ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

彼の事5

ここの話に何度か登場している私の彼。まあアニメーター、絵コンテを書いている人っていうのは何度も言っているよね。
彼がチーフアニメーターとして参加した作品が子供達の間で大人気だそうだ。

どんな状況でも絵を描くのをやめない彼は、やっぱり芸術家なのねって思う。

あまりにも身近な存在なので、ここではオタクくんと言ってるけどね。。。





前も一回書いたのでかぶるところがあると思うけど、ちょっとその後聞いたことが違っていたりしたので、再度また。。




まず、生まれはルーマニア
たまたま兄弟夫婦がルーマニアに旅行するというタイミングで、お母さんがロトに当たり、(15万円ほど)じゃあ一緒に行ってみようとルーマニアへ、それで運命の輪が回り始める。


トランシルバニアでのお父さんと出会う。若い頃は本当にハンサムでね。70歳近い今でもなかなかなの雰囲気の持ち主で、モテたんだろうな〜と思う。木の彫刻とアコーディオンが得意なんだ。

すっかり恋に落ちたお母さん、ルーマニアとフランスを少々行き来し、恋を育み結婚する。

時はチャウシェスク政権の始まり、独裁政権になってく過程、お父さんはフランス人が嫁ということで
秘密警察の一員に指名され、村人の監視員になってしまう。。。。



秘密警察の監視員ってね、だいたい政権に反対する人を監視したり、村人が政権に反対する意見や会話をしていないかどうかの
チクリ役なんだよ。秘密裏に村の状況を報告するの。


音楽と芸術を愛する彫刻家のお父さんは、そんな役回りに自暴自棄になっていく、酒浸りになっていく、他に女も作り、二人の間は最悪の状態に。
これ昔、このブログで書いたよねー。


ある真冬の−20度の中、4歳の息子(彼)を連れて酒場へ。そして外へ放り出しっぱなしで酒に溺れる。近所の人が見つけて小さな彼を家まで連れてきてくれた。
とうとう九年の結婚生活の後、お母さんはフランスへ帰国を決心する。本当に大好きだったけど、そのもう一人の女性と自分の息子の将来を考え決心したらしい。


フランス人のお母さんはフランスへ行くことが出来るが、
子供達はルーマニア国籍、実はこの時ルーマニア人が出国するには色々制限があった。実はまだこのときチャウセスク独裁政権は、
東ドイツほど厳しくはなくてね。東ドイツでは西ドイツへ行く人は容赦なく殺害されていたから。。。。


ルーマニアから3日間かけて車でフランスのマルセイユへの車での逃避行。


4歳の時のその逃避行を今でもほんの少し覚えているらしい。叔父夫婦が当時の西ドイツに住んでいて、その奥さん(義理のおばさん)が
車でドイツからルーマニアまで迎えに来てくれたそうだ。 叔父さんはドイツの大学の講師、奥さんは肝が据わった人だったんだね。




その後、4歳から10歳までをマルセイユで過ごす。その間に恋多きお母さんは、船乗りのコルシカ人の彼が出来、夏休みをコルシカ島で過ごすことになる。

コルシカ島はイタリアに近いため、フランスではまだ放映されていなかった日本のアニメがたくさん見れたらしいよ。

彼は大興奮で、そんなきっかけでアニメにどんどんはまっていく。



10歳でお母さん再婚。船乗りのお父さんはものすごく嫌な奴で、お母さんは実は再婚を後悔し始めるのはかなり
早かった。が、女一人で子供二人を養う大変さと、その義理の父さんが途中、レストラン経営を始めてね。そのレストランの仕事にやりがいを感じていたらしいよ。

私たちがコルシカ島に行くとお母さんは手早く美味しい料理をよく作ってくれる。朝起きたら家の掃除を始め、家中もピッカピカだ。


そうだよねーお店やっていると掃除は徹底的にしないとね。私とは全然違うなー。



お母さんなかなか別れる
決心を着けられなかったけど、結婚から7年後、付き合い始めから十年後とうとう離婚を決心する。

それはその義理のお父さんが彼(息子)に対する暴力が一層激しくなったせいだと言っていた。

この頃の話、ルーマニア行きからこの2回の離婚まで、お母さんは本当に大変な思いをして辛かった。とコルシカ島に帰るたびに私に話してくれる。


彼も14歳〜17歳とレストランの手伝いをしていて、皿洗いなどをしていたそう。夏休みは特にみんなが遊んでいる時に
手伝いをするのが本当に嫌で、大変でね。特に義理の父は暴力的で、とうとう17歳自分の体が大人になり、
義理の父にようやく対等になれた時、その拳を止められた。その時の感覚をはっきり覚えている、らしい。

その闘志に満ちていた頃、聖闘士星矢にはまっていて、海の中で林の中で、燃えろコスモと一人、トレーニングをしていたそう。(笑)

今でもコスモを燃やせ〜とたまに遊んでいるよ。そういう経緯を知らないと、ただのオタクのやばい人。(笑)



当時はカップコルスと言われる、コルシカ島の先端部に住んでいてね、ものすごく緑豊かで、海もすぐそば。


私は自然が好きで、自然の中にいるのが大好きだけど、子供の頃は埼玉の郊外育ちだったから、自然の中で生きる術を全く知らない。


彼は岩がゴツゴツ山や谷もものすごく歩くのが早いし、木の実などもすぐ見つけられる。泳ぎも達者で、素潜りもかなり深く出来るし、

私とは全然生まれてきた国も、経緯も、環境も全然違うんだなー。



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