ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

相手に求めるもの、一緒に高め合えること

2011年の7月今の人と沖縄で出会った。

3、11の爆発の時、私はベルリンに居て、ドイツー成田羽田間の飛行機が1ヶ月間
停止。その後実家の埼玉に戻るも、自主避難で九州や山口県祝島まで行って、祝島のおじいちゃんおばあちゃん達とと中電の株主総会中のデモへ行くために広島へ それから、広島で日本語教師の仕事をネットで見つけて沖縄へ。。。

 

 

あれからもう8年も経ったのね〜。それで、大体パリには7年もいる。




 

長かったような、短かかったような〜。

 

なんか今までの元彼を考えてみてもね、実は私が求めていたのは実は一貫性があったんだけど、それは自分で意識はしていなかった。


その都度、その都度恋には落ちるが、恋に落ちても相手に合わせるわけでもなく、


それで、お別れしてきた。

 

 

結局、自分が自由に自然体になれる相手を最後に見つけたのかなあ。と思う。



男性と一緒になるのに自由になりたいと意識した事はなかった。だって、恋に落ちたら、その人の子供が欲しくなったり、その人と一緒に居るために一生懸命でしょ。

 

 

子供が出来たら全然自由なんかじゃ無いし。だから男と一緒になって自由な存在を続けていくというのは

私の頭には無かった。

 

 

というか、日本の女性には結婚しても自由でいるという教育は無いね。

 

 

お母さんが自由奔放だったら、家庭内が大変という事かな。

 

でも私の母は自由人だった。見た目は至って地味な人なんだけど、

 

やることがめっちゃ自由。40歳の時にパラグライダーを初めて60歳ちょっとまで続けていたし。


 

母の初めての海外は私に会いに来る為アイルランドへ、一人でヒースローのめちゃくちゃ広い空港を乗り換えしてやってきて、

アイルランドのゲストハウスでは、お手玉ならぬジャグリング披露して、

なんか自然に若者に馴染んでた。

 

アイルランドで私は語学学校行っていたから、その間一人でドライブに行って、英語話せないのに、アイルランド人の新築の家の中に入ってお宅拝見させてもらったりね。


 

他にも逸話はいっぱいあるんだけど、ちょっとえ?ママ大丈夫?って思うこともあったからここでは伏せる。笑

 

 

 

私の父、全然正反対で、根が真面目な刑事。母の自由なスピリッツなんか理解も出来ないし、しようとも思わないし。


 

そんな夫婦の元で育ったもんだから、家庭の中で自由でいるって言うのは

ダメなんだなって、思っていたのかも。

 

 

 

それで、私自身も自然に心の自由を感じる相手っていうのは実はすごく限られていて、

相手がものすごく懐が深くて、受け止めてくれる人が必要だったっていうのを

この人のお陰で知った。






私は、男性に何を求めていたんだろうかと思った時に、それは私自身が自由の身でいれるかどうかだったのかなあと、今までの彼と、今この人と8年も一緒いてそうだったのか〜〜〜と。。。

 

 

 






今の人とが一番、日常生活において、自由の身でいれる気がする。

 

付き合いの中で、一緒に旅をして自由を感じるって言うのじゃなくて、生活の中で自由を感じる。

 

 

でもね、ここまでなるのに8年の月日を費やしてきた。。。

 


最初、沖縄のゲストハウスで出会ったとき、この人にあまり近づかないようにしよ〜っと、かなり最低な第一印象。

 

だってその時は太っていたし、ヒゲはもしゃもしゃで全然、ダメな感じだったよ。


経験上フランス人男性に気に入られる事が多く、(長い黒髪で南国系の顔っていうだけで)その時は

沖縄で日本人男性見つけたいと思っていたからね。

 

でも、まあある日、そのゲストハウスの居間で一緒に寝転がって居ると、彼にお母さん的な深い安らぎを感じ、う〜〜ん、これは何だ?と自分の感覚を信じたのね。

途中、日本を離れた後悔とか、本当にこの人と一緒で良いのだろうかと思った事もあったけど、8年も一緒にいて、人となりを深く知ってねあの時の感覚を信じて良かったなあと思っている。

私はよくあの時第六感が働いていたなあと、後になって思うことが良くある。

それは比較的本能的に動いている時のような気がする。

















私の彼に、ぶっちゃけた話、女性に何を求めるのか?カッコつけないで教えてと聞いたら、自分の内面を強くしてくれて、一緒に楽しめて、一緒に冒険が出来て、新しい事を一緒に出来て、

自分が仕事に力が入れられて、お互いが一緒に高まっていく相手って。

なるほど〜〜。

よくそんなハッキリと言葉に出来るね。すごいな〜。


 

 

 

私は自分が”本当に”求めている事ってなかなか気がつかないよ。

 

 

 

 

今の人と一緒になって、私自身も彼の性質を難しいけど、受け止めなきゃいけない時があって、大変な時もある。

 

で、基本彼の一番大切なクリエイティブな部分を、私は引き上げている気がする。

 

 

それは、彼にとって新しい経験をさせてあげたり、たまに厳しく言ってそれに対抗して相手が燃えて良いものを作り出したり。

 

 

相手に求めるだけじゃなくて、相手を満たして、引き上げていかないとね。

 

 でもそれは、意識してしている事ではなくて、自然にそうなっている感じがするよ。




まあ、それを自然にギブアンドテイク出来る、自然体でいれる相手って事なんだけど。


まあ、全く異なる個人が長く一緒に居るっていうのは、お互いの努力も必要だけど、あまり努力を努力と思わない自然な流れっていうね。



 

 

 

 

 

茂木誠 超日本史 面白い!


日本人はどこから来たのか?【CGS 茂木誠 超日本史 第1回】

この超日本史、面白い。一気に22話まで見てしまいました。







予備校の人気講師ってほんと教え方上手いね。
まあこの内容は、受験生向きじゃあなくて、現在の社会を歴史から紐を解いていきましょうという感じなんだけど、


こうやって過去の歴史を学ぶことによって、世の中の仕組みのようなものがわかって、やっぱり自分たちの生活を守るためには政治を知ることも大切なんだなあって思うと思う。





 

激おすすめ。

10年カード取得への道のり 2

今日行ってきましたよ。ノルジャンの市役所へ。

今日あったった担当の人は本当に普通の人で、嫌がらせする感じがない。

至って普通の笑顔でこんにちはから始まる。前回の人は初めから何か変な感じだったからなあ〜。


それで先週足りなかった書類を付け足して全て提出したら、その書類は最後結局受け取らなかった!?

 

そんなに必要ないって。だってこれが足りないから、前回は3分で面接終わりで、

 

また新た1ヶ月後に予約し直して、今回望んだのに。。。。。


どわ〜。

 

なんちゅう事。。。。担当官が違うだけで言っている事が違うっていう例の。。。

 

 

 

 

それでまあ前回も今回も、何か10年カード取得にはフランス語や文化のちょっとした簡単な質問があるかもってネットで見たもんだから。


フランスの文学者の名前を暗記したり、大統領とか首相の名前を暗記したり、

フランス国旗のそれぞれ色の意味を暗記したり、彼とどういう風に出会って、フランスに来たかとか〜〜色々


練習したのに!!!そういう質問は全くなかった。



その代わり、仕事はどうしていますか?それだけ。





今もう役所も全体的に夏休みに入っているし、カード取得まで大分時間がかかるけど、

取り敢えず、レセピセは来年の1月まで有効だから大丈夫。

10年カードを待っていてね。ってはっきり言われたので、

よっしゃ〜〜!







これで一つお役所仕事に頭を悩ますことが減る。


 

 

ホッ。



2013年2月にパクスを組んでから、はや6年。6回目の申請で、10年カードになる予定です。

 

 

 

 

プロの嘘の旅を書くブロガーの存在に気づいて

嘘のブログを書いてはて、何になるんだろうか。話題になって検索に引っかかりアフロエイトで金を稼ぎ、それからマイナスの思考を植え付ける。。。。




足を引っ張りたい人の話に、みんな気をつけてね。


その人の書いた他の日記をちょっと読んだだけで、実は食べた物しか書いてないとか、かなり内容は薄くて、まあ旅した人なら、現地の金額とかも違うからこれは嘘だってすぐ分かるんだけど、


一人旅、大丈夫。

 




若い時しか出来ない沢山の出会いがある一人旅。



皆んな出来る。勇気を持って。


これを言ったら、出来ない人に悪いんだけど、


旅なんて簡単。基本、安宿でも、安飯でもお金払ってるからお客さんなんだよ。

日本で働いている方がず〜〜とハードルが高いし、苦労はあるし、大変だよ。



それに日本円が高いおかげで、そういう貧乏旅行ができる。



いつまで出来るかわからないよ。十年後まだ円が強いなんてわからないよ。
すでにタイバーツはかなり値が上っているし、物価も上がっている。


インドだってネパールだって、どんどん上がっていくよ。

 

 

一人旅をするなら今!



私が一人旅を推奨するのは、何か決まりがあって、指図されてから動くっていうい感覚を拭い去ってくれる。





もちろん、最初からすぐ出来るわけじゃないけど、そういう感覚が少しづつ、少しづつ

削ぎ落とされていくんだよ。


でも、それはやっぱり若い時じゃないと、って思う。

 

 

だって吸収力が違うし、その後その経験を生かして、転職したり、独立もしやすい。

 

まあ独立しなくてもね、年取って、若い時あんなに周りの意見に惑わされて何もしなかったなって後悔が無いよ。



それからね、旅をしている時って、悩みや深く考えることがど〜っと出てくる。

今まで当たり前と思っていた価値観と違う世界にいるから、それでね。



自分は本当に何をして人生を歩んで行きたいのか、深〜〜〜く考える事になる。
きっと一人旅の方がもっと深〜〜〜く考えるかもね。


だって一人なんだから。





それで、その旅を修正していけばいい。そういうなりたい自分の方向にね。



えいっとちょっとした勇気だよ。


やっちゃえ!

 

 

 

 

 

10年カード取得への道のり。。。

ヤラレれました。またお役所仕事に、やられました。


4月の中旬に2年の滞在許可証が期限を迎え、もう既に6回目の申請という事で

余裕をかましていたら。。。。。。

 

 

まず、その1、面接の予約の日まで3ヶ月以上も待つ羽目に。

期限の1ヶ月半前に住所が94の管轄ノルジョンのお役所へ。

 

前回2年の滞在許可書を申請した時、ランデブー、面接の予約の日を1ヶ月半後にいただいたのでで、まあ1ヶ月半ぐらいでいいかなと。パリと違って、ノルジョンの役所は
まあまあスムーズで機能的だと思う。。(パリに住んでいた時は5ヶ月以上前に行った)


すると。。。。3月に予約日を

もらいに行ったら、なんと面接の日が6月下旬。。。3ヶ月以上待ち。。。

夏休み前ギリギリだな。。。。。とヒヤヒヤ。


その2、
なんども書面を読み返し、揃えた書類を面接で見せると、
足りないと言われる。

なんでも、〜又は〜又は〜又と書いてある項目が、実は全て揃えなくてはならなかった。OU (or)じゃなくて ET (and)と書いてくれ!

そこに書いてあった4種類の書類のうち、三種類はあった。その4つ目がないそうだ。



一緒の住所に住んでいる証明が、四種類必要なんだよ。三種類公的な書類じゃあ足りないと言われ。。。。。







 

はい、さようなら。3分で面接終わり!

次の面接の予約ね!


次は7月下旬。

 

私たちの夏休み出発は8月下旬


え〜〜〜、これでは多分夏休み出発前までに滞在許可書はもらえないな。きっと。



すると彼が、『え〜〜〜〜?2ヶ月近く夏休みで離れるのにその間に10年カードが出来て

取りに行かないからとかで破棄されたらどうしよう』とかなんとか悩んでいる。。。


私は破棄されるわけないじゃん。取っておいてくれるよ。というも、そんな




フランスの役所が優しいわけないとかなんとか。。。。



 

7月下旬といったら夏休み真っ盛り、そんなすぐできる訳ない、きっと仕上がりは9月以降だよ。下手したら10月かもよ。



 

で、彼はカードもらうまえに出国するのはリスクだ。。とかなんとか言い出した。

そんな〜〜。


 

私は、まだそこまでフランスを知らないので、そこまで心配はしていないが、

彼はかなり心配らしい。。。

 

 

 

 

 

 

ベルリン スピリッツ

こんな記事を読んでね、

 

ああ〜まだ脈々と続くベルリンスピリッツ。尊敬🤩


是非、読んで欲しいな。

boundbaw.com

 


現代社会にありがちな操られている感がなく、自分たちで作り出すという意気込み。

 

15年から20年近く前ね。Bar25とBerlin calling という映画の監督がオーガナイザーをしていたDeliというクラブがあの時代のピカイチなクラブだったな〜。

 

 

川辺でね、水や火を見ながらまったりしながらも、めっちゃエッジの効いた音や映像作品に埋もれ踊り狂う贅沢。なつかし〜。

 

みんなお金持って無かったからね、トンガリながらもめっちゃ優しかったよ。

 

みんなで楽しんで、文化を共有して、思想も自然と育っていくという感じだった。

個人主義のベルリンなんだけどね、全体を見てみんなで動いていこうってすごく協力的な感じもめっちゃあるんだよ。


相手の行動を阻害しないって云うドイツとね。日本だったら出る杭打たれるって感じで

個人主義全体主義がそんな点で反対なんだ。

 

 

 

新しい事をしていくには産みの苦しみというものがある。だからベルリンには苦しんでいる人も沢山いた。

 

あの時代を共有した一人一人、普通の人たちでも多かれ少なかれ持っていた理不尽な大きなものに流されないで自分たちでムーブメントを作って行くって云う信念は、その後どうなんったんだろうね。

 

 

 

こんなベルリンのムーブメントをど真ん中で感じていて、

パリに来た時は何この街〜〜〜めっちゃダサいな〜って。それにヤバ〜〜い。


金持ちと貧乏の分断の世界。民族の分断、宗教の分断。。。

 

最低〜〜〜。


 

まあ自分のやりたい放題だし、

 

 

 

誰かにサーブされるのを当たり前だと思っている。




みんなで正しい方を向いて行くとか、そんなのな〜〜〜にもない。


めっちゃトップダウン型で、市民の意見なんか霞のようなもんだし。




まあとにかくパリはがっかりな街なんだよ。

 

 


パリで皆んながストレス溜まっているのも
パリの街の流れがヤバくて、ストレス溜まっているのもあるし、


仕事とかいろんなことが滅茶苦茶だったり、

一見優しくても上司の命令絶対だったりね。

それで大多数の人がここから逃れるためにバカンス命!なんだよね〜。







それでもとりあえず私にとって住み心地がいいのは、歩いて2分のところに森があるおかげ。

 

それから、日本語学習者が沢山いるおかげ。

 

 

皆んなパリで仕事に苦しんでいるよ。


なんでそんなに苦しんでいるんだろうって思うくらい苦しんでいる。

ちゃんと定時に終われるし、バカンスも多いのにね。



皆んな苦しみながらお金を稼いでいて、それを私に払ってくれている訳だから

大切に授業をしたいね。

本当に感謝している。


まあ、良いも悪いも表裏一体って事


 

 

フランス流の男女平等や子育ての中身はというと。。。。

みなさんお久しぶりです。

ブログをはてなダイアリーからはてなブログにして、かなりカウンターの周りも減り

ちょっと寂しいことろです。


ここ3ヶ月ほどフランス語の語学学校に行って、また最近フランスに対しての理解を深めました。




想像以上の男女差別があったという事を学校の教科書から知りました。

 

なので、女性が自分の権利を持つために本当に頑張ってきたのだなあと。


実はその名残も最近まで残っていて、法律で(誰も守っていませんでしたが)


女性がズボンを履くのは2013年まで禁止だったそうです。えっっ??て感じです。

下の記事は2012年発行なので、まだその法律が有効だった時ですね。

ovninavi.com

 

それから、それから1965年まで、女性が銀行口座を作るのは許されていなかった。

shigeko-hirakawa.org

 

女性に給料を渡すなんていう習慣はヨーロッパにはないので、相当家庭内での肩身は狭かったでしょうね。

まあ現代でも、同じ仕事や地位であっても女性の給料は約3割減(私は2割減だと聞いたのですが)だそうです。


68年という年はフランスでは革命と言われているくらい社会が変わったと耳にはしていたのですが、

いや〜、イメージと現実は本当に違いますね!





まあ、現代は以前も書きましたが、女性が本当に頑張って一生懸命仕事をして経済的自立を得たのですが、腑に落ちない点も多々ありますね。


女性が子供を産み出産するその重みをあまり考慮されていない気がします。

これを書くと、皆さんはええええええ!っと驚くかもしれませんがね。

 

まず、男女同じように働く。それで給料は約3割減。

家庭の中は平等に折半で割り勘で支払い。

衣食住すべて、割り勘です。

子供ができて3ヶ月で会社復帰。

 

赤ちゃんにはいくら平等といっても、母親しか出来ないことが沢山ありますね。




男女平等を歌ってはいても、男性がやはり有利な社会であるのは間違い無いです。

日本は男女平等ではないですが、役割が別のものとして、女性として謳歌できるような気がするのですが、ね。まあそれは個人、家庭毎に違うでしょうね。



かかあ天下、あまりフランスでは耳にしませんが、どうなんでしょう。





私の彼のコルシカ島の 義理の母夫婦はこうです。



まず、義理の母(彼の実の母)と義理の父(彼にとっても義父です)

年金額は 母 1800ユーロ 父900ユーロ

すべて折半で払っています。もちろん父の900では月々の支払いは足りません。

母が多く払っています。特に、ローンの返済が月900ユーロ、ソーラーパネルが月200ユーロ、税金を毎月二人分500ユーロ,自動車のローンガソリン代、保険なども払っているため、食費を引くと手元に残るのは僅からしいです。。。。

リタイアした夫婦の収入が2700ユーロ、それも田舎で、あまり貯金ができないと言うのは。。。。

そして、食事はというと100%義理の母が作ります。

義理の母がパリに5日間やってきたとき、その間の食事を作って、冷凍室で冷凍してから来たそうです。


それから孫の世話もします。娘(彼の妹)の3人の子供の面倒は ほとんど義理の母です。 普通の学校にしか行かせていないため。ベビーシッターや時間外保育はなしです。


義理の父は 血が繋がっていないという理由で、一切感知していません。。。。。。


家事、8割が義理の母。。。。。。

父はお皿を食洗機に入れたり、食洗機が終わったら棚へ戻す。それから庭の木を切ったり、洗濯物を干したり。。。。。




いや〜〜〜〜〜、日本の夫婦と同じですが、違いは


お金のは義理の母の方が稼いで、定年後も義理の母の方が倍もらい支払いをしているという。。。。。。。。。


現在義理の母69歳、義理の父64歳。義理の母は離婚を考えない日はないそうです。。。。。



 

 

若い人は


同じような境遇でも、男性がもう少し家事を手伝ってくれるそうです。




それからフランス全体の40%以上が家庭内で女性の方の給料が良いそうですよ。

 




フランス女性からの不満もかなりあって、パリの離婚率は7割だそうです。
これは家庭環境を扱った主に子供の心理学を研究し、カウンセラーとして働くフランス人女性から直接聞いたので、かなり正確な数字だと思います。実際に結婚までしていない家庭もあるので、パクスを含み、子供がいる家庭限定かもしれませんがね。






 

 

そのフランス女性は、私によく日本流の子育てや家庭環境のことを聞いてきますよ。

まあそれを見習って、生まれてから1歳ちょっとまでは自分で、自分の子供の面倒は見て、(1歳までというのが働かないでいるギリギリのところらしいです。)

夜一人ぼっちで、夜泣きをさせないように気をつけているみたいです。
(現在赤ちゃんと夫婦の寝室は別ですが)


ヨーロッパでは夜、赤ちゃんが夜泣きしても一人個室でギャンギャン泣かせて大人しくなるまで待つことが多いのですが、実はこれは新しいヨーロッパの子供の心理学では全く

 

    ダメだそうです。

 

 

(あるフランスの赤ちゃんは夜泣きしないという本があるそうですが、夜泣きしてもほって置くというのが正確です。世界共通同じ赤ちゃんですからね〜。)


なので

心理学者のフランス人の彼女は日本流を見習って、
1歳ぐらいまで布団のようにベットを解体して、マットレスを床に置き、子供と一緒に寝ていました。

たまに土曜にその友人夫婦の家に遊びに行き、夜よくゲームをして遊んでいました。子供が夜泣きを始めると、みんなひっそり黙って、だいたい2分ぐらい沈黙します。それで、泣き止む時はそのまま、でも泣き止まないときは、母親か父親が交代交代で添い寝をして寝かしつけに行って、ゲームを中断します。


 

 

 

 

 

彼女は特に子供の心理学者ですし、まあスペイン人男性もフランス人よりは保守的だし

彼女の意見を受け入れやすかったのでしょう。

でも彼女のフランス人の母親には、それではダメだとダメ出しをしょっちゅうされたそうです。

 

その母親からは、自立するために夜は別に寝て、泣かせておかないといけないと口を酸っぱくして言われていたそうです。

 

 

そういう時は彼女は私に相談するのですが、私はそういう赤ちゃんを一人個室で泣かす風潮は
世界で現代の欧米人だけの風習で、日本やアジアは昔から絶対違うし、他の国も違う、



多分昔の貧乏だったヨーロッパでそんな一人一人赤ちゃんに個室があったわけじゃないと言うと、彼女はホッとして、そうだよね〜。でも母はわかってくれない〜。と言っていました。

 

 

ドイツでも10年以上前にすでに同じ事を聞きましたよ。
心に闇の様なものがいつでも付きまとい、多分それは赤ちゃんの時に真っ暗闇で一人で寂しく泣いていた経験が、物凄く影響しているらしく、子供を一人で泣かせないようにしている人も増えてきているって。

ドイツ人男性と何人か付き合って、なんでこんなにみんな心理的不安定感があるのかなあと思っていましたから、その時は納得していました。




欧米人は自分の見せ方は上手いけどね〜。

 

 

 

 

 

話はちょっと代わり、男女平等を変に主張するフランス人男性の家庭では。。。。 

 

 

 

フランス人男性と結婚したスペイン人女性の事は、前も書きましたね、

 

子育て中に、彼女の分の生活費も旦那に負担して欲しいと頼んだら、それは

 

男女平等では無いと拒否され、二人揃ってカウンセラーに行き、ようやく3ヶ月だけ負担してくれる事になったらしいですからね〜。

 

それにそのスペイン人女性が5ヶ月になるまで子供と一緒の部屋に寝たいというのも旦那から拒否されたようです。

まあ、スペイン人女性はヨガの先生だし、旦那はめっちゃスポーツマンなので
夜の夫婦生活は円満らしいけど、そっち系の愚痴は聞いたことがないなあ。。。でも 

 

いつも彼女は旦那の愚痴がものすごいです。内容も日本人的には考えられないのでいつも目が点。。。

 

 

 

日本だと、旦那の稼ぎが悪くて。。。。とか、何も家事をしてくれない。。。そういうのとは全く違っていて、

旦那は高給取りなのに、(元社長)彼は自分の物だけ買って、高級バイク(BMV)とか高級車(ジェームスボンドと同じオープンカーで二人乗り、家族じゃ乗れない)とか。。。私の生活費、彼の子供子供を産んで、スペインからフランスに来て面倒見ているのに、払ってくれない。私はスペインの国からもらうお金と母親からもらうお金とスペインで稼いだ貯金で食べてフランスにいる。。。一緒に住んでいるのに。

極め付けは、子供がいても奥さんがいても、

一人で船の旅に友人と行ってしまう事!自分は仕事でストレスがあるから

そうやって発散しないといけないらしい。

 

 

 

 

 

が〜〜〜〜ん、それで彼はそれをフランスの男女平等だと主張している!

 

夫婦が家賃や食費や子供の養育費を割り勘で折半するのがフランス流!だと!

 

自分で稼いだものは自分のものだと!

 

 

 

 

いや〜二人でカウンセラーに通った意味がわかりますよ。。。

 

 

 





こんな男女平等、要りませんね!


日本は日本流の、現代の男女にあった、家庭環境があると思います。


決して、日本に居て、フランスの現実も知らず、フランス流、さすが〜〜〜と言ったり、書いたりしている人たちに騙されないように!






フランス人男性とスペイン人女性の例はかなり極端だけど、



ドイツにいた時もね、奥さんが子供を産んで、子供の面倒をみて働かないのに
イラついて、別れたいとおもった(生後4ヶ月ぐらいの時)という

発言も聞いているので、なかなかヨーロッパの男女平等問題

深い闇があります。