ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

アメリカのテレビ局PBSのドキュメンタリー「Frontline: Inside Japan's Nuclear Meltdown」

3、11の時わたしはベルリンにいたんですけど、ドイツのニュースでは日本では流されなかったニュースが流れていたので、背筋が凍るような感覚で見ていました。

その時、首都圏に居る友人や家族に避難をするように連絡するも、あまりの温度差に愕然とする日々だったのをおぼえています。

そのときの感覚がこのビデオを見て蘇ってきます。



産経ニュースから引用

すべての日本人が、この番組を観たほうがよさそうだ。福島第一原発の事故直後の舞台裏を描いた、アメリカのテレビ局PBSのドキュメンタリー「Frontline: Inside Japan's Nuclear Meltdown」。先月、2月28日に放映されたものだが、ネットで無料で閲覧可能だ。英語のみの放送だが、ぜひ観てほしい。

 未曾有の事故から1年を控え、欧米でも福島第一原発の事故の検証がさまざまなメディアで報じられている。

。。。。。。。略

例えば。事故発生2日後、格納容器内に溜まった水蒸気を逃すために、放射能漏れを覚悟でヴェントを開く決断を官邸が下したものの、電動制御のそれを手動で開けるやり方を東電が知らなかったことを隠していたため、ヴェントを開いたという報告が入らないことに首相が業を煮やし自ら福島に乗り込む場面。その舞台裏では、現場の技師たちがマニュアルを必死でひっくり返しては、内容を読み込むのに時間を取られていたのだという。「簡単には開かないんです。必死に作業していたんです」と現場の技師は言う。加えて現場の放射線量は危険な値を示しており、作業員をそこにまで送り込むことは、すでに自殺に等しい行為だった(番組内ではSuicide Squadという言葉を使っている)。


あるいは事故発生から5日目、東電が現場にいた職員・技師たちを総員撤退させることを決定し、それを首相が押しとどめる場面。この間の経緯について、東電側は「全員を避難させるとは言っていない」としているが、現場にいたある人物は、当時の吉田昌郎所長が現場職員全員を集め、「みんな家に帰ってくれ」と語ったことを証言している。吉田本人だけは残って死ぬ覚悟だったのではないかとその証言者は類推するが、そのうえで、「家に帰れ」と言われて「ホッとした」という率直な心情をも明かしている。

 菅直人が総員撤退したいという連絡を受けたのはその日の午前3時。数時間後にはテレビ電話で、現場にいる技師・職員たちにとどまるよう「かなり強く」命じたと菅は証言する。全員撤退して福島第一原発を放置したならチェルノブイリの何十倍もの被害をもたらすことになっただろう、と前首相は語る。こうした切迫したやりとりのなかで、現場から200、250、300kmの範囲までエリアを広げて市民の退避を行うシミュレーションが官邸内では行われていたことも明かされる。

。。。。。。。。。以下略