ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

なぜ日本語教師を続けるか

前回は日本語教師のお金にまつわる話をしましたね。

じゃあ、なぜそれでも続けているか。


まず、旅に身を捧げれば捧げるほど、

24時間全ての時間が自分のものだと認識することになった。

まず、これが一番ですね。

で、お金が二の次。


と言っても、実はお金もちゃんと稼げないと、お金がないなあ〜〜、薄給だなあ
という愚痴になってお金に振り回される事もあるんですが、

旅人をしていたおかげで、その後、今は亡き叔母さんのBarでアルバイトしたお陰で、
お金は流れていくものっていう、何か感覚があるんですね。

 

 

とにかく、自分のプロフェッションと自由を確立する

というのに集中した結果迷いながらも続けてきた。

で、転機が起きるんです。


2011年の震災後、本当に人生が揺り動かされた気になりました。
でその後、田舎で仕事がしたいなあ。日本語学校って大体都会にあるんだよね〜、

辞めた方がいいかな、もっと体を使った職人的な仕事がしたいなあとふと悩んでいた時期がありました。

それから、震災後東日本復興っていうこれから何か自分も担っていかないとっていう感覚があった。


日本語教師って結局外国人に教えているわけだからさ。日本人を助けることにはならないんじゃん?って。


で、2011年の4月にベルリンから帰国後、西日本を放浪の旅をしていた時期に
ある作家さんに出会って、日本語教師って、日本語を世界の人に広める仕事なんだから
それは間接的に日本復興の手助けになっているんだよ。そんな悩む必要ないという

その悩んでいた時期に最高のアドバイスをいただいたのです。

多分、あのアドバイスがなかったら、あの時の状況だったらセラピストとかマッサージ師とか指圧師とかに転向していたかもしれない。


まあそれはそれで、また違った人生になったのかもしれない。


でも、今迷いなく日本語教師を続けているのはその作家さんの

アドバイスのおかげ。

 

たまにそういう人がいるのですよ。
何か、その後の人生に影響をする ふっとした機会を与えてくれる人が。


その後から、私は日本語を世界に広めるというミッションの一部、歯車になったのでした。


なので、それから後はブレは無いです。


なんかかっこいい言葉で言うと、大義。その時、その時の自分が生きている意味大義っていうものが

仕事を続けていく上で必要なんじゃ無いかな。

https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/091200129/091600001/
















世間の動き&日本語教師のことお金にまつわること

皆さんこんにちは〜、年末年始はどうお過ごしでしたか?

ポストコロナの去年は本当に世界的に物価が軒並み上がった感じで大変でしたよね〜。。。。

給料は上がってないのに、物価だけ上がるって。。。
フランスはユーロ導入の時も同じ現象だったらしいですよ。


私もね自分で決めれるって言っても授業料ってなかなかあげられないんですよ。
最近は、かなりの数の教師がオンラインで語学を教えているので、その中で競争もあるし、

今までず〜っと教えてきている生徒さんに長く続けて欲しいので、授業料もほぼ値上げせず頑張っています。

 

ストーリーボーダーの彼がもう事務所で働くことは無くなって、完全自宅。

私も冬になって、家に来ていた生徒さんがオンラインになったり。。8割方オンライン授業になって家の中に籠っている事が多くなって、気分転換の外食の数が増えました。


家周辺の比較的安めのレストランに行くと以前はよく子連れの家族がいたのですが、
なんとなくここ数ヶ月ほとんど見かけない。。。

やはり、家族で外食って結構かかりますからね、基本的な出費が増えた分、余計なものを切り詰めているのでしょうかね。

 

日本語学習ってまさに余計な出費なんですよね。。。。フランスではもちろん。

今、私が教えている生徒さんも趣味で日本語を勉強している人の数がかなり減った。

以前は趣味的な人も多かったんですが、

現在は家族など日本にゆかりのある人、日本に移住したい人、それから
旅行に行く人、現実的に日本語が必要な生徒たちがほとんどです。


まあ、そういう人に支えられて、フリーランスで仕事が続けられる。

真剣な人が多いのでそれはそれでいい事ですね。


で、日本語が国家資格になりましたよね〜〜〜。まあ、はっきり言って待遇を根底から
変えないと、日本語教師不足は加速していくでしょうね。

だって、これから移住する人が増えていくのに、先生の数が足りない。
日本語教師ってなりたい人が多くて、どんどん新人さんが入ってくる業界なんですけど、

あまりにも給料が安くて、ほとんどやめていく。
そういえば、30人近くいた日本語養成校のクラスメイトも、その後教えていた人は実はほんの数人で、確か2人だったかな???。。。。日本語が超絶うまかった中国人と、私と二人。。。

その後、日本語学校で同僚だった非常勤の先生たちも、まあ、全部で二十人ぐらいですかね噂話だけでも聞くのは。

結婚を機に辞めて。。。最近聞かないですよね、結婚を機に仕事を辞めるって。。。

でも、日本語教師はあるんですよ。。。みんな情熱を持って霞を食べてでもやって行きたいって言いうのは若いうちだけですよね。



パン屋のパートの方がトータルすると給料が上だからって
10年ぐらい先生やっていた女性が子供を産んだのを機に辞めて、

日本語専攻で大卒で教えていた人も子供が幼稚園に行くので辞めて。

専任の先生たち、男女含め五人は残っているまあ、私の上司は最終的にはその日本語学校の校長まで上り詰めて、定年して。

シンガポール日本語学校で10年ほど教えていたらしいです。

私と同期で50歳で非常勤から再出発だったんですけどね。



それから男性の非常勤の人一人。この先生も元建築家で設計していた時は
いつも事務所で寝ていて1ヶ月家に帰ったこともなかったって。1日8コマも教えていたんですよ〜〜。本人曰く準備とか大変でも家に帰って寝れるから良いって!

 

それから当時すでに定年間際だった非常勤の先生が70歳近くまで働いていたらしい。。。

その70歳近くまで働いていた女性は実は昔は公立の学校の先生だったらしくて、


すごく上品な奥様で、こんな歳とっていても、非常勤なら雇われるんだ〜〜なるほど〜〜〜って思っていたんですね。


私の友人が10年そこで勤めている間も一緒に働いていたらしい。

でその友人が時給が1600円から10年で、1650円にしか上がらなくて怒り心頭で辞めたって。。。。

そんな薄給な学校でも、定年過ぎても働ければいいのかな?

ということは、やはり60歳以上の定年された先生が増えていくって事でしょうか???


まあ最近、業界全体的に時給が2000円ぐらいまで上がったらしいですが、
まあ日給8000円って言っても、そこから所得税とか税金引かれたり、国民年金などの諸経費引かれてさ
。電車賃もフルには払ってくれないし。まあ、手取りは日給6500円ぐらいですかね。
で、それでも年に5回の季節休みがあって、その時は半額。
週5でフルでもらえる月は6500×20で13万円 
もし、週4だと10万400円
季節休みのある時は月の給料6万円、又は5万円って事ですよね。。。。

で、将来厚生年金ないし。

仕事量はプログラマー時代よりも多かったですけどね。。。


65歳で定年後にこの給料だったらまあ文句はないですよね。。。



なるほど、そうやって日本でやはり薄給ながら定年になっても続けていける道がとりあえずあるって
いうのは悪くないな。



まあ、ずっと薄給は変わらないって事なんですね。。。。とほほ
























謹賀新年2024

皆さん、新年明けましておめでとうございます。

元旦から数千年に1度規模の地震にみまわれた能登半島の方々には
哀悼の念を申し上げます。

能登半島、数年前車で行った事あるんですよね。

うるしで有名な輪島市の野外マーケットで、輪島塗のペンダントを買った記憶があります。

半島が本当に長くて始まりから、輪島市まで3時間ぐらい車で走ったような記憶がありますよ。


 

能登半島は黒塗りの素晴らしい瓦屋根の古民家が多くて、屋根が本当に重かったんだと思いました。

半島では去年も地震があって、その時の震度六の時は持ち堪えたのに、震度七となると数千年に1度規模で
昔の職人さんも想像できない揺れだったのでしょうね。


去年はよく古民家のリノベyoutubeを見ていてね。長年憧れていたんですよ。古民家。

リノベ中の家が全壊しまった方もいて
本当に無念なんだと想像します。

古民家リノベをしている方達には本当に考えさせられる映像でした。
https://note.com/nominomi875/n/n7beca7a5c28c


日本の地震の映像を見るたびに、これは私たちが日本に生まれた宿命なんだって
生きているうちに1回遭遇するかどうか、それは神のみぞ知るとか
今までは思っていたんですが、

 

その土地と家と運命を共にするぐらい気合がない限り、
やはり大規模地震が近々想定される地域に引っ越しそして古民家に引っ越しをするのは、リスクなんですね。。。。残念ながら。


https://honkawa2.sakura.ne.jp/4331.html


これを見ると関西は地震少ないんですけど、阪神地震もありましたからね。。。

それを考えると、

その阪神地震の後に父が地震を想定して建て替えたpanasonicハウスの埼玉の実家
は悪くないんだなあって。


将来、私が生まれた鹿児島なんか母と一緒に移住とか

いいかもなあとか思っていたんですが、

(母が昔よく人生の最後は桜島を見ながら過ごしたいと言っていたので)


ここ数年鹿児島の地震が多くなっているらしいです。上記のhonkawa Data より

親戚が多いので心配ですね。


地震のニュースを見るとね、日本に引き寄せられていく感覚があるんですよ。

戻らないと見たいな。不思議ですよね。


とりあえず今年は3月から3ヶ月間ぐらい日本に行くと思います。

またマイレージで日本行きの片道切符を買いました。

帰りは考えている途中で、いいですね、マイレージって片道づつ買えるので。

 

 

 

早いものでもう年末、雑談。

みなさん、こんにちは〜。

本当に月日の経つのはやはいはやい。

もう12月ですね〜〜12月は授業のキャンセルが多い月でね、

のんび〜りしています。

フランスは 日本と同じで、5月の祝日バカンス時期があって、キャンセル増加。

それから7月、8月もかなり多い。

で12月も一気に生徒がお休みムードに入ります。


まあ、前もってわかっているし、しょうがないですからね。無理はしません。

12月は一気に気温が下がって、皆さん風邪を引いている。それもこの冬すでに2度も風邪ひいている人とか、やっぱり例の流行病にかかっている人もいます。

私はすでに2020年にかかったし、ワ○○○もうっていないので、それにかからないのかなあ。。。免疫力が高くて???


まあ、この先そのまま乗り越えて行ければいいなあと思っていますよ。

 



今日は大したネタはないんですが、

師走なので一年を振り返ると、やはり実りある日々だったなあと。


もちろん、

 

1月 年始はコルシカ島から始まるのですが、

1月後半から3月は何をしていたんでしょうね。。。全く覚えていない。まあ仕事メインだったんでしょうな。多分、日本行きを夢見てどこに行こうか妄想していたんでしょうね。旅行の前は妄想が膨らみます。
まあ、途中日本で風邪引いてそれ調べたのが全部無駄になったんですが。。。。とほほ。

4月、5月は2ヶ月弱日本に居れて、実りある日々でしたね。授業もオンラインで少々請負い、車の教習所に通って、ペーパードライバー講習受けてね。
メキシコ人の友人が家に来たので、そのホストファミリー的な事をしていましたね。それから結構旅行もした気がします。福島、宮城、それから静岡、
岐阜、最後は鹿児島。

ああ、来年もまた楽しみ!



6月は彼の誕生日で、それから結婚式があったんだな〜友人の。
付き合ってパクスを経て、子供が三人出来て10数年後の結婚。なかなかフランス人結婚まで
慎重です。パクスと結婚の差は資産が相手が相続できるか出来ないかなので、
何かパートナーの身にあっても、パクスだと何も相続できないんですよ。



そういう点でやはり最後はこの相手と別れないだろうと思った時点で皆さん結婚する。
実は子育てが終わって、20年後に結婚する人が多いんですよね。

 



6月〜10月はとにかく必死で学校に行っていましたね〜。二人とも本当に変な先生だったけど、
自分が勉強かなりしたので、とにかくそれが良かったです。それに新しい友人が二人で来ました。やっぱり学校に行くと人間関係が広がる。


8月は誕生日で、友人宅の郊外週末旅に行って。。。その後、夏休みの間作曲しようと、集中して1曲作って、プロモビデオも作ったんだった。


そうそう、夏休み前の学校の学期終了パーティでで、韓国人の元プロの
ギターリストに学校で出会って、それが縁でバーで2回ほど歌ったんだな。
今週末もやるつもり。

この出会いには感謝です。


それから、フランス人と結婚したいと言って来た友人の友人がパリに移住して来ましてね。。
まあ、去年の夏ベルリンに行った時に一回会って、去年の秋かな?パリにもその友人と二人で来たのであったんですよ。
まあ、とにかく子供が欲しいと言っていて、
もう41歳なんですが、行動がだいぶ遅い気がします。。。。


そういうのを聞くと自分もそうだったんですが、日本にはやはり
卵子の事とか、その辺の知識を詳しく教わる事がないですよね。。。。

生理があればできると思っている人多いです。それは、本当にどうかと思います。

 

でも女として、その思いをむげには出来ないので、


独身男性何人かに合わせたんです。

(とにかく私の周りには独身男性が多いんですよ。。。)

 

で、男性側からは、フランス語も話せないし、
仕事もしていないし、パリでどうやって暮らしていけるのか?
一生実家が金銭的な面倒を見るくらい富裕層なのか?と

フランス人男性は女性にも経済的な大黒柱を求めるのでね。


パリ近郊では生活費はとにかくかかると。。主婦候補の人は考えられないと男性からの意見。

ごもっともです現実問題。




まあ、みんなで一緒に飲むので、楽しくやろうと。
その子も呼んでみると、

 

飲みの場で

今までの仕事は何をやって来たんだと。ある男性からの質問。

(この手の質問は初めて会った時に必ずある。今までの人生で何をやって来たのか?というまあ意訳すれば、あなたの職業はなんですか?っていう直球の質問)

まあ、実はその女性はほとんど仕事はしていなくて、実家の事業の手伝いはしていたとは言ったんですが、ほとんどしていないに近い。。。


実は何もしていなかったお嬢であったことが判明。。。。。


実家の事業を兄がもうそろそろ継ぐので、兄が継いだら、
もう仕送りは打ち切りらしいので、結婚する相手が必要らしいです。。。


実は今まで、ずっと外国人の彼について、世界旅行をしていて日本に帰ったり、

旅行したり、ベルリンに住んだり、ずっと今までふらふらして、実家の手伝いをたまにしていた。


今、インターネットマッチングサイトでパリで片っ端から男性に出会ってるけど、
どれもピンとこないし。気に入った人がいて、体の関係を持っても、お酒に飲まれて途中から記憶なし。。。

目が点。

いや、今そういう事して男遊びしている時間ヒマがあるのか?と本人に聞いてみました。
そうすると、体の関係を持つとお肌に良いしと。の返答。。。

まあ、肌にはそりゃあいいでしょうよ。
男遊びする相手と、子供作る相手を探すのとは相反しているんだよって。心で思って、やはり、すぐには寝ないほうがいいよと、モテるパリジェンヌは実はそこまで簡単には体の関係にならない、それはパリには変な人が多いから、東京よりその変な人の割合は多いとはっきり言いました。

ちょっと、あああああああ。と、

まあすごいお世話になった友人の友人なので、
少し手伝いはしましたが、話をしていると、日本に帰って、実家の事業を真剣に手伝って、

少し自分の将来を考えて真剣に生きてみて、


主婦を受け入れてくれる人と片っ端からお見合いしたほうがいいんじゃないのかなって。




主婦希望の日本女性に

男性と同じように生きろというフランス文化は、男女両方の側で
苦労が絶えないと思います。



例えば、自分の大切な女友達にヒモ候補になるような無職の男性なんて紹介できないですよね。まあ実家がそれまでバックアップしていた何もできない男性を自分の女友達には紹介できないのと同じ感覚です。

それを、フランス男性側から感じる。。。。。


なんか、それを考えると、いつもここで言うのですが、

日本の女性は、


主婦になるか、職業婦人になるか、主婦兼パートか

選択枠がある。


もちろん、旦那の稼ぎが少なくて主婦になる人はものすごい
やりくり上手でってなんかありましたよね。まあそういう選択をする人はもう少ないんですが

、フランスには

女性が働かなくて主婦でいる選択権がないんですよ。

それをする人は第三カ国の発展途上国の人間だと思われるので、
結婚相手はやはり、同じ民族か、同宗教の人に限られる。

先進国で専業主婦でいられるのは日本くらい。


なのになんで、子供が居ないんでしょうかね。
政策の失敗でしかないですね、

それはもう、意図されていたものとしか考えられない気がしますよ。



ちゃんちゃん。



 

 

 

 

危機感を解消しよう。

みなさんこんにちは。危機感を解消しよう、と言うテーマ。

まあもちろん私も危機感があるんですが、その波に飲み込まれないように、心をどうやって和らげていくのか。

はじめに、解決策をお教えすると、

受け身にならないで、対抗して実際に小さいことから一つづつ行動していく。

そうすると、、いい事しているって自分の暗示になるんですよ。

草の根活動しかないんですよね。

 

○○ちんは2度としないとか。

(まあ私は0回で、実際かかったので、免疫力があるのでそれ以上2度とかかりませんでしたというか、それいらい3年間で風邪1度引いただけ、かなり自分の中で優秀なんです)

マスメディアの言うことを一切信じないとか、まあそう言うのでもいいんですが、

一番いいのは対抗した自分から発信する行動ですよね。

 

とにかく私は世界の流れの中に乗らない生活をしようと。

できるだけ生活を自分の手の内に戻していく。

 

で、抵抗する文化を作っていく。

 


自分の中では基本は曲作りなんですが、自分の為で広めてる訳でもないので。
(詩は日本語なのでパリではいかんともしがたく)
でもその中にこういう私の思想を投影している。
たまに歌うと心が晴れ晴れします。まあ歌詞の説明もします。


それから、今現在はこれまで以上に、個人経営の店で出来るだけ買い物をして
屋台のような朝のマルシェで買い物たりして、
ほぼ現金決済をしています。


 

2020年以降フランスはほぼ、9割方銀行カード決済

なんですよ。それで銀行のカード使用量を数%取られている。

みんなもっと現金使えばいいのに、便利だからっって

余計な利益を銀行やカード会社に流している。

 

 

とにかく私は世界の流れの中に乗らない生活をしようと。


 

できるだけ生活を自分の手の内に戻していく。

 

で、抵抗する文化を作っていく。

 

来年の春にでも野菜作りをします。

できたら埼玉の家に戻って、3ヶ月はいたいんですが。

もしダメでも、ここから郊外に2キロくらい歩くとあるんですよね。みんなで畑をやって
お手伝いできるところが、一人で全部は難しいからみんなでその畑をやる。

今まで野菜作りなんて、全く興味がなかったんですが、

もうこれやるしかないんだなって思ったんです。




それから周りの人と繋がっていくこと。一緒にご飯を食べて、思っていることをシェアして。やはりおかしいって言う事をどんどん話して。

 

 

 




いや〜、世界的権力のある人の手先になって世の中の空気を作っているマスメディア。

実際に二つの戦争が起こり、毎日戦争の話をすれば、もちろんみんなは釘付けだし。



戦争は中東でいつでもあったんですが。

戦争の影を感じると、ジッと耐える生活をするんじゃないでしょうか。

私はそう言う風に皆が大人しく耐えるように仕向けられている感じがしますよ。



○○ちんを受けた方々みなさん風邪よくひいてないですかね。

私の周りでは○○ちんを3回以上受けた人は、ちょっ中引いていますね。


知り合いの元朝○新聞のジャーナリストの70代のパリ在の日本人女性、
去年から今年にかけて、欧州に住むお友達が八人も一気に亡くなったらしいです。
70代って亡くなるのって結構早いって、その前までピンピンしていたのにって。

 

今年は脳梗塞血栓で亡くなる人が多くて、

現在、血の流れを良くする薬を毎日飲んでいると本人談。

その薬もふぁ●ざあ で、打つのにも、治療

薬にも その会社に多大な貢献しているって
言って自虐的ネタを言っていました。

本人はね、米国に住む娘と孫に会いに行くためだけに○○ちんを2回したと言っていました。


やりたくなかったんだけど、って。



そう言うことを、とにかく周りに話す。


 

2020年〜22年あたりでは全く聞く耳を持たなかった
4回もうった仏男性も、本人が風邪をよく引きやすくなっている自覚症状があり、


こっち側に近寄って来ているのがわかります。


その前までは、なんで博士号まで取って、なんでそんな世の中の流れを作っている

人たちの事を信じているんだい?自分で考えないの?って

まあ、事あるごとに口を酸っぱくして言っていたのですが。

ようやく、自分の体の不調で、わかってきた。


まあ、人間そんなもんです。





それに、私自身気をつけてはいても、


私たちには家賃上昇が半端ない。この6年間で、
100ユーロも(現在約1万5千円)値上げされて
しまいました。とほほ。


でも、引越しをしようにも他はもっと上がっている。あらららら。


なので、やっぱり働かないといけないんですよね。。。

 

で、直接対面式の生徒を増やしています。

また前のようにね。


この下のリンクに貼った
一番最後のメキシコの大統領の話、ものすごいいいなあ。
やはり知っている人は、はっきり知っていると言う例です。

数年後に見てはっきりとわかる。

いくつかの興味深いビデオ - ヨーロッパ〜日本往復日記

支配者層と被支配者層が隣同士で生きている。

みなさん、こんにちは。
私はいつでも中立的な世界の見方をしたいと思っていて、

日本がいつか世界の中立の国になればなあ・・・・。

 

なんて夢を見ていたら。。。

 

最近、インドネシアで富豪になったバリの兄貴の話にハマってyoutubeを見ていると、

もうこれから先の世の中は国ごとでは考えられなくて

思想から分かれるとか言っていたんだよね。

【世界大戦】は起こるのか⁈奪われる日本の〇〇⁈バリの兄貴シリーズ - YouTube



 



それは今のフランスにドンピシャなんじゃないかなって思う。

フランスは一国の中で、完全に支配層と被支配者層

 

富裕層と貧困層がハッキリくっきり分かれている。


私はそれを階級社会と思っていたんだけど、

それは昔から続く貴族などの階級社会というよりは、


じっくりじんわり作られてきた分断社会。


下手したら貧乏で下働きだけで、生涯を終わる
移民層なんかもいて、見るに忍びない。

 

そういう家族に生まれたら、いくら頑張ってもね。。。
確か貧困層が富裕層にのし上がるまでフランスでは6〜7世代ぐらいかかるらしい。

現在の日本は確か3〜4世代かかるらしい。



ラッキーにもまだ日本はフランスのように多民族国家ではいないし、

富裕層は外国人や移民ばかりというわけでもない。。。

(タイがそうだよね。。。。かわいそう)

 

が、日本でも世界の世権者につかえるもの者が、

 

富裕層になるというわけかあああ。がっかり。

 

それがどういう事を意味するのか、

分断と、支配する側とされる側が、すぐそばにいるということなんだよ。

 

でも別に富裕層が、その貧しい層を助ける訳でもない。

売るだけ売って、利益をえるだけ。。。


私は、その支配者層がたくさんいる区域のすぐ側に住んでいて、

まあ、フランス語ではマノワー、日本語では数億ション

とか
庭付き豪邸がが建っている。

1億円でもアパルトマンは、現在だと60〜70万ユーロいわゆる普通のアパート60〜70平米ぐらいの至って普通のマンション


だから豪邸と言われるものは5億以上だね。



 


それで日本をフランスのような国にしたい人が仕掛けている

という事に気が付く。。。。

日本語教師はそういう人を手伝っているのかああ。

私の生徒に現在、富裕者層の人はいないな。ほっ。。

 



民主主義 VS 独裁国家 みたいな

感じに世界が分裂していると思わされているけど。









さて、これからどうしようかなあ

みなさん、こんにちは。
う〜ん、戦争のニュースを見ると本当に心が痛みますね。。。

戦争に巻き込まれる、自分ではどうしようもない状況。

本当に無念だと思います。

 

ああゆう映像を見ると、人生について深く考えてしまいます。



私はもう海外生活が20年弱になるので、

やはり、数年後には日本に本帰国することを考えています。


日本に帰国して、別に日本語教師じゃなくてもいいなあと思っています。

 


少しづつ、フランスから日本へシフトしていければな。

個人事業主は気に入っているのですが、折角まあ順調ではあるのですが、手放すのも、別にいつでもいいと思っています。

 

 

きっと辞めたら辞めたで、あの時は良かった。大変だった、色々感想があるんだと思いますが、

いつものことです。

良いことも、悪いことも、いつもある。どんな状況でも。

陰陽

 

日本の自然が綺麗な地域には行きたいので、車の練習は欠かさずしないとと思っています。

もう、人生において、自分でやりたいと思うこと、全てにトライした。

経験したと思っているので、もう大した欲望はない。


特に、つい最近、本当にいいギターリストとセッションさせていただいてね。
(その様子はyoutubeにアップしました)


プロのミュージシャンとして生きる大変さを感じたんですよね。まあ、それはよくわかっているのですが、

趣味で自分が好きなように曲を作って歌えばそれでいいんだなって。


こうやって、のんびり大した生活の心配もなく過ごしていけるのも、

色んな人たちのお陰なんだなあって。