ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

70万カウンターへの道

もう少しで、70万カウンターになる。

このブログを始めて祝10年を去年したのかな?

まあカウンターが回ったからって、全ての人が読んでいる訳じゃないけど、

まあよくぞここまで来たもんだ。自分のペースで好きなように書くのが、長く続けている方法かもね。


海外生活、約14年の総括。

まあ本格的に日本を出国したのは2001年だったので、行ったり来たりしていた時期も合わせると、18年を超える。




最近思うのが、こうなりたいと頭で思う理想や好きっていうのと、現実や心の中の幸せってあまり繋がっていないような。





苦しみの中に、ふとした幸せを感じ。


好きなものに足元をすくわれて、不幸になる。



一時的なコレ好きというものに心を奪われるのではなく、もっと自分の本質的な活動的な好きに焦点を当てて行く事が大切。


行動して行くその先に、幸せが見出せる。



それから続けて行くことに、物凄く意味があって、一次的に辞めたり、落ち込んだりしても、本当に辞めなければ、その先に広がっていくもの。


だから、なんでも続けていけば良いんだって思うようになった。


でも、人との関係は違う、出会っては流れて、出会っては流れて、それはコントロール出来ない。



誠実である事が大切で、それがじわりじわりと長いスパンで、自分に帰ってくる。


海外に出た幸せは、視野が広がる沢山の経験をさせてもらった事。



海外に出た不幸は、自分の原点の家族と離れてしまう事、これは自分が思っていた以上に深い悲しみだという事。






以前は人生という名のフローの旅だと思っていたけど、今の私にとって人生というのは、どれだけ芽を蒔いて、それを丁寧に育て、どんな花を咲かせ、散らせていくのか。


例えば、言葉の勉強をしたとしよう。始めたのは芽を蒔く事、それを育てるのが勉強する事、それでコミニュケーションで花が咲き始め、
その後そのコミュニケーションが自分や相手にどう影響するのか(満開になり)そして散って行く。ちゃんと手入れすれば、また次の花を咲かす事も出来るし、しないとそのままで終わる事もある。


人との出会いも、仕事も同じような例で例えられるかな。


追記

こんな興味深い言葉がfacebook上で回って来た。facebook見ないで置こうと思う事もしばしばだけど、こういうのを広めてくれる存在があるのは良い事だ。


あるものの真の実体がなんであるかは少しも知らないのです。わたくしたちはものの形と色とを見るだけです。
その音を聞くだけであり、その外面に触れるだけであり、その臭いをかぐだけであり、その風味を味わうだけに過ぎません。
その内奥の実体についてはいかなる感覚によっても、省察作用によってもうかがい知る事がないのです。






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