ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

人生いろいろ

最近、結構仲の良い友達が一人国へ帰ってしまった。アメリカ人女性、かなり仲が良かっただけに、寂しいです。。


フランス人の旦那さんがいたのだけどね、とうとう別れて帰国しまいました。

かなり愛されていたんだけど、パリでの経済的に逼迫した生活と毎日草を吸うミュージシャンの旦那に三行半を下したのね。



彼女はまだ31歳で結婚生活5年半。父親がパイロットで小さい頃からよくパリは来ていたので、パリは第二の故郷だと言っていた。
彼女自身はアフロアメリカン、父親がパイロットでティーンまでは裕福で、ずっと私立の小中高で、カトリックの女子校へ行っていた時代もあり、かなり元お嬢様という感じがする。



そのフランス人の旦那さんとは18歳の時にパリで出会い、別れたり遠距離したりで、とうとう25歳で結婚しパリへ移住。

彼女は移住する前はパリは大好きだったらしいが、移住してからは何かその夢物語の魔法が解けてしまったかのように
不安定な毎日だった。


特に旦那が実力的には悪くないけど、ミュージシャンでね。



しょっちゅう演奏旅行で地方を回っていたし。そして彼の両親は彼女曰く安定的な仕事を二人ともしていて、彼女たちが住んでいたアパートも旦那の両親の持ち物で、家賃はタダだったし、他に貸しているアパートなども何件かあり、実はその管理はその旦那さんがしていて、将来的には彼の持ち物になるのは明らかで、

ミュージシャンとしては、収入は低いけど、悪くない生活をしていた。
まあ結婚していたとは言っても、家賃以外は全て折半で、同棲のような感じだった。




が、ここで問題になったのは彼女の借金問題。彼女の両親が離婚して、それまで住んでた家を譲ったことで父親は子供たちの教育費などの面倒は一切持たなかった。

大学を2年行って中退。年15000ドル、大学費の借金を彼女自身抱え、それを払わずにパリに来てしまい、
年間7%ほどの利子がつき借金は膨れ、裁判所からの通知なども来てしまってまたまた大変な事態になってしまった。

学費の借金はあっても大学は中退なので、英語教師の非常勤はしているけど、フルタイムで仕事を見つけるのは難しいらしい。




レストランでバイトしたり、ツアーコンダクターなどもして食いつないではいたけど、その借金を払いながら、パリでの生活費も捻出する。

生活費に至っては夫は頼りにならない。

いい仕事に就きたい、大学ももう一回行き直して、卒業したいと切望していた。


フランスはほとんど学費がただなので、こっちで大学を卒業すればいいんだけどねっと思っていたけど。。。。

でも、毎日の仕事に追われてそんな感じではなかったんだって。


で、いくら草を止めてと言っても聞いてくれない頼り甲斐のない旦那。




そんな中、3年前父親がパリで亡くなる。長い間アメリカ〜フランス間のパイロットだった父親は、実はパリで新しい3番目の奥さんを見つけて住んでいて、パリ郊外に一軒家を所有していた。
その家の相続について話し合いが持たれていたが、その奥さんへ譲るということを遺言書に書いてあり、やはり何も子供達には残してくれなかった。



アメリカでは学費が高く、親が裕福でない場合子供が借金して大学へ行くことは普通のこと。

でもこのパイロットの父親、実は3人ほど奥さんがいて、それぞれに家を残して亡くなった。いいのか悪いのか、家は残しても子供たちには学費が必要なんだよね。




それで、今年の1月アメリカに戻り、母親の住むニューヨーク州という、かなり北に位置する田舎暮し。ニューヨーク市じゃなくて州なのね。

ここには22歳から25歳まで住んだだけなので大した思い入れはない。スカイプで見せてくれた家は
とても大きくて、こんな家を3人の妻に残すのって、まあ男としての人生を全うしたのかな。。。。彼女や兄弟の写真を見ればお父さんがいかにハンサムだったのかはわかる。。。




車もまだないので、家から歩きで行ける距離にある大型スーパーで働き始めたらしい。。。

これから健康保険に入らないとと、スカイプで言っていたけど、それがまた高額で大変らしい。アメリカでは車も必需品だし。


独り立ちするためにした決心、これからまた新しい人生が始まる。頑張ってもらいたいな。


私も、これを書いていてちゃんとパリで働らけるようにならないとなと思うよ。
日本語の家庭教師なんて収入は微々たるものなのでね〜。






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