ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

北イタリアもチェルノブイリの爪痕がある

今日は福島の事故が起きた日、あれから3年もたったんですね、長かった様な短かった様な。

私は、見えない戦争の時代をくぐり抜けている気分でしたよ。平和な時からは考えられなかった理不尽な世界であると。




昔はがむしゃらに旅をしてきて、世界で起こっている事が、何となく解っていた様な気になっていましたが、何も解っていなかった。


この事故後、世の中の事や人間の事が違う角度で、理解できるようになったような気がします。



今日はまたショックなことを書かなければいけません。




コルシカ島に足を運んでからは、特に内部被曝を避ける事が一番だと思っていたのですが、やはりそれだけではなく
あらゆる対策をしなければいけないのだと、重く受け止めざるを得ない話を聞きました。


以前ここで、南チロル出身のイタリア人の女の子(23歳)の事を書きましたね。

南チロルの放射能汚染の話を3月11の日にまた少し詳しくしてくれました。




イタリアの南チロルはチェルノブイリから1500キロ以上離れてはいますが、放射能雲に依って汚染されてしまいます。

地図をみると、南チロルはオレンジ色、関東並みの汚染度のようです。10−40Kbq/m2→ 10,000〜40,000Bq/m2

関東のベクレル換算の汚染地図
http://pfx225.blog46.fc2.com/blog-entry-1813.html


そして、その汚染に依って、やはり癌がたくさん発生してしまったそうです。

彼女の叔父さんも数年前、55歳で癌でなくなり、母親、父親の友人も何人もの人が癌になっています。

それから彼女はチェルノブイリ事故から5年後に生まれたのですが、同級生に3人ほど癌にかかり、まはた癌に冒されて、
生まれてきた為、

一人はすでに亡くなっている事、それからこれは以前書いた事ですが、彼女にはストレスを受けたり、仕事が忙しくなると

皮膚の病気が、体のあちこちに発生してしまうそうです。



彼女の証言だけなので、どのくらいの発生率かはわかりませんが、23歳と若いのに同級生に3人も癌がいるというのは
多い気がします。

追記)この一年後、2015年事故から29年経った年にこのイタリア人の親友が
心不全で朝、眠るようになくなっていたそうです。享年24歳。低汚染の脅威です。






コルシカ島の事を何度かこのブログで書いていますが、島の人々はは爆発当時、国に安全だと言われ、全く対策を取らないで生活をしていました。そして、その所為でたくさんの病気が発生してしまいます。



今回このイタリアの南チロルの話では、爆破後対策が取られたにも関わらず、はやり癌が増えてしまった。
もちろん、大自然に囲まれている訳ですから、除染出来るはずも無く。。。。







実際に経験した人の話の意味は重く、、何キロ離れていようが、低汚染地域であろうと、その放射能によって癌の発生が高まるのは、やはり事実なんだなと、また落ち込んでしまいました。



身軽な人なら、移住出来る人なら、もうとっくに行動に出しているのだと思います。
それが出来ないからこそ、みんな不安に思いながらも、日々を懸命に生きているのだと思いますよ。




先日、三田医師のビデオをここで紹介しましたが、1年に一回は24日以上の連続した保養をすると、保養の効果があるのだと話されていました。

http://d.hatena.ne.jp/halloo/20140216

24日以上の連続した日にちというと、夏休みぐらいですね。ぜひ夏休み中、子供達を保養に出す事を検討して下さい。


スウェーデンの資料
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No104/CNIC0602.pdf
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