ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

私が見てきた市民活動1 ベルリン編

この8年以上にも渡るブログをずっと読んでくれている人はいるんですかね〜。


もし、全部を読んでいる人が居れば、流れが解るかもしれませんが、私が自ら進んで市民活動に参加して行く過程を書いて行こうとおもいます。


まず始まりはベルリンです。もちろん。このブログもベルリンから始まりましたね。
本当にいろんな人生勉強をベルリンでさせてもらいました。


まず、私のデモ参加はラブパレードから始まります。ラブパレードは2002年から政治的なデモとして申請されていたんですよ。

政治的デモ行進は警察は禁止することは出来ません。私が初めて参加したのが、2001年50万人規模で人々が狂喜乱舞するお祭りだったんです。本当にすごいお祭りだったでも、その後処理にベルリン市が多大な清掃費用を負担するため、もう次から中止される予定でした。

2002年はデモ申請で、開催出来たんです。


デモでパレードなんて初めは衝撃的でしたね。


その後、デモというのは皆で楽しんで、政治的な意思表示をするものと身に付きました。

様々なデモがベルリンでは起こります。

自分も楽しんで、自分の思想を載せて、周りの人にも伝えやすい、皆で楽しむ受け入れられやすい方法。


まあ、ベルリンはデモの歴史が古いので、デモをしても白い目で見られる事は有りません。日本のようにね。それに道全体に広がって行われるし、交通量も東京やパリのように多く無いので、迷惑になる事もありません。



今ではもう警察の取り締まりが厳しくなりすぎて、大人しくなりましたが、

昔のベルリンの5月1日のメーデーはすごかったんですよ。

若者達と警察隊の対決の日でした。全国各地からこの戦いに参加したい血の気の多い人も集まってくるんですよ。



普通の服装の市民に対して、ドイツ警察のフルコンバット装備

明かりに照らされて、ビデオも回っています。


水鉄砲車上にある2つの機関銃の様な装置で強力な水が出てきます。これで失明する市民も居て、問題になりました。




デモはちゃんと警察に申請して行われるものですが、5月1日はメーデーと言って、デモ申請がなくてもデモをしてよくてね、
あちこちで集会が行われ、

路上ではなんと




若者と警察の戦いの場になるんです。(後になって戦いの形式は、戦い主流から理性的なデモに変わって行く、2005年ぐらいから全国から警察が集められ圧倒的な武器や戦車や水鉄砲車投入にによって戦いではなくなっていく。まあそれだけ市民が激しかったというのもありますが)




日本だと、え?若者と警察の戦いって何で?っておもうでしょう?










日本では警察や国家権力は正しいものだと思っているからね。それに反対する人は少ない。


でも実は、まあそれは今では(震災後)明らかになってきたけど、




別に警察や国家権力が正しいとは限らない。




得にドイツはそれを身をもって、長年経験してきているんです。




まず戦前はナチスドイツが政権を握って、当時は、国民は政治家は正しいもの、自分たちの生活を良くしてくれるものと思ってしまった。特にヒットラーは言葉巧みで、力強く見えた。だから国民は従った。


今の安倍政権のようにね。。。。。今の多くの日本人も安倍政権が国をよくするなんて全く違うんだけど、思っていますよね。
まあ言葉巧みなのと、周りに企業がサポート体制を組んでいる。(利益を求めている。)

なので、国民はまあ安心したい、従うんですね。


よくネットでは安倍首相がヒットラーになぞられているのは、その所為です。


実は戦後すぐも、ドイツ国民は良くわかっていなかったんです。(日本も震災後でも同じですね。政治というものがどんなモノかまだハッキリ暴かれていない)


実は戦後、西ドイツの政治を支配していたのは、戦争中も権力を持っていた人たち。そして東はソ連支配下になる。


そして、とうとう西は60年代に学生達によって、ドイツ軍が実は何を戦時中何をしていたのか暴かれていくんです。

そして68年市民革命が起こる。


戦後23年も経って、とうとう市民に依る、自分の国家を相手に革命が起こったんです。


これは日本の学生運動と違って成功する。ドイツの東西分裂もあるでしょうね。日本は高度経済成長期でしたから、国民全体まで浸透しませんえしたね。だって、自分たちの生活が満ち足り初めててきたら、そんな革命なんて思わないですからね。






なので、ドイツは全然政治家主導の国じゃないんですよ。市民活動の国。

それもそこまで来るのに第一次世界大戦第二次世界大戦の敗退、多額の賠償金を払い、市民は苦しい思いをして、戦争の後は東西分裂されて、また苦しめられる。特に東ドイツは90年まで苦しみ続けた。



そんなんで、とうとうドイツの市民は目を覚ますというか、もう政治家が正しい、権力を持った人が正しいとは思わなくなった。


特にベルリンという土地も特別なところでした。東ドイツに囲まれた西の孤島。


いままで何回かベルリン現代史なるものを書きましたが、読んでみて下さい。
http://d.hatena.ne.jp/halloo/20100514




なんだか、こうニュースだけを見ていると、ドイツってすぐ原発も辞めるっていうし、すごいな〜って思いません?


でも、政治家や国家権力そして国際的な企業体質は日本とそれほど変わらない。



違うのは市民の関心と行動力なんですね。

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