最近適当によくピアノを弾く。
インプロビゼーション 即興といえば聞こえが良いが
スキルがないからそれしか出来ない。
スキルがないから大したことを弾けない、すごくもどかしいが
その分、音の重なりを耳でかみ締めながら即興で弾く。
小さい頃からピアノが習いたかった。うちの姉がすでに習っていて、
近所に先生が、エロかっこいい部屋に住んでいた。それもグランドピアノ。
今でいうゴシックスタイルな感じの部屋。
その時私は5歳程度だったと思う。
が、うちの母は、この先生は厳しいし、怖いし、良くないから駄目。。。5歳の私は、別に駄々をこねて習いに行く〜〜なんてことはなくただ、待っていた。
いつになったら行けるのかな〜〜っと
10歳のとき、近所にピアノ教室があると耳にした。早速習いに言った。
ピアノを弾くのは大好きだった。が、
13歳になった頃、学校の部活と進学塾通いで、ピアノを辞める羽目になった。
その当時部活は絶対。帰宅部は不良のする事だった。。。。はあ????
といった感じだったが、良い高校を狙っていた私は内心評価の為に
部活を辞めることは許されなかった。
学校と部活と進学塾で、ピアノの練習時間は無かったし、
たった30分のレッスン時間しかないのに遅刻するようになった。
高校生になったとき、ピアノを弾くことを諦めた。もう習うには遅いと思い込んだ。ピアノは5歳ぐらいから習うもの。。。。
それから一人暮らしをはじめ実家から離れ、たまに帰ってもピアノは
居間にあるが、物置状態。
それでも母が5年に一回ぐらい調律を頼んでいた。
もうピアノは飾りでしかなくなった。自分には弾けない代物。
それが、ベルリンに居たとき、ひょんなことでピアノを弾く機会があった。
私はWGといわれるシェアアパートに住んでいて、あるピアニストがそのに
引っ越してきた。ピアノと一緒に
アップライトピアノだったが、木目のとても良さげなピアノに見えた。
ちょっと弾いてみると、すご〜〜〜〜く良い音が鳴った。
ゲストルームが在り、そこがピアノの部屋になった。
誰もいないときに、そのピアノを触らせてもらった。
ある日、誰もいないと思って弾いていたら、その持ち主が上で寝ていた。
すごく良い音を作るね〜〜〜すごいよ!!って褒められた。
それから、なんとなくああ こんな私でも弾いても良いのかな?って思った。
ちなみにそのときに住んでいたアパートは今でおしゃれといわれる クロイツケルン。クロイツケルンって所はないけど、ノイケルンのクロイツベルグに近いところ
そのときはノイケルンはタダのトルコ人街でおしゃれでもなんでもなく。
家賃もすご〜〜く安かった。
内側はメゾネットになっていて、200平米近くあったと思う。
バルコニーも東側に2つと西側に広いバルコ二ーバーベキューも何度もした。日当たりが良くて、最上階だったから見晴らしが良かった。
キッチン&居間は30畳ぐらいで、ゲストルームが在り
4つ部屋があった。私の部屋は9畳ぐらいまあまあの大きさ
それで、光熱費込みで260ユーロだった。
34で実家に戻って、またピアノを弾きだした。もう習いになんて行かなくても良いし、誰かの曲なんて弾かなくても良い。自分で音を作っていく。
今、ピアノをひくとき、鍵盤の木の暖かさと、なんともいえないピアノの響きが大好きだ。たいして弾けなくても音を奏でると30分ぐらいは一気にインプロで弾ける。
30分ぐらい弾くと、誰かが2階から降りてきたり、外から帰ってきたりして、なんか
集中力が失われるが、まあ良い。触っているだけでも。
特に、気分が良くないとき、ピアノに集中すると、すごく良い音色がする気がする。人生の辛い事や悲しみが、ピアノの音になって空に行く感じがする。
人間にとって音楽は切れない存在だな〜〜〜ってほんと実感する瞬間だ。
7月から半年旅に出る。まず何が嫌かって、ピアノに半年触れなくなることだ。
もし私が、あの13歳の時ピアノを辞めていなかったら、海外に長く行くことは無かったかもな〜〜〜と思った。
たぶん、もっと生活の一部になって、ピアノがひけないと辛くなったかも。
今だって、旅の間どうしようかなって思っているぐらいだから。
だからもう If なんてのは存在しないんだって思う。
でも、この7月からの半年の旅は始めはベルリンに行って 友達とまた曲作りをする。
それから
又インドに行って、その後は未定
楽しみだな〜〜。
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