖縄の島々の美しい光輝く海にかなり癒されていたのですが。



それにモロッコの山の生活って私が体験したことのない昔ながらの生活を間近で見て、物凄く感動したのです。



 









その時に身を任せて進んでいくフローな生活というのは、日常も旅もそうなんですが、その時必要なものが目の前に現れてくれる。そういう気がします。


多分、沖縄でこの今の彼に出会ったのも、その時私が必要な人が目の前に現れてしまったのだったかもしれないし。

 

こういう旅になったのも、私に必要なものが現れたという感じです。





そんなこんなで、続きを書きますね〜。


halloo.hatenablog.com

halloo.hatenablog.com

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何が必要なのかとこの言葉でのコミュニケーションが出来ない子供達を観察して、してあげているうちに、

特に仲良くなった子供のお家から招待を受けたのです。この家族はほとんどツーリストとは接点のないお宅。


家族全体で羊飼い、そしてお父さんは土建屋さんで働いています。

最初は躊躇していたのですが、思い切って泊まってみることに。


居間だけにお邪魔しているときはそんなに分からなかったのですが、奥の寝室の隣はなんと山羊小屋!ついでに窓が付いていて、山羊小屋の様子が寝室から見えるんです。と言うことは、山羊小屋の空気が寝室にも漂ってきている。30匹いるって書いてありますね、山羊小屋の中でフンももちろんしている!

ものすご〜く臭い。。。


この臭さの中で、寝るってね。本当〜〜に大変だった。最初の3日間はなかなか臭くて寝れ無いし、夜中に臭さで目が覚めてしまう。


でもとうとうたった三日目めっちゃ眠いし、臭さにも慣れぐっすり眠れるように。

子供達と母親と同じ部屋でみんなで雑魚寝です。お父さんは一人だけ隣の居間で寝ています。

居間には木の棒でロックしただけのちゃんとした鍵の無い玄関もあって、お父さんが居間で寝てると言うのは何か守ってくれている感じでとても安心感がある。

 

こう言う山の中って夜怖いんです。街灯はないし、家も点々と建っているだけだし、外で何か動物が歩いている音とかもする。


お父さんは力仕事をするので一人でぐっすり眠ることもできるし、多分たまにお母さんと夜の営みも子供達と離れているので確保できるし、

 

山羊小屋の様子もわかるので、山羊泥棒とかそういうのが来ても直ぐに分かるし、

なかなか合理的だなあと思いました。




つづく。。。






 

 

 

タイへの旅3。タイに住む日本人の不安。。。

今回は大分シリアスな話で、原発にも関係がある話。


まず、タイに住む日本人の人口は原発事故後右肩上がりで一気に上がりました。


タイには原発は無く、当時自主避難の人たちは一部タイにも渡ったと記事で読んだ事があります。


私は実は子供を持つお母さんの自主避難者の会に九州で出席した事があり、かなり沢山の方が自分の判断で、お母さんと子供だけで旦那さんや家族の反対を押し切り、避難していた方が沢山いました。



九州、沖縄では母子のみの避難でしたが、
バンコクには日本人用の現地採用の仕事があるので、家族での自主避難も可能ですね。

お父さんも合意した人たちは
タイにも渡ったんだろうと想像できます。





私はたまたま2度だけなんですが、日本人がよく来る日本食系のレストランで小耳にした話、隣のテーブルで大きな声で、話し相手に話している。多分周りに聞かれても良いと思ってたのかな。

多分、原発から8年が過ぎ、一通り気持ちの整理がつき、思っていることが素直に言葉に出て来る時期が来たのかなあと思います。


その日本人二人共、この先日本が原発事故のおかげで、もう日本には人が居なくなって、国として成り立たなくなっていくという内容。かなり内容が悲劇的な感じなのでここでは細かいことは書きませんが。



私は、それを聴いて、ああこれは多分、外国に自主避難に来ている人々に同じ思いの人が少なからずいるのだろう。

将来の不安と、日本に対する愛慕の念と愛憎、特にネット上で極端な記事を読んでいるんだろうなあと。私は思いました。






私はヨーロッパに住むようになって、色んな地域のチェルノブイリ事故の汚染にあった人から直接話を聞く事がありました。そしてその地域に偶然足を運ぶことになって、本人から直接話を聞く事もありました。

そしてチェルノブイリに汚染され、(国は絶対に認めませんが)プラス原発の少なからず汚染水を絶えず河川に流しているフランスに住んでいて。


日本がそこまで酷くなる事はありません。

ただ医療費が膨大になる事は確かだと思います。



フランスと日本の原発を取り巻く状況はとても似ています。

 

 

 

フランスのチェルノブイリ汚染での最初のインパクト(フランス政府は認めません)とプラス日頃の50機以上ある原発から超低汚染水がダラダラ川(日本は海ですが、フランスは何と川なんです。もちろん汚染除去装置を通した後の超低汚染水ですが100%綺麗になるという事は有りません)に流されている状況が続いていると言う点では、


福島の事故がまだ収束していない日本とフランスの状況がとても似ていると思います。






日本の福島の原発事故のレベルはこの先、東日本に持病を持つ人が増えることは確かだと思います。持病というのはいろんなレベルで、自分では病気とも思わない事もある。
例えば耳鳴りとか、筋肉の痙攣とか、アレルギー体質に変化するとか。アレルギーで食べられないものが出て来るとか。
そして妊娠しづらい人が増える可能性があるという事は言えると思いますが、

 

発達した医療のおかげで、いろいろな最悪の状況は防げます。




福島の事故だけで、この先日本がおかしてくなっていくという事は無いと思います。

もちろん、何十年も前から言われている少子化で、日本の人口は少なくなって行く事は確かですが。。。。。



実際に、コルシカ島や北イタリア、トランスシルバニアなどルーマニアで自然の循環ので低汚染されたものを定期的に食べ、長い時間をかけて、ガンなどの病気になっている一部の人は居ます。
なので、私は福島の人たちに山の季節の食材は決っつしって食べないでいて欲しいと願っていますが。





が、それでもみんな頑張って生きています。全体的に見ると様々な病気にかかっている人でも子供は出来ているし、手術する事になって体が元に戻る事はなくても、医療のおかげでというのと本人の頑張りで今まで以上に活き活きと生きている。

 

子宮周辺の手術を3度もした私の彼の妹は三人の子宝に恵まれました。

 

一人目だけが、超早産でかなり小さい状況で長い間カプセルの中に入っていましたが、二人目からは普通出産でした。出産というのは一番強力なデトックスらしいです。

そして、コルシカよりも汚染の酷いルーマニアトランシルバニアに住む彼のいとこのお嫁さんは、かなり体が弱く、事故の時は3歳ぐらいで、20歳頃から急に深刻に体が弱くなってしまったのですが、一人目は中々出来なく妊娠しても育たなかったりで、かなり絶望的な感じでしたが、私が訪れた時は、そういう悲しい話ばかりでしたが。。でもまだ結婚したのが早かったのが幸いして、3年半前30過ぎで、不妊治療の末待望の一人目が生まれ、去年は二人目が生まれました。

本当に、発病してしまった人にこんなことを言うのはなんですが、医療のおかげで、苦しみながらも皆んな頑張って普通以上の日常生活を送っています。

 

 

病気になって、何か力のようなものが湧いて来ると言う感じでしょうか。人間は逆境に強いです。実際に持病を持つ人々は、精力的に動いている人が多いです。私が直接知る比較的病状がはっきりしているコルシカの人、フランスの田舎からパリに来た人、ルーマニアの人、それから北イタリアの人全てです。
なんと無く病気なのかな不安程度の人は、残念ながらその不安の中に生きていますが。。。


数年前、日本でも今までほとんど保険が下りなかった不妊治療に保険が下りるようになりましたね。


この先、
医療費が膨大になる事は確かですが、(歳を取った人々にかかる分と、原発事故のせいです)


現代医療のおかげで、日本はその福島事故のせいで傾いていくという事は無いです。


フランスの首相が事故後日本に首脳に会いに何回か来ていますよね。



あれは、フランスの原発の対策を日本に教えるためにやってきたと思います。


フランスは国としては絶対に認めませんが、チェルノブイリ汚染や原発導入後どの地域で病気が増えていったか、今までのデータの蓄積があると思いますよ。





少子化に拍車がかかっている事はもう何十年も前から同じですが、ようやく重い腰を起こし、

ようやく莫大な価格の不妊治療に保険が下りると言う決定を下したのはフランスの影響だと思います。


フランスには体外授精で出来た子供たちが物凄く沢山います。

お母さんの負担はものすごい高いので、躊躇する人もいますが、


自分が子供が出来にくいと思ったら、35歳ぐらいだったら本気で治療を始めて、40近くになっても出来なかったら体外受精までも視野に考えた方がいいですよ。

もちろん、30代で医療に抵抗がある場合には運動をしたり、漢方とか、固定種や在来種の自然農の野菜を食べるなどの自然な方法もいいと思いますが。男性も含めてね。最近は男女の不妊の原因はほぼ半々と言われています。

それからついでですが、子供が欲しいと思っている人は30代で何とか相手を見つけてくださいね!
















タイへの旅2 。タイ人の興味深いオルタナ生活

今回何と5回目のパンガン島、住む人々を知ると面白いなあ〜〜感心するなあ〜〜と思った事があるんですよ。

特にタイ人!


パンガン島は何となく昔私が好きだったベルリンに似ているんですよ。

集まっている外国人たちは。
自分の馴れ親しんだ所から抜け出して、自分の国のシステムから抜け出して、好きなものを追求したり、嫌なものから逃れる為に、どうにかこうにか生活する活路を見出していく。そして同じような境遇の仲間を見つけやすい。やはり仲間がいる居ないとではね。それでそこで数年過ごして、国へ帰ったり、ガッツリそこで根を生やしたりする。

 

 

まあ海外に出るだけじゃ無く、日本国内でも、大都市圏から田舎へ移住し、
同じ境遇の仲間がいると、心を通わすものですね。


 

 

パンガン島には私は住んでいないので、いたって傍観者ですが。







さてさて、今日のタイトルの興味深いタイ人のオルタナ生活。


タイ人も外国人と同様、タイ本土からコパンガン へ出稼ぎにやって来る人が多い。

パンガンに元々住む人は家賃も払わないし、家族全員が個々で稼いで、一緒に生活するので生活が全然違う。



書類関係は外国人とは違いますが、出稼ぎのタイ人はコパンガン ではもちろんそういう頼る人がいない。

 


外国人も含め長く居る人は本気&ある種の技術がないと要られませんから。
めちゃくちゃパンガン島のレストランのレベルは高いし、売っているものだって
すごく面白いし、安いしで実は激戦地区なんですね。それにミャンマーから出稼ぎに来る安い賃金で働く人もいるし、そんな激戦地区の中で、出稼ぎに来たタイ人だって生き残っていかないといけない。先進国から来た人なら国へ帰ってってまた稼いでやってくるって事が出来るけど、タイ人はそれは出来ないんだよ。


 

 

 

 

パンガン島で、私たちが通いつめているあるスコータイからやって来たタイ人夫婦が経営するバーがあります。

レストランとバーとライブ音楽用のステージがあるのですが。

 





まず、この夫婦、奥さんがレストランをほぼ一人で切り盛り。レストランと言っていますが、シンプルなタイ飯の食堂。

旦那さんは、自分の店のステージの音響やパソコン周辺機械系のエンジニア兼キーボードニストでレゲエバンドでもプロとして演奏しています。



本当にこんな事を言っては何ですが、その食堂のタイ料理は基本中の基本でタイ人なら誰でも作れそうなレベル。。。。もうタイ飯に慣れると、あまり美味しいとは言えない。
それからプロのキーボードニスト、やはり音楽だけで食べていくのは大変。夫婦はもう40代だし。子供はデジタルデザインを勉強しているので、これからどんどん学費は高くなるはコンピューター関係でお金はかかるは。

 

 

もう5回も通うと、奥さんが着いたその日から、内情やいろんな問題をとくとくと私に語ってくる。

 

 

中々興味深い話でした。





パンガン島にはプロのタイ人ミュージシャンが結構いる。
それも、タイ本土に家族を残して出稼ぎに来ている。中には子供が三人もいるのに
本土に妻と子供を残し、出稼ぎで演奏をしているプロのミュージシャンも。




まずあるレゲエミュージシャングループ。プロのミュージシャン仲間それぞれバンドを掛け持ちしたり10人ぐらいいる。

その中で、自分のお店をもっている人が4人くらい。自分の仲間内の4件のバーやレストランを順繰り順繰り演奏する。

 

お互いにお互いのお店の店で演奏して、やはり生演奏があると客の入りは増えるのでバーとしての収入は増えるし、ミュージシャンとしても収入になる。

 

だから2度美味しい。友達の店で演奏しても、ちゃんと演奏料をもらえる。


たまに他の関係ない店やイベントからも声がかかってね。
それで、毎日そのレゲエバンドは週6で演奏している。

 

週6で本番の演奏って凄いよね。多分、リハーサルも練習もほとんどしなくて良い感じかもね。でもたまーに練習の様子をfacebookでアップしていたりする。

 

 

実はそのバンドはボブマーレーが中心のレゲエバンドで、ロックは有名な曲がいっぱいあるけど、レゲエって有名曲がボブマーレーばかりだからその十人が十人みんなボブマーレーの曲ばかり演奏している!


たまにフォークやロックの流しのプロのミュージシャンなんかは曲数が多くて、知ってはいるけど、譜面を見たりして弾いているよね。でも、レゲエの有名曲ってほぼボブマーレー。




それでたま〜にバンドのメンバーの持ち歌が一曲ぐらいあって、それを演奏して

またたま〜に超有名なタイのレゲエも2、3曲ぐらい演奏して。



多分レパートリー20曲あるか無いかぐらいで、ほぼ毎日同じ曲ばかり!でもお客はツーリストで毎回違うからそれで良いんだよ。

 

酷い時は、同じ箱の同じ日の夜に2バンド、3時間ずつ。9時から12時、12時から3時まで 2バンドボブマーレーの同じ曲
演奏している!!だって、9時から3時までいる客はあまり居ないからオッケー。



だからそれで良いんだよ〜!


一番集客力がある店、金曜日のライブの日は多分200人は余裕でお客がいる。その中で超常連は50人くらい。仲間に会いに来ているだけだから同じ曲でも関係ないの。

いや〜〜毎日週6日で同じボブマーレーの有名曲を何年も弾いているなんて。。。。。

 

本当に、職人だね!というか、頭いいね。


で、そんな持ち曲20曲ばっかりって、じゃあプロとして実力ないのかってね。


たまにオープンマイクでそのバンドの合間に客が自分の曲を飛び入りで弾いたりすると

ちゃんと合わせられる!それも即興で!

客が自分の持ち曲持ってくるって大体ロックなのではコード進行がある一定の範囲内なので、

 

客がギターで弾いているコードを横目で見て、ベースもギターも即興で合わせられる。


やっぱり、プロなんだ!

 

 

はて、その夫婦の話に戻って

子供の為にコパンガン に来た夫婦。実はこの夫婦は子供が将来英語が話せて、いい仕事に就くようにるよにって、外国人が多く住むコパンガン に来た。


スコータイではジーンズを売っていたって。夜店やマーケットや自分の店で、それであまり上手く行かなくて。もちろんピアノも自分では弾いていたけど、たまにイベントに呼ばれて弾く感じで感じね、結婚式とかさ。


当初、キーボードニストの旦那さんは、サムイ島のホテルやらパンガン島のホテルを巡って一人でピアノ演奏の仕事をしていたんだって。

でも、生活が慣れてくると、サムイ島よりパンガン島の方が自分に合っているって感じて、パンガン島でのみの演奏とある裕福な外国人用のお抱え運転手に数年なったって言っていた。


ある日その運転手をしていた外国人が国へ帰ってしまった時に、収入が激減。

子供が少し大きくなってちょっと楽になった時だった時と重なり、

奥さんがレストランを開く決心をしたそう。


自分たちで土地を見つけ、自分たちで家を建てて、レストランを建てる。

 

まあレストランって言ってもオープンスペースに屋根だけだけど。

 

南国は良いね〜〜。

このキーボードニストの旦那さん、本当になんでもやっちゃう。一昨年はとうとう初めての2階建ての建物をほぼ自分一人で建ててしまった!もちろん骨組みは友達に手伝ってもらってだけど。

たま〜に日本でもフランスでも、素人なのに自分で家を建てちゃうすごい人がいるよね。


このレゲエバンドに、レゲエバーを営業しているベーシスト兼ボーカルがリーダーの発起人がいて。

彼はギターも上手い。昔はカリフォルニアに住んでいた事があるって。

だから英語はかなりブロウクンだけど、雰囲気がある英語話している。


弟もオルタナティブな感じのバーを経営していてディジリドウを演奏していてね。
この弟の方が、音楽的には上で、広い範囲で演奏しているし、私は好きだけど、基本バーの収入で生活していて。

兄のレゲエに徹底している方がプロのミュージシャンとしての収入は上。


 

 

何年もね、ボブマーレーの名曲を毎日、本番で弾いているとね、やっぱり上手いよ。

それで今年は結構タイ本土からもフェスに呼ばれていた。それから他の島からもね!

まあボブマーレー専門だけどね!

 



一家の生活と自分や友達のお店や生活も背負って、仲間でプロのミュージシャンとして

成功しているんだよ!

音楽だけに集中してプロの3バンド掛け持ちとか、色んな規模でもそれぞれお店もやっていて、一人一人がそれぞれ頑張っている。



少しづつだけど、流れに乗っていたら、自分たちでシステムを築いちゃったって事だね。

私はそんなお店全部に行って、同じボブマーレーの曲を聴いていても

まあ、色んな人に出会えるし、その中のギターリストに頼んで自分の曲も歌わしてもらったから、とっても楽しかったよ。












 

 

タイへの旅。チェンマイ、パーイ、ターパイ温泉、なんと日本軍ゆかりの地 

読者の皆さんお久しぶりです。

2ヶ月の遅い夏休みを取らせていただいて、昨日戻ってきました。

 

毎回ながら、私の彼(パクスなのでフランスでは旦那、日本では彼)の仕事の合間 一つの仕事が終わり新しい仕事に移行する中間期にどかっと大きい夏休みを取らせてもらいました。

私の生徒とは言うと、バカンスにとても寛大なフランス人の皆さんのおかげで、生徒さんは待ってくれています。

 

今現在私の住んでいる
多民族の複雑な国フランス。
やはり外国に行くと、自分の住んでいる国の理解への気づきや学びが増える。私が長期の旅を皆さんに勧める一因です。今回の旅も中々色々な学びがありました。


今回の旅は、彼のたっての願いのアイランドでのバカンス。またまたまたパンガン島、それからマレーシアへ一度出国ペナン島へ。そしてこれも彼の達ての願いの北のチェンマイ、それからパーイでした。


チェンマイとパーイは2001年のバックパッカーの旅以来で、懐かし〜思い出がぶり返す!

チェンマイはタイ全土のお土産物がここで製作されているのか、今まで訪れたタイの街でみたお土産ものが集結!格安で買えてショッピング&お土産には最適の場所でしたね。


特にチェンマイ北部にあるちょっと離れているモン族の村や、チェンマイ市内にあるモン族マーケットがかなりオススメです。


それからチェンマイの北車で3時間バックパッカの街パーイには温泉が!パーイの温泉最高です。昔は5時間半の悪路でしたが約20年の時の流れの中、やはり道は綺麗になっていました。

今まで日本以外の露天風呂で印象的だったのは、ペルーのマチュピチュの近郊にあるcocalomayo温泉。昔の旅日記を紹介



4travel.jp





このパーイにもいくつか温泉の源泉があって、今回は4箇所の露天風呂に浸かりに行きました。その中のターパイ温泉とても興味深かったです。

メーホンソンのパーイからバイクですぐです。

 

achikochi.takema.net





実はこのパーイ日本軍ゆかりの地で。

実はチェンマイからパーイまで行く悪路、いろは坂を優に超える数百のカーブを曲がる山道なんだけど、メーホンソンの先にあるミャンマー、当時ビルマへの侵攻の為に作られた道だったのです。(地元民のゲストハウスのオーナー談、彼のおばあちゃんから聞いた話らしいです。)


このターパイ温泉は、地元の人はその昔から既に知っていて利用していたらしいんだけど、源泉は物凄く熱い80度以上ある。そこを温泉地にして、日本軍の戦時中の駐屯地としていた。

その説明の看板も奥〜の源泉が吹き出ている所にあってね、ほとんど色褪せて中々読めない感じだったんだけど。ここで日本軍がキャンプをしていましたと書いてあった。

この温泉に入った瞬間、これは日本人が作った温泉なんだなあってすぐ分かったよ。

源泉の温度は80度から100度なんだよね。でも横には湧き水もあり、砂利を敷いて、温泉を流して、温度を冷ましてその湧き水がいい具合に合流するようになっていて、


私が入った2段目の風呂は45度〜43度くらいになるように自然の造形を利用してあった!!

その直ぐに上の一段目の風呂は湧き水が中心になっている水風呂で、


3段目の風呂は40度ぐらいの浅い風呂、そして




段々になって、6個ぐらいの温泉がある。多分雨季と乾季、季節によって湧き水の水量とかが違うから

3段目の風呂が45度くらいになることもあるだろうね。



いやあ、ミャンマー戦は激戦で特に悪名高いインパール作戦で本当にたくさんの人が亡くなり、(NHKの特集で見たけど、かなり酷い)

メーホンソン地区のメーホンソン村では、地元の人が日本軍ゆかりの遺品を集めて

資料館を作っているらしい。これは行かなかったんだけど。旅人の資料

4travel.jp



カンチャナブリの方は、日本軍がたった18ヶ月の鉄道建設でタイーミャンマー間の400キロ以上の長い鉄道を作り、連合軍捕虜とミャンマー人、タイ人が合わせて何万人の人が亡くなってしまって、本当に日本軍は悪名高いんだけど。デスレイルウェイとして有名。



このパーイ、メーホンソンは


そのミャンマーから破れた日本軍が休憩していた場所らしく、地元の人たちに囲まれて農作業を手伝ったりして、地元の人と交流を持ちながら、(敬虔深い仏教徒なので手厚く持てなされたのかも)最後の時を迎えた人が多かったので、その資料館が出来たらしい。


敬虔な仏教徒のタイ人はね。最後本当に苦しんでいる人に暖かく、今現在も無一文になってしまった日本人男性が、タイ各地の田舎でタイの近所の人に面倒を見てもらって実は亡くなっているって話を聞いたことがあるよ。(タイには沢山の日本人男性が色んな理由で渡航している)


多分この日本軍の遺品をずっと持っていたタイ人も優しい敬虔な仏教徒だったんだろうなあと思う。日本軍だって敵では無い相手にはもちろん紳士的に最後の時を安らかに送ったのかもしれないね。


2001年に行った時は、また旅の始まりだったし、カンチャナブリ もパーイもチェンマイも数日の滞在だったので本当に表面しか知らなかった。



今回のこの温泉のお陰で、色んな資料をネットで読んでまた学びが増えました。




それからまたパーイの温泉の話に戻って、

4つ浸かりに行ったと書いたけど、その中で1番のお気に入りは

ちょっとぬる目なんだけど、ジャングルの中での〜んびり自然浴


geekytrip.blogspot.com


そして、パーイの街

こういう大自然と田舎ののどかな感じと、都会生活が混ざった

バックパッカーの街いいね。2001年の時はすでにパッカーの中では有名だったけど、田舎の畑の道にちょっと食堂があるだけだった。カフェとか言ってネスカフェのインスタントコーヒーがあの時は主流だったし。朝ごはんもコンチネンタルとブリティシュの二つとタイ飯があるだけだっったなあ。


中々おしゃれなカフェが村のあちこちに出来て、楽しかったなあ。


1番のオススメはここのメインストリートのお茶屋

 

www.instagram.com




それから2番目は

この本格的カフェ

The House Cafe' Pai Thailand - Restaurant Reviews, Photos & Phone Number - TripAdvisor

自然を見ながら、のんびりとご飯を食べて美味しいカフェを飲む


タイのカフェ文化が特にこのパーイで花開いている感じ。


今世界的にタイの山岳地帯で作られている
コーヒーに注目が集められている

私の彼も数年前からタイでコーヒーに好きに拍車がかかり、タイで本当に幾つもの本格カフェを探し求めて、今回も沢山お土産にコーヒー豆を買っていましたよ。

1パック250gなんと400(1300円)バーツもするものもあり、最後の最後、すっからか〜んになってしまった。




www.fukuneko-trip.com

ヨーロッパ男性の怒りという感情表現

外国人の彼と一緒にいて、ものすご〜く苦手な事。


深い関係になった何人かに共通する事なのですが。


「一人で勝手に怒っている。」


何か操作が間違って、瞬間的な怒りが声に出る。

 

パソコンの動きがおかしくなって怒ったり。


何かにぶつかって痛みが怒りに変わる。。。

 

猫に睡眠を邪魔され怒っている。(笑)

 

それで、何かを叩く。机を叩いたり、テーブルを叩いたり、クッションを叩いたり。



本当に〜はあ????です。

 

 








私の友人の仏男性と結婚した日本人女性も、



よく物に八つ当たりしている時があって、それが怒りの表現が激しいって。

 

廊下にあった子供のおもちゃに足の指が当たってめっちゃ痛くて、
そのおもちゃを蹴り上げて、壊した。。。。という。。。

こんな人と一緒になって、良かったのか?ってその時は思ったって。




日本人男性の方がそうなる人は少ないかもしれないですね〜、だって

周りにいる人に気を使い、そういう瞬間の感情を押し殺すっていうのに慣れている。

それか、テストステロン値が低いとか。

 

かなり心が中性的なドイツ彼は、(ベルリン流乙女ちゃん、基本は女性が好きだけど、ほぼバイセクシャルで、男性経験もあり)滅多に怒りと言う感情は出なかったから。

男性ホルモンがそうさせているのでしょうかね〜。






ヨーロッパ男性は喜怒哀楽の中で、喜、怒、楽、の感情をコントロールは日本人ほどしない様に感じますが、まあどうでしょうか。(もちろん大人なのでコントロールはありますけど)

 

 

それは、長所も短所も紙一重で、同じ事をどちら側から見るか。



まあ、哀、悲しみの表現、例えば泣くという、弱い感情表現、男らしくないという事で抑えているのか、日本人男性よりも滅多にしないですがね。



この約20年の間ヨーロッパ人女性今まで何十人かに聞いて事がありますが、彼の泣き顔をほとんど見た事はないという女性多いです。

 

 




それに比べて、日本人男性まあジェネレーションギャップもあるので40代下かな?今まで付き合った彼の泣き顔、よく見ましたよ。






初めて一緒に外国人と暮らしたドイツ人の彼氏。もう10何年前のドイツ人の彼には、何この人?怒りが簡単に出るって心が弱い人?って、思っていました。

彼はあまり自分に自信がある人ではなくて、その怒りもなんか、ゲームをしていて

瞬間的に起こったり、


パソコンがおかしくなって怒ったり、なんか




なんでそこで「怒」が出てくるのか、不思議だった。。。。



でもそれは、一緒に暮らさないと分からないのです。というか日常の咄嗟の時に出てくる事だから。



で、私がすかさず、そういうの辞めて!マジでとかなり真剣に言うと、


hallooに怒っているわけではない。それに怒ってもいないって、共通の答え。







家の中は私のパーソナルスペース、その中で怒っている人がいると嫌な気分になる。


と言うと、あっちは私が相手に愚痴を言って、相手をコントロールしようとしていると思われる。こっちは真剣に

止めさせたいのに。


それで、hallooは男がわかってない、と。

 

 

う〜〜ん、それは今はもう私も46で、なんとなく分かる。

 

 

 

ヨーロッパの女性はその男性の怒の表現にも寛容なんでしょうかね〜?

こっちの関係は相手をコントロールしないで、尊重するっていう考え方だから。

 

まあ、社会は違いますが、

男女間の関係は、世界共通な気がします。カカア天下も亭主関白もいる。金銭的には平等でもね。

 



「この勝手に一人で怒っている」

 

っていうの、本当〜〜〜に苦手ですが

ヨーロッパ男性と今まで一緒に暮らして同じような事よくあったから。。。



でも、それを辞めさせたいと思っても、出来ないよう。







流せるようになるにはねハテ?。。。

その後の彼がなんとなく優しいとか、機嫌が良く振舞っているとか、そういう事がその次に起きる事もあるので。




私がそれが嫌なのを相手に知らせて、気付かせるのが良いのかも




それで流してあげよう。

 

 

 

こんなブログを見つけた。

まあどんな国籍であろと人種であろうと男は男共通の課題なんですな。

ameblo.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして全員参加型の政治形態の新しい民主主義を望むか




まあ新しい形の民主主義っていうのは


簡単に言えば、自治なんだよ。



自治権を持ちつつ、まあ自衛隊を持つっていうのが、私は良いと思うな!




世界を旅すると、ほんと〜〜〜〜に色んな働き方がある事を知る。


まあ、大体の国がね、弱者と強者がはっきりしていて、

弱者の家庭に生まれるともう、チャンスがこれっぽちも無いっていう国もある。

 




かといえば、

今まで行った中で大多数の働き方が比較的真っ当なドイツやスカンジナビア

は民主主義というか庶民が、自分たちで自治を獲得するように、政治に参加する


意識が違う。



もちろん、そういう国だって弱肉強食は確かで、資本主義がどうのこうのって議論はいつもされているんだけどね。



 

全体的な平均的な働き方や福祉がね、まあマシなんじゃないかな。

 

 

働く時間、給料、休み、子供を育てる環境、学校、病院、年金、そういうものね。

 

給料は日本に比べて低いけどね。余暇がある生活が出来きている気がするよ。


 

これは一人一人が歴史的に辛酸を舐めて、ここまで変えて来たんだと思う。


スカンジナビアは各国が小国っていうのと物凄い寒い土地柄っていうのと、女性の社会進出が歴史的に超進んでて、それが

比較的クリーンな政治形態を作っているんだと思うけど、どうでしょう。


住んだ事ないから分からないけど、北欧ってやっぱ寒いから、全体的に勤勉なんだろうなって思う。寒い国って南国と違って、いろいろ準備して厳しい冬を越さないといけないからね。

 

ロシアは民主主義を味わっていない土壌があるんだよね〜。

他から来た民族に支配されたりね、自治を経験していない。まあそれは前回のロシアのビデオを見れば、なんとなくわかる。




 

 

 

 

ドイツは本当に第二次世界大戦で物凄い破壊されて、色んなシステムとかね。

その後も東西分断されていて、戦後本当に大変だったから。みんな自治権を獲得するように頑張っているよ。

 

政治参加の意識は日本よりず〜〜〜〜〜〜〜と高い。

頑張ったんだよ。本当に。私がたった五年ドイツに住んでいる間にも、庶民の頑張り

を垣間見たよ。

 

抵抗の歴史があるとも言える。お上の言うとうりにしていたら、危ないって言うね。

 

それは、ドイツ人自身が嫌って言うほど味わっている。






まあ、フランスなんか真っ当に見えて、本当に弱肉強食を国の中で感じるよ。

まあ福祉的な面は発展途上国よりも悪くないけど、自治権はあまりないね。というか上から与えられた権利で、

とりあえず大人しくするように!って感じ。






日本も、働き方をガラッと変えられる自治権を得られる


ぐらいになる為に、やはり一人一人が真剣に望まないといけないんだけど。


やっぱり、今の働き方はおかしいとか、そう言うのね。

 

 

 

 





本当は政治にどうやって参加するかっていう市民授業っていうのが



必要なんだけど、フランスはあるけど、上が強すぎてね〜。なかなか変化がない。



フランスは戦勝国だから、第二次世界大戦で基本的な国の形態が変わらなかっただろうね。



基本的に、植民地持っていたし、誰かが何かしてくれるって言う感覚はすごく強い。




日本はやはり今の働き方はおかしいって、変化を深く望むところから始まるね。






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最近の世界情勢を見て

前回、超日本史なる番組を紹介しましたね。

 

茂木さんのその他のビデオとても面白いですよ。

現在の日韓の問題の裏は、実はアレはアメリカの指導でイランへの牽制があり、

 

日本のある会社が世界80%シェアを持っているフッ化水素をイランへ渡さない為に

 

韓国への輸出規制をしているということ。

など、深い洞察力で時事問題も説明していて


本当にオススメです。

 

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茂木さんのビデオを見て思うのは、


 

結局は人類は今もまだ支配者と被支配者という構造があって、支配するものの暴走を止められないという。。。。

 

 

で、何百年単位で、世界の各地の支配者というのは変わっているんだよな、と思った時

 

ある旅の中での一言を思い出した。

 

それはねスロベニアを旅行した時で、ある地元のツアーガイドのおじさんの言葉でね。

スロベニアはず〜〜っと大国に支配されて、いつでもお上が変わっていてね、

その中で自分たちの手仕事に集中して、製造業が歴史的に発展していて、その時代のお上に信頼されていた。でも、決して上を信じることをせず、自分たちの土地をいかに守るかをいつも考えていたというのね。


90年代に起こった旧ユーゴスラビアの戦いって知っているかな。

 

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不穏な世の中の流れの中でスロベニアでは事前に周到に準備してきた内密にね。例えば中央ユーゴスラビア軍(セルビア軍)のスロベニア内にあった武器庫の中の武器を庶民が盗んで、

さあ戦闘になった時に武器庫が空でセルビア軍の動きが遅れたとか

 

 

中央ユーゴスラビア軍の大佐がスロベニア人だったり、

オーストリアの助けも求めたり、そういう経緯もあって、スロベニア内では十日間で戦争は終わり、泥沼化する事が無かったという。




そういう歴史には書かれない個人の努力っていうのが、実は物凄く大切っていう事なんだと思う。





支配者は自分の地位を上げたり固める為にいろんな方法をとるんだけど、
そういうのを信じないで、


自分が平和が大切だと思ったら、いろんな意見に惑わされないで、

何か自分ができる事一つ一つするだけ、だと思うんだよね。


ヨーロッパ内も何百年も戦争が絶えなかったのが、最終的にEUで繋がり(EUEUで問題はあるが)もうヨーロッパの国同士が戦争をすることは無くなった。


中国共産党だって、いつまで支配を続けられるかそれはわからないよ。中国こそ
次々に大国が現れては滅びを続けてきたわけだし。

日本と韓国だって、まあ海を隔ててはいるけど、EUの内のように島や大陸で離れてはいても、ある程度協力してやっていくことは出来る。




それぞれの大国や文明が栄枯盛衰を迎えたり、人が移住して行き交って繋がりを持ったり、離れたりそういう流れの中で私たちは生きているのだから、



日本は大国の狭間で、翻弄されても戦わない中立路線へ行って欲しい。スイスのように。(まあスイスは国内武装がしっかりしているんだけどね。やはりそれはしょうがないのかなあと最近は思う)


必要以上にメディアやゴシップに呑まれないようにして欲しいと思う。