ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

 ルーマニアのチェルノブイリ被害

皆さんお久しぶりです。約一ヶ月ぶりですね。
彼の遅いバカンスがやっと取れ、9月約二週間ルーマニアに行ってきました。


彼のお父さんに初めて会いに行く旅、そしてたくさんの親戚を時間をともに過ごしました。フランスのアニメ業界でアーティストとして働く私の彼。そのお父さんは、地元では著名な芸術家。街の至る所にお父さんの作った
木造アートが建てられていました。本業は木工業を営んでいます。日本で言う所の木工所の社長さんという感じでしょうか。

彼の妹もジュエリーアーティストなので
アーティスト一家、血は争えないとはこういう事なんだな〜と実感。



もともとルーマニアチャウシェスク独裁政権時代、人々は苦しい生活を過ごしてきたと話は聞いていたのですが、実はチェルノブイリでもひどく汚染された地域だったという事を聞いて、本当に驚きました。


東ヨーロッパは汚染地域だったという事は知っていたのですが、実情は定かではなく、ヨーロッパは実は
チェルノブイリの汚染の被害に相当苦しんでいたということなんだなと思いました。




 
 チェルノブイリ事故後癌が多発、現在でも健康被害が続いているとお話を聞きました。私が行った北部の地域では一家族に一人は癌になるほどの大変な状況ということ。(家族の単位は3世代)





その他は皮膚の病気や、アレルギー体質、抵抗力が弱いため病気にかかりやすい体質、未発達胎児の流産と、以前コルシカで聞いた病状と酷似していました。現在でも病気を抱えている人々が居ます。


私がお話を聞いた彼の伯母さん(59歳)は、脳に腫瘍ができ、手術は成功したけども、後遺症で臭覚が無くなってしまったと話してくれました。その伯母さんは元々獣医ドクターとして40年近く働き、術後からは、職を離れたのですが、長年地元の芸術文化に深く関わっていた経歴から伯母さんは地元の文化芸術会館の所長に数年前就任しました。


その伯母さんの息子のお嫁さん、28歳も抵抗力が弱く、丁度私たちが居た頃ギリシャ旅行から帰り、旅行先で酷いウイルス性の病気を移されてしまって、病院に掛かる毎日でした。

実はこの彼女が今年妊娠したのですが3ヶ月以上胎児が発育する事が無かったそうです。。。。丁度チェルノブイリの歳に生まれた女性です。



彼女(お嫁さん)の両親が訪ねにきたとき、庭で取れたプルーンをお土産にたくさん持ってきてくれました。

私はそのプルーンを見て、あっちゃ〜〜。そうだよね、土地が汚染されたのを知っても食生活を変えるって
なかなか出来ないんだよね。


私がお会いした汚染地域の中で彼女が一番弱々しく目に映りました。
それでも20代前半までは元気ハツラツだったそうです。




ルーマニアの人口は2000万人、国土の広さの割に人口は少ないです。地方ではひろ〜い庭に鶏が飼われ、果物のなる木が沢山植えてある事は当たり前の事です。
みな自分たちで、果物を摘み、キノコを摘み、冬の為に瓶詰めの保存食にしたりと
そういう生活が今でもなされています。



彼のお父さんとはチェルノブイリの話はしませんでしたが、腕から手にかけて
像の様な皮膚、点のようなかさぶたの様なものがたくさんありました。これはコルシカ島に住む義理のお父さんと全く同じ症状でした。




 それでも人々は病気を抱えながらも日々を力強く生き続けています。
ルーマニア自体は2007年EU加入を果たし、EU各地へ出稼ぎ者が増え経済発展が進んでいます。(まだルーマニア国内で仕事を探すのは困難との事)
 

日本の原発事故からの3年間に、本当に偶然に、ヨーロッパでチェルノブイリ被害に苦しむ人々に出会ってきました。彼の家族が住むコルシカ島、イタリア人の友人が育った山岳地方の南チロル、それからこのルーマニア


 全て共通する点は豊かな自然に囲まれ、自然の恩恵を食卓に並べてきた地域の人々でした。(察するに内部被曝度が高いという事だと思います)どの地域の人々も前向きに、力強く生活しています。が、その影に重い病気を抱え、それも国から特別な対応される事も無く、自分たちの手で生活を支え、子供たちを大切に育てている姿でした。


やはり内部被曝をさけながら生活する大切さを実感するのでした。

参考
ルーマニアにおける甲状腺がん疫学調査
http://food-safety-tepco.blogspot.fr/2013/01/blog-post_8568.html