ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

今日、ハッと異文化問題をどう解決していくか、キーを思いついた。結構自分でも良い出来だとおもうので、長いけど読んでください。



それはある範囲の共通功、繋がりだだ。とりあえずここでは解かりやすいように

世界という言葉を借りる。

そして共通項はその世界や心を繋ぐ ”橋 ”のようなものだと思って欲しい。


世界には 一人の世界、

今住んでいる場所という世界。

市町村という世界。

地域の世界

県という世界。

地方という世界。

それから国そのものの世界。


それからアジアといわれる世界。


この一つ一つの世界の共通項が多ければ多いほど、橋が存在し、
コンタクトが少ない相手でもその橋を歩いて相手を理解する事ができる。





特に小さい頃から育った世界の共通点が多ければ多いほど、相手を理解することが容易になる。それは、太い橋だ。

それは私たちは生まれた時はゼロに近く、外界からいろいろなあらゆる情報をシャワーの様に浴び、

その中で性格や考え方やコミュニケーションスタイルやらを形成していく。
それはとても根本的なものだから太い橋になる。


そして、そのほかに人間に根本的に持っている喜怒哀楽や共通の欲求や自分自身が持っている性質などがある。これも太い橋になり得る。








だからアジアを一つにくくると、仏教という共通点で、

育てられ方の根本に共通点が出来る。だから相手を全く知らなくても、もうすでに共通するものがあるので、

それを元にその橋を通って相手の心にたどり着く事ができる。


たとえば、タイから日本  それから ロシアから日本 きっとロシアから日本の
方が距離が近いかもしれないが、タイとは仏教という共通点があり、ロシアと日本はあまり国交はしてこなかった。

多分私たちにとってロシア人よりも タイ人のほうがわかりやすい。







韓国、韓国と日本は歴史の上で、貿易やら言葉やら技術やらいろいろな
交流があった。それで人の行き来も在り、共通に使うなにかしらのモノがあって

今に至る。言葉は違うが国でも共通項が多いため、話したことの無い相手と共通功がある。それがもとになり他の外国人に比べて
理解が出来るだろう。が、もし心の橋をお互いに壊してしまったり、遮断していたら、いくら共通項が多くても その心を繋ぐ橋を渡ることは出来ない。


それが、今の日本という世界と 北朝鮮という世界だ。まあ、日本のほうが北朝鮮に橋をわたろうと思えば、渡れるが、懐疑的だし、北朝鮮は完全に橋を壊している状態だ。


たとえば沖縄人からしたら、東京にやってくると外国に来た感じがするという。

そうもともと違う言語を持ち、沖縄と東京と昔は交流はほとんど無い。人の行き来もあまり無かっただろうし、
貿易のなどの交流も無かった。



それでいくら同じ関東に住んでいても、言葉を同じくしても、私と皇室ファミリーとは

共通点がほとんど無い。歴史的にも無い。繋がる橋がない。きっと会ってみたら、相手を理解するのは至難の業になるんだと思う。








それで、一見私たちは欧米諸国に行くと、日本が教育スタイルを欧米から学んだせいで
そして持っている服や製品など何かしかしら、一見似たような生活をしているために、勘違いするが


が、相手の心にかかる橋、共通項は無いはない。製品では心を繋ぐ橋にはならない。だから相手が理解できない。


ようやく私はベルリンに大体トータル5年、ドイツ人との付き合いは10年近くになり、
それでようやくドイツ人との共通項少しづつ増やしてた、だから理解できるようになるり

たぶん私からのベクトル(矢印)はあるが ドイツ人から私への矢印はないので、
ドイツ人は私のこころまで歩いてくるのは難しいだろう。一方通行のようなものかもナ。





子どものときに吸収したことは一生残っていく。

今世界中で子供たちが日本のアニメを見ている。あれでもアニメの世界でのコミュニケーションスタイルを学んでいる。

後10年ぐらいしたら、もっと日本人と世界の人々が今よりも容易に理解できるようになるかもな〜〜〜と思う。

それは全くお互いに気がつかないレベルだと思う。



それでどんどん範囲は広くなるが、

男と女の関係になると

一人の世界と一人の世界の橋をどれだけかけることが出来るかだ。

なにも共通項が無いと、少しづつ時間を掛けて共通するものを作って行き、相手を理解していかなきゃいけない。

多分カップルは若ければ若いほど、柔軟なので相手の考えや行動を受け入れ、

心の橋をお互いに掛けるのが容易かもしれないと思う。

共通点が少ないくても、何かしら趣味が同じとか、楽しむものが同じとか、行く場所が同じとか

そんな事でも共通点ができてこころの橋づくりになる。






私は今ベルリンという世界に長い時間を掛けて橋を作ってきた。今9年かけて橋を建設してきたといったところか。

これで、もし違う国、地域に行くとそれがまた 0になる。結構大変だ。また一から橋を作っていかなきゃいけない。

それでもう年をどんどん取っていくので、柔軟性も少なくなる。パワーも無い。


それでじゃあ新しい国へ行って、異文化問題で大変な目にもう一度会うのか?

そうじゃない。

私たちは、人間という共通項が在り、そしてその共通項もず〜〜〜〜〜と歴史的の深いところまでさかのぼることも出来る。
これが不思議だ。



もっと深く人間関係を作れば良い。表面的な共通項は少なくても、喜怒哀楽は人間の共通項、そしてずっと古い、人間が移動をしてきた
歴史的までたどるような深い人間関係を見出せば良い。

そして、人間には一人一人の性質というものがある。生まれて学んだことじゃない、もともと生まれながらの性質、

心と心にダイレクトに橋をかければ良い。なんの共通項も要らない。


国は関係ない、一対一の関係、そして深い人間関係を作れば、
太い橋を直接かけ合う事が出来る。


同じ国の人間で近所に住んでいるけど言葉を交わしたことの無い人との
共通功の橋なんかよりずっと太い橋をかけることができる。




文化の違いの壁にぶつかったとき、そんな文化的視点からの橋を無視して、人間としての、自分の性質と相手の性質をつなぐもっと深い部分に橋をつくっていけば良いんだ。



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