前回は日本語教師のお金にまつわる話をしましたね。
じゃあ、なぜそれでも続けているか。
まず、旅に身を捧げれば捧げるほど、
24時間全ての時間が自分のものだと認識することになった。
まず、これが一番ですね。
で、お金が二の次。
と言っても、実はお金もちゃんと稼げないと、お金がないなあ〜〜、薄給だなあ
という愚痴になってお金に振り回される事もあるんですが、
旅人をしていたおかげで、その後、今は亡き叔母さんのBarでアルバイトしたお陰で、
お金は流れていくものっていう、何か感覚があるんですね。
とにかく、自分のプロフェッションと自由を確立する
というのに集中した結果迷いながらも続けてきた。
で、転機が起きるんです。
2011年の震災後、本当に人生が揺り動かされた気になりました。
でその後、田舎で仕事がしたいなあ。日本語学校って大体都会にあるんだよね〜、
辞めた方がいいかな、もっと体を使った職人的な仕事がしたいなあとふと悩んでいた時期がありました。
それから、震災後東日本復興っていうこれから何か自分も担っていかないとっていう感覚があった。
日本語教師って結局外国人に教えているわけだからさ。日本人を助けることにはならないんじゃん?って。
で、2011年の4月にベルリンから帰国後、西日本を放浪の旅をしていた時期に
ある作家さんに出会って、日本語教師って、日本語を世界の人に広める仕事なんだから
それは間接的に日本復興の手助けになっているんだよ。そんな悩む必要ないという
その悩んでいた時期に最高のアドバイスをいただいたのです。
多分、あのアドバイスがなかったら、あの時の状況だったらセラピストとかマッサージ師とか指圧師とかに転向していたかもしれない。
まあそれはそれで、また違った人生になったのかもしれない。
でも、今迷いなく日本語教師を続けているのはその作家さんの
アドバイスのおかげ。
たまにそういう人がいるのですよ。
何か、その後の人生に影響をする ふっとした機会を与えてくれる人が。
その後から、私は日本語を世界に広めるというミッションの一部、歯車になったのでした。
なので、それから後はブレは無いです。
なんかかっこいい言葉で言うと、大義。その時、その時の自分が生きている意味大義っていうものが
仕事を続けていく上で必要なんじゃ無いかな。
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/091200129/091600001/