ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

コルシカ島の経験から日本での対策を考える3

皆さん、明けましておめでとうございます。


またクリスマス、新年と彼氏の実家のコルシカ島に行ってきましたよ。


これで、4回目、いつものようにコルシカ島に足を踏み入れると、チェルノブイリの傷跡を感じます。

皆さんには、新年早々深刻な話ですが、私の直に聞いたお話をしようと思います。
日本は政治的に大変な混乱期にさしかかったと言えると思いますが、現実は高い支持率を続けています。

政府の再稼働を懸命に押し進める中で、内部被曝という脅威にさらされている東日本の人々。
事実と向き合い家族の身と自分の身は自分自身で守らなければ行けない事を痛感するからです。


今回は、友人の家族のお話を聞いてきました。


私のブログを最近知った方の為に、何度も書きますが、コルシカ島チェルノブイリから2000キロも離れていたにも関わらず、28年前の爆発当時

福島原発事故後の首都圏と同じくらいの汚染があった、フランスの島です。



ソースhttp://www.criirad.org

去年のブログで書いた私の彼の家族の事を書き直すと、
彼の家族は4人全員、原発由来の病気に悩まされています。
お母さんは10年前甲状腺切除の手術を受け、毎日一日2回薬を飲んでいますが(一生続きます)、現在も体温調整が上手く行かない様です。
私の彼の妹さんは、3回の子宮の手術を受け、その後も続く子宮の痛みと、重い手術の後遺症を背負っています。
第一子は7ヶ月の早産で生まれてきました。

彼の義父は、数年に一度は病院に入院して集中治療を受け、自分自身で一週間に2度ほど注射を打っている極度の皮膚アレルギーです。体全体が、象の皮膚のようになっています。

彼は10年来、止まることの無い強い耳鳴りに悩まされ、たまに強い筋肉の痙攣を起こし、心臓がキューっと痛くなると言います。

その他にも、妹さんの友人の2人が既に子宮摘出手術をしました。母親の友人も数人甲状腺の切除の手術を受けています。




今回の滞在では、彼の親友Dからもお話を聞きました。あちこちの山に連れて行ってくれ、去年私の曲の手助けをしてくれたD。
車の中で、いろいろな世界で起こる問題、コルシカの事、日本の事など議論をしているうちに、今まで話をしなかった
彼の家族の病気について語ってくれました。


親友Dの奥さんの両親つまり、義理の両親は二人ともたった、3年前に甲状腺切除の手術を受けたのです。
それから実の母親も2年前に甲状腺切除の手術を受けました。
妹はチェルノブイリ事故の2年後に生まれ、血液の癌を伴い生まれてきました。

今回この話を聞き、かなりショックを受けました。3年前というとチェルノブイリ事故から25年も経っています。
それも、現在その母、義理の両親は 62歳、63歳65歳と、当時34歳〜37歳の人たちです。


甲状腺には主に初期被爆の時に受けるヨウ素(8日半減期)が深く影響するそうです。
今日脱原発団体の仲間から聞いた話に依ると、セシウムの影響も受ける可能性も有るという研究結果が有るという話でした。



20年以上も経って出てくるこういう症状は、私の勝手な想像ですが、28年前の初期被爆と25年の内部被曝も積み重なっているのでは無いかと想像します。




実は去年の8月(これも書いた事ですが)
イタリアの研究者がコルシカ島の病気のデーターを集め世界的に公表しました。
http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/enerzine727-9ed.html



フランス政府は全く認めませんでしたね。


日本政府が
去年、特別秘密保護法を急ピッチで可決しましたね。


この先起こる、日本の病気の発症のデータを押さえ込もうとする動きも含むものだと私は思います。


皆さんはこれから身の回りで起きている事を肌身で感じる事があるかと思いますが、本当に、残念で、悔しい思いがありますが、国はそれを認める事は無いと思います。この特別秘密保護法案のおかげで表に公表されることも無いと思います。





ストレスを受けた方が、病気が出る。そんな日本の国の元御用学者の意見は、無視して下さい。

実際に何も知らなかった、知らされなかったコルシカの人々に症状が出ました。チェルノブイリの事故で被爆を受けたとは思わなく(知らされなく)、
ストレスも無かったそうです。


彼も耳鳴りが発生した時は、原発事故の所為だとは微塵(全く)も思わなかったそうです。



その後、家族の症状が重くなるにつれ、知り合いに甲状腺の病気が増えるにつれ、事故後20年以上経った後に、そうかもしれないと
思い始めたそうです。
でも、もうそれを証明する手だてが無いと、諦めに似た思いなのか、全てを受け入れた思いなのか、現在は普通に毎日を過ごしています。

でも、初め発症した後数年はなんの原因も解らず、未来への不安感とその耳鳴りの強さに、パリで仕事をしていたものの、
仕事を辞め、コルシカ島の実家に帰り、数年間保養していたそうです。その数年をすごく無駄な時間だったと今は振り返っています。



私と一緒になったおかげで、しなきゃ行けない事が増え、耳鳴りに意識が向かなくなって来たと冗談を言ったり。
お母さんも笑顔で、さっきまではは熱かったのに、今は寒いよ〜と症状を口にします。
妹さんも懸命に子供にだけはこんな思いはさせたく無いと、食卓に気を使い。子供達を育て上げています。


力強いコルシカの島の人たち。現在は島では自然保護の運動が盛んで、市民活動が活発で島を守っています。

所々に、風力発電やメガソーラーならぬ、広大な山の土地に広がる太陽光発電所を見ました。もちろん原発はありません。


現在ではフランスに属しながらも高度な自治を保って、フランス政府と対立する事も辞さず島を守っているそうです。






私たち日本人は、こういう事実と向き合い、政治を監視して、内部被曝を防ぐ為に出来ることをしていったほうが良いと思います。

不幸中の幸いか、日本の食物自給率は低いです。毎日の食卓に少し気をつけさえすれば大分防げると思います。

そして、これから再び起こるであろう地震に備え、原発の再稼働はさせない事。

経済は国の力では有るけれど、それを支えるのは人々です。本当に日本の人々は自分自身と子供達を守る為に、目を見開いていかないと行けないと思います。






政治というものを変えるには、国民皆の力と民意が必要なのですが、日本のマスメディアや政府のやり方では、なかなか真実が浸透して行かない。こういう過去の事実が有る事を知る事も現在を知る事に繋がると思います。



私たちのおじいちゃん、おばあちゃん達が受けた第二次大戦の苦渋の思いは、きちんと処理される事無く、元A級戦犯の元読売新聞社主の正力 松太郎は野放しにされ、その後暗躍する。第五福竜丸ビキニ事件(1950年代のアメリカの核実験で被爆した日本の漁船)後、反原発の高まる世論の中で、正力 松太郎自身、原発推進ロビー活動を新聞、TVメディアで大々的にして覆し、今の今までその歴史がマスメディアの中や政治の中に続いて来てしまったという、事実もあると思います。現在も読売新聞社原発推進の筆頭です。政治家や電力会社とも深い繋がりが有るのは、周知の事実らしいですよ。@正力マイクロ波事件




ソースWikipedia以下抜粋++++++++++
裁判を免れたA級戦犯被指定者

彼らの中には岸信介(現在の総理、安倍 晋三の祖父)や正力松太郎のように第二次世界大戦後の日本社会の有力者になったり、それぞれの分野で相応に一定の社会的地位を築いたりした者もいたが、その活動には常にアメリカからの監視や東京裁判の影があったのではないかとの疑いがあったが、アメリカ合衆国政府が機密指定を解除して公開たCIAの文書を調査したティム・ワイナーの著書「CIA秘録」、有馬哲夫の著書「原発・正力・CIA」、「日本テレビとCIA」、「CIAと戦後日本」、吉田則昭 の著書「緒方竹虎とCIA」において 岸信介正力松太郎緒方竹虎アメリカ合衆国政府の協力者として位置づけられていたことが確認された。
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正力松太郎などとともに中央情報局(CIA)から資金提供を受けていたとされる。2007年に米国務省が日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。

ソースWikipedia以下抜粋++++++++++
正力マイクロ波事件(しょうりきマイクロはじけん)、または正力事件、正力マイクロ事件、正力マイクロウェーブ事件とは、1950年(昭和25年)6月1日に電波三法が施行され、公共と民間の放送事業体が並存された日本で起きた政治事件である。1954年(昭和29年)暮れの参議院通信委員会決議により決着したとされる。
事件名は、中心的役割を果たしたとされる正力松太郎に由来する。マイクロ波とは極超短波の無線伝送方式による通信中継システムを指す(詳細は後述)。アメリカ・中央情報局(CIA)ではポダルトン作戦と呼ばれ、正力をその協力者としていた。

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