最近、男女平等といいつつ、まあフランス女性の立場が実は元々歴史的に低くて、選択も少なく、
色んな事が崩壊しているっていうネガティブなことを散々書いて来ましたね。
それで、それをやっぱり反面教師として
日本はこれから独自路線でやっていかないといけないって思うのね。
まず日本社会が変わっていくのはものすごくゆっくりだって事。
人はね、世代ごとにどんどん考え方が変わる。その後一世代、下手したら2世代ぐらい遅れて社会が変わっていくようだ。
私たちのおじいちゃん、おばあちゃんの考え方と私たちのそれとは全然違うよね。
でも、その前の世代の人たちが構築して来たものが残っている社会の中にはね。
で、何が言いたいかというと!
結論からズバッと。
女性は独立していく方向で働いていく!
っていうのが良いんじゃない??って事。
男性はね、女性よりも社会の規定の中で生きている。そのプレッシャーたるや相当なもの。
まだやっぱり男性の方が女性の収入より多いべきって考え方で、女性が働いていても、大黒柱は男性。
日本では、今の30代でもこういう考え方が残っているって事はね。まだこの社会風潮は続くよ。
なかなか男性だと相当なバイタリティというか勝気な人じゃないと独立してやっていくって
冒険出来ないのが今の世の中。
でもね。
何世代も前から独立して働いて自分で店を開いて仕事をして来た女性はたくさんいるよ。
(男性ももちろんいる)
で、女性がその社会の規定から少々外れたって、
冒険したって
まあパートナーや旦那さんがいたら、経済的な土台の面倒を見てくれたりする。
こんなラッキーな状況にあるんだよ。日本の女性はね、実は。
じゃあ、日本の女性は自分らしく働きたいって思ったら。(専業主婦になりたい人は除く)
独立して働いていくっていう方向で歩んでもいけるじゃんね!
女性として成功する人生を考えた時にね。
才能のある男と一緒になり、その人の子供を産んで、自分の才も花咲かせる事。
自分が能動的に動いているとね、類は友を呼ぶって世の中の真理が働いて、
周りに似たような人が集まってくる。
独立って大変かもしれないけど、会社で働く色んなその他の頭の痛い事
も本当に大変でさ。
じゃあその大変な時間を費やすのなら、自分の仕事を確立するのに費やせばいいじゃないのかな。
それで、女性の体の時間的なリミットがあってね。
どうしても、生き急がないと、子供を生めないって事になっちゃう事もある。
お金の話じゃなくて、生き方の話。
まあ、最初、結婚する前や子供を産む前は
会社に入って普通に仕事して、仕事の事を学んでもいいね。
その後独立していくために、その仕事がどう回っていくのか、学ばないとね。最初から手探りよりも良いかもしれない、どうしていけばいいかって大体の指針になるからね。
独立って一匹狼じゃないよ。たくさんの人に支えられるって実感できる。それに最初はパートほどの収入だっていいじゃん。
だって子供が出来てパートで働き始めたらそれぐらいがず〜〜〜と続くんだよ。
子供のためにパートで働く時間は3年〜5年ぐらいで、その間は責任も大して無くて、子供の世話もできて、ちょっとお金もあって、その間は良くても、
その後ず〜〜〜とパートで働く事になっちゃうよ。
フルタイムで子育てして、家事をしてっていうのも本当に大変。
私の知人は独立していて小さい子供がいる人女性って、何とかフルタイムより時間数を減らして、働いている人が多い。
女性が独立していると、旦那さんの理解や応援もあってね、めっちゃ家事に協力的になるとか。
結構周りのサポート的なプラス要素が高い。
独立して頑張っている人って応援したくなるよね!
まあ、人生は計画通りには実は行かないんだけどね。
でも、
周りに頼ろうっていう考え方から抜け出して行くのが、
ミソだよ。
私は場合はね、
大学生の頃、インポートのセレクトショップを開きたいな〜〜って思っていたんだよね。
その時洋服バカだったからさ。まあ若い頃って、ファッションって最重要項目だよね。今は服って大切じゃ無いって思うようになった。(全く無頓着じゃなけどね)
これには異論がある人が多いと思うけど、私は人生は行動して動いて自分が何しているのかっていう方が遥かに大切だって思っているから。
自分が作ったら物なら意味あるけど、モノにたいした価値を意味だせないようになった。
本当に歳と共に考えって変わるよね。
話を戻して。。。
それから、誰かに頼ろうっていう感覚が、日本にいる時はずっとあって、それがなかなか抜けなかったよ。
一人旅をして、とりあえず、何か出来るかな〜〜〜〜って色んな物を
色んな形で売り始めた。最初ブライトン っていうイギリスの街のショッピングエリアの道端でタイのウイークエンドマーケットで選びに選び抜いた物を売って、
警察官にここはダメだからあっちに行ってねとか言われて。
本当にパスポートしか持ってないのに、何も紙も聞かれずにね。
あんなに優しいジェントルマンな警官って今だったら有り得ない。
そのブライトン 在の友達に、ブログラマーだったのにこんな事をするって凄いねって言われたけど、
自分じゃ実感何もなくて。若くて無知っていうのは強いな〜。その時27歳だった。
で、色んな人にサポートしてもらったよ。
ある日、道端でそのタイのものを売っていると、あるお屋敷に住む60歳くらいの男性に、うちには色んなアーティストが居て、みんなに家を開放しているんだよって、名刺をもらった。まあその家はアイリッシュの女性の友達に絶対に行かない方がいい。何があるか分からないからって、めっちゃ説得されて、そうか〜〜って。
こういう、誰かが手を差し伸べてくれる機会は本当に旅の間たくさんあった。
ただの道売りってなんでそんな興味持たれがのかよく分からない。。。。。
今のパリだったら、ただの貧乏な旅行者って冷たい目で通り過ぎて行く人だらけだと思う。
その後ちょっと発展して、フリマに正式に出店して。
(ただ朝から場所とって、場所代払えばいいだけ。。。)
店に売り込みとか、(これも何もアポイントもない、本当の飛び込み。。。ベルリンに住んでいる時、最初はベルリンの小さい店。で、ベルリンよりパリの方が売れるかなって、旅行がてらアンティーク着物とか持ち込みで売った事もある。で、何枚も買ってくれたよ。今でもその着物の店が存在する。その後同じ店にメールとか送りまくったけど、なしのつぶてだったけどね。。)
それからネット販売とか。。。
そうやって、時間をかけて自分一人で何かする事に慣れていったというか。
で、物を売ってもね、物ってそんな意味あるもんじゃないなって。
思って来てね〜〜〜〜。
でも、着物を売るのは好きだったなあ。
骨董市に行って着物を買っていると、おじさんとかが、色んな着物の知識を教えてくれるの。
この着物に使われている染料は、鉱物の何々だから、日本で採掘された時代は大正時代まで。
だから、この着物は大正時代のものなんだよって。
私のそれまで売った中で一番最高のモノがアンティークの着物で
本当に昔の着物は素晴らしくてね。芸術作品だよ。
それ以上に身近で最高のものって自分にとって無いなって思った。
で、アンティークの着物って私はアトピー持ちだから、
家に沢山あるとアレルギー反応が出てしまって。それで布系って
そういえば、アトピー持ちにはダメなんだって。
それに、当時定期的に売っていたベルリンのリメイクドレス&インテリアの店が潰れかけてて。
買ってもらえなくなってね。
じゃあ、自分の一番好きなもの売って、経験したからもうモノを売るのは良いやって。
それと並行して、日本語も教えていた。
その日本語教師っていう職の存在を知った当時、25歳くらいの頃かな?
それですぐピンって来たんだよね。
でもすぐは始めなかった。その当時はプログラマーだったし、
でもプログラマーをやめて、数年経って次はどんな仕事をしようかな〜〜思っていたのはこの後50年は無くならなそうな仕事。
それから、大昔から存在していた、人間味のある仕事。
それから物を沢山持たなくても良い仕事って、考えたんだよね。
そうしたら、私は昔から誰かに教えるのが好きで、日本でも海外でも出来そうな
日本語教師、やるしか無いなって。その時はこんなに薄給なんて知らないからね。
日本語教師の養成校に行き始めたのが29歳の時。
で、その後ベルリンでアンティーク着物売りと、日本語教師と、ネット販売を並行していた。
で、色んな紆余曲折があって、
ようやく本物の独り立ちが出来たかなって思う。
いや〜〜もう、寄り道だらけでね、私の人生。
その寄り道が本当に楽しかったんだよ。
だから、まあ子供の居ない人生だけど、人には色んな生き方があって、それはそれでしょうがないって思う。
現代の女性って、自我が強い人が多いからね。
私みたいに、何がしたいのかよく分からないけど、何かしたくて、でも何だろうって、そう
思っている人が多いかもなって。
まあ自分がそうだったから、
で私はスタートを切るのが遅くてね、落ち着いたのが40歳だった。。。。
それならね、若い時からガンガン行って、色んな経験をさっさとして、落ち着いても
まだ30代前半でってじゃあ、もういろいろやったからそろそろ子供産んでも良いかなって
思うくらい早く始めた方が良いんじゃないかなって思う。