ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

今日はなんだか気分がもやもやとするので日記でも書こうかなあ。

つい先日の土曜、日曜と二日連続で花見を企画して、Parc de Sceaux パークドソーという八重桜の園が素晴らしく綺麗なところで花見をしたんだよ。


このパークドソー(ソー公園)には明治時代にパリ社交界で有名になったバロン薩摩が寄贈した桜、八重桜(藤桜と思われる)と白い桜の園が二つある。

本当に見事な桜の園で、八重桜の園は10メートルから15メートル間隔ぐらいで碁盤の目のように桜が植えられている。


こんな風に日本では植えないし、あたり一面が桜の花で満たされる様子が圧巻。ついでに当たり一面は芝生も植えられているので、ピクニックには最高の場所なんだよ。

でも、5、6年くらい前に初めて来たときは日本人と日仏ファミリー、それからちょっとアジア系とコスプレーヤーが少々いるくらいで

のんびりしていたのに、毎年年を追うごとに人が増え、昨日の日曜日はなんと何千人もあの敷地にいる感じだった。



この桜を寄贈したバロン薩摩と言う人は、薩摩藩とは関係は無い。お爺さんが一代で財を成した、木綿王。実はこの人のことは以前ブログでも書いたことがあって、
パリ国際大学都市の日本館も彼の寄贈。パリにいる日本人芸術家たちのパトロンだったんだって。

http://cepdor1990.cocolog-nifty.com/21.pdf


彼の豪遊のお陰で実家は傾いちゃうんだけど、
結局第二次世界大戦後の農地改革などにより薩摩家は没落し、土地や財産はすべて没収されたらしいので、彼の使い方は有意義だったんだね。こんなに見事な豪華な八重桜の園は日本にも無いんじゃないかと思う。

それで最後、第二次世界大戦後、彼はフランスから日本人を帰国させるのに奔走し一役かったらしい。


それにパリやパリ周辺に植えられている桜はこのソー公園と同じ種類のものが多い、桜は接木といって、枝をすでにある木にさしていくと繋がって、クローンのように増やせる。

最近、どんどん桜の木が増えている。実はこのバロン薩摩が取り寄せた桜のクローンがパリやパリ全体に広がっているのでは?と私は思う。

(日本全体の染井吉野も大部分がクローンなので開花前線とか、開花の時期が大体同じか整っているんだよ。)



こういう人、遊び人とかなんとかで日本では世間様から後ろ指差されるんだろうな。だからパリでの生活を楽しんでいたのでは、でも自分の良心にのっとって行動していている所にシンパシーを感じる。


日本は昔こう言う人を風流人とか、粋とか言っていたんじゃ無いのかな。

こういう日本文化、最近の日本に発生する感じがしない。



多分、私たちの代みたいな、スケジュールみっちりの競争社会教育で育つと、風流人とか粋な人にはならないと思うよ。


田舎の裕福な家庭に育った私の母を見ると、ものすごく世代ギャップを感じる。
少し風流人のような、自由なスピリッツを持っている感じがする。先の事や細かいことは目に入らないというか。

昔の田舎の実家にはたくさんのアンティーク時計のコレクションが飾ってある専用の部屋があって、おどろおどろしい感じだったんだけど、もともと母は時計を見ないで行動していたらしい。鐘がなるから帰ろうみたいな。それで初めて腕時計をはめたのは東京に来て、大分経った21歳からだと言っていた。








風流で粋というのは、生まれや生き方そのもので、教えられるものじゃないよね。

まあ自分で鍛えることはできるのだろうけど。


風流とか粋とは現代人が失いつつある感覚かもなあ。







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