6月20日、本日から完全に部分的ロックダウンも抜けて、
自由の身になりました。いや〜〜長かったこの一年強。
マスクの着用も建物の中や公共交通機関などは続きますが
外での着用義務、罰金は終わり。はあ〜〜、この暑い中先週は30度の夏日にもなり
一気に脱コンフィヌモンが進んだ気がします。
まあそれからもちろん、ワクチンのお陰もありますがね。
ワクチンの裏話を少々。
パリの窓から : ワクチン・薬品をビッグファーマから取り戻そう
彼の6月17日の誕生日に日本系の寿司屋にも行き、そこの大将と初めて話をしてね。
7ヶ月も店を閉めていたらしいです。あらららら。
人気店なので1日の売り上げだってかなりのモンだと思う。それを7ヶ月も閉店に追いやられるなんて。。。本物の新鮮な魚を仕入れて刺身にしているので、ウーバーなども使ってなかったのかもね。テイクアウトのみだと仕入れが無駄になる可能性もあったのかも。
去年の春から始まった完全ロックダウン、2ヶ月間1時間の外出のみ。いやあもうあれは2度としたく無いね。
それでその1時間の外出にも特別な書類が必要で、PDFをプリントアウトできない人は手書きでいちいち長ったらしい文を毎回書いていたんだよ。
その後いろいろその書類も整って、
一回半径1キロ以内の外出+買い物一回の外出が可能で、スマホに外出理由と時間を入れるだけになった。
そのあとは部分的ロックダウンが長々と続き。。。。特に10キロ以内の移動のみになって
パリ中心に移動してみると、富裕層が住む地域はゴーストタウン。みんな田舎のセカンドハウスに行ってしまったよう。
シャトレなどの若者の街にも人は集まっているけど、まだら。
シャトレはアラブ系や黒人系を中心のパリ郊外に住んでいる人たちが多くやってくる地区。
よく行く日本人街からマレ地区にかけてやサンマルタン運河などは
パリ市内に住む人+別荘なども持っていない庶民でパリが成り立っているような感じだった。
なんか面白い感じだった。まず、フランス人らしき人が多い。それから
外でプラプラ徘徊してて、テイクアウトで路上で飲んでいたり。
色んなところで、若者が地べたに座り込んで、食べたり飲んだり。
日本で地方に行くとセブンイレブンの前で若者が座ってカップラーメンとかおにぎりとか食べている感じに近い。
なぜか13区の中華街のベトナミアンサンドイッチに大行列を作っていた。。。。サンドイッチ屋さん全部大行列。。。
それから日本系の本屋さんにも大行列。。。。
おにぎり屋さんにも大行列、まあこれは二週間くらいで終わったけど
安くて、何か外国を感じるものに飢えていたのか。
カナルサンマルタンのバーのテイクアウトもすごかったな人混みが。道端にと河辺に数千人も地べたに座っていたような感じ。
フランス人が日本人のように食べ物に行列を作って並ぶのが好きなことは知っていたけど、ここまでとは。。。
パレロイヤルによく行って、皆がするように回廊の周りに地べたに座ってテイクアウトしたものを食べてみたけど、47歳にして生まれて初めてこうやって食べた気がする。日本でも若い頃こんなふうにして地べたで食べた事なかったよ。公園や河辺のピクニック以外ね。
まあ、コロナ禍でも、できる範囲で人生を楽しんでいる感じだった。
そしてとうとう、今日長かったコロナ騒動が終焉を迎えました。
感慨深い。
一番私の中での変化はオンライン授業を開拓して、コンフィヌモンが続いているうちは
新しい生徒を入れたりして、一時期は昔のように週20時間以上の授業をしていた。
まあ仕事に打ち込んだって事だね。
それで、今年5月になり、コンフィヌモンも大分緩くなってね。大体その新規で入ってきた生徒さんはごっそり抜けて。。。
元々の長期でずっとやっていた生徒さん+2だけになる。。。。なんなんでしょうね。
まあ、ロックダウンでフランスから脱出したい欲が出たんでしょうかね、みなさん。
で、また日常に戻っていく。
日本語を個人レッスンにお金払って続けて真剣に勉強するって生半可な事じゃ無いんですが、
まあいつもながらピアノのレッスンみたいなものかもなと思っています。
それからそれから、昨日の最終日の土曜日、
バンセンヌの森で彼の誕生日ピクニック。
ガステーブルを用意して、焼肉を振舞いました。
マスクは一昨日から解禁になっていて、こうやって気軽に友達とマスクなしで
集まれるのは本当に良かったな。11人集まって、大雨が途中降り出して
狭いアパートに11人。まあ楽しかったな。