ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

コルシカ島という彼の実家(自主避難の旅10)


読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

2011年は日本にとって本当に大変な一年でした。
陰と陽は表裏一体。悪い事が起こっても、次にはそれを跳ね退ける良い事が起こると常日頃感じています。
2012年は去年の事を払拭する素晴らしい出来事が皆さん一人一人にあると信じています。




はてさて私は、クリスマス&元旦を彼の実家で過ごすべく、

喧噪のパリを抜け出し、自然豊かなコルシカ島に行って参りました!!

コルシカ島に着いたとたんに久しぶりに深〜く深呼吸をしましたよ。


彼のお母さんにあうので、姑に始めて会う心づもりで。(笑)

お母さんは気楽な人で、息子に久しぶりに出来た彼女(私)に大歓迎で、

こっちが恐縮するくらいのおもてなしでした。

私もしょっちゅう後片付けをしたり、大晦日の日は日本料理でもてなしたり、出来るだけの事はしてきました。


コルシカ島は、ナポレオンの出生地

ローマ帝国とフランスの領土争いで戦場になる事が多かった島だそうです。

ヨーロッパの戦争の歴史を辿ると、地中海に面する土地は激戦地区が多い。

地中海沿岸って本当に自然が豊かだし、気候も最高だし、みんな欲しがったんだな〜ってね。

コルシカ島に来てよ〜くわかった。

そんな厳しい歴史をくぐり抜けてきたコルシカ島の人々は
フランス領なんだけど、自分たちはフランス人とは思っていない。
コルシカ人として誇りを持っているんだって。

コルシカ島の人々の多くはバイリンガルだ。フランス語とコルシカ語
で小学校から2カ国語ですべての授業が行われるだってさ。
このコルシカ島バイリンガル教育はかなり成功しているらしい。

アイルランドに行った時、ゲール語は、学校でも勉強するらしいけど、ほとんど
話せるようにはならないって言っていたよな〜。


それから、日本に居るドイツ語学校出身者やインターナショナルスクール出身者は、日本語は話せても漢字が読めなかったり書けなかったりする人も多いらしいからさ。

実際に私は何人かそういう人に会った事もあるし、バイリンガル教育ってかなり根気がいるって聞くよね。




え〜と話を戻して、

クリスマス。

こんな感じで、彼の妹の家でパーティをしました。



プレゼント交換が凄くてね〜〜。本当に品を選ぶのが大変だったんだけど、

この姪っ子は毎年凄い数の人形をもらうらしく部屋が凄い事になっていました。




つづく