ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

政策で広島の原爆は「平和の閃光」とされていた!?

今日は原爆の日、戦争はたくさんの人々の命を奪い、多くの人々に傷を残しました。




原爆投下から2年後、広島市では実は原爆投下を祝うお祝いがされていたのです。
それはGHQからの情報統制。マスメディアもそれに続き、未曾有の大惨事もお祝い事にする「空気」作りがされていた。


今また同じ様な歴史が繰り返されようとしています。


東京新聞のコラムより
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013080602000160.html



♪ピカッと光った原子のたまにヨイヤサー、飛んで上って平和の鳩よ…。


一九四七年八月六日、つまり人類初の原子爆弾投下から丸二年たった日、広島市中心部では「平和音頭」にあわせて人々が通りを練り歩いたそうだ


▼戦争体験がどう語られてきたかを検証した『焦土の記憶』(福間良明著、新曜社)によると、四六年八月六日の地元紙一面には「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光(せんこう)」「広島市の爆撃こそ原子時代の誕生日」との見出しが掲げられた


▼八月六日がまるで「祝祭」のような色を帯びていた背景には、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制がある。人々と街を焼き尽くした原爆は、戦争を早期終結させた「平和の閃光」とされたのだ


▼広島に原爆が投下された三日後に現地入りした弊社の先輩記者に、話を聞いたことがある。原爆ドームの写真は一応撮ったが、目に入る被爆者にはレンズを向けもしなかったという


▼「どうせ検閲で載せられない。そんなものを撮るため貴重なフィルムを無駄には使えない」。戦時中の情報統制下にあった記者には、そういう自己規制の心理が働いていたのだ


▼権力者が情報を統制し、報道に関わる者が力に巻き取られれば、どんな大惨劇でも真相は隠されて、あたかもそれが「祝うべきこと」のようにすら伝えられる。八月六日は、そんなことを、改めて考えさせる日でもある。



東京新聞、筆洗より
294637

上の文とはあまり関係ありませんが、このTPP反対の自民党ポスター、facebookでは次々に消されて行ってしまうそうです。
そういえば、私のfacebook上でも消されていました。
なので、ここに保存しておきます。