ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

最近の生活など

お久しぶりです。ハテナダイアリーが閉鎖されるというので移動したのですが、まだ使い勝手が分からず、デザインも取り敢えず読みやすい、それだけで選びました。

8月下旬から10月下旬にかけて七週間半もの間バカンスに出かけて来ましたよ。

性懲りも無くまたタイの島コパンガン に行ったんですが、四回目の訪問にちょっと

 

中だるみしながらも、グルメ&音楽&海、三昧の日々。パンガン島過ごすのは相変わらず最高でした。

 

 

 

7週半の間、バンコク入りーコパンガンへ移動で、そこで3週間。それから再びバンコクへ戻り日本へ飛び2週間の滞在、その後タイへ戻りコチャンという島で10日間その後パリ帰国というスケジュールでした。

 







チャン島の南に沢山の小さい島があるのですが、その中の一つコワイ
ワイ島というところへワンデイトリップで足を運び、人のほとんど住まない離島の海は

 

こんなに綺麗なのか!!!と本当に今まで行ったどの島の海よりも綺麗で感動しました。どんな美しいポストカードのよりも美しい本物のエメラルドグリーンの海。

 



将来小笠原などのあまり人が住まない離島へ足を踏み入れて見たいのもです。日本には
6000以上もの無人島があり、そして400ほどの有人の島々が存在します。

その中の島々を訪れる夢が膨らみます。

 

 

こうやってのんびりと美しい大自然の中で過ごす事が出来ることに幸せを感じます。

昔の日本はどこでもそうだったんでしょうね。

 

 

 

でもこうやって私がのんびりと日常で仕事ができ、長期バカンスに出られるのもパートナーがしっかり働いてくれるからであり、それを考えるとパリから離れることは難しいですね。。。日本語教師の収入は国はどこであれパート程度の収入ですからね。

 

 

将来も日本の中堅都市に移り住んで、やはり旅は楽しみたいですね。

今回の日本滞在では東京の人口増加に驚きました。行くところ行くところ人が前より増えている。それに都内各地で色々な規制が厳しくなっているのが行っただけでわかりました。

あまり規制の厳しくなかった90年代に東京で青春を送っている身からすると、何だか窮屈かんがある。

 

 

具体例ではあちこちの路上での音出し禁止とかね。憩いの街高円寺でも古い飲屋街で路上で警察が見張っているとか。。。う〜〜〜ん何なんだろうこういう窮屈な感じ。

 

風営法を使って、今までこじんまり経営していた大衆的文化的なクラブが摘発されたりとかね。。。

 

 

商業主義すぎて、便利になりすぎて、人間的なコミュニケーション取れる場がどんどん減っている感じ??

 

店もものすごく機械的すぎるし。。。なんか人間的な感じが薄れている。。

 

 

 



なんか東京の魅力がめっちゃ半減している感じに目に映りました。

 

1億2千500万人のうち
東京メトロポリタンに住む人々が3600万人

その他約9000万人が実際に地方にいるわけだからね。

 

地方都市だって絶対仕事だって文化的な生活だってあるはず。

いや今は地方の方がずっと面白いのでは。

 

 



通勤ラッシュがないだけでもいい。


以前、震災の後西日本へ移動、九州をぐるぐるした時、関東から面白い人たちが
地方や海外に移住しているのを肌で感じたし、


ああ、東京がいろんな経済発展の歪みの負の部分を背負ってくれている、東京お疲れ様って思ったのを思い出した。

こんなに地方はいろんなものが豊かに残ってるって思ったことを思い出した。

 

 

まあ、隣の芝はよく見えるっていうのよりも、
ちょっと東京の規制のされ方に疑問を感じた方がいい。
 

 

 

 

 

 

話が逸れて行くので戻すと、



今回七週間半のバカンスに踏み切ったのも、
彼の仕事がひと段落落ち着き、彼のパートがもう終了だと思ったので、(実は帰ってからすぐ最終話のストーリーボードを依頼される)次の新しいアニメ制作の仕事を探す前に長期でバカンスに行きたい、という彼の切実な思いからだったのですが。。。。

 

長すぎて私の仕事に支障が出るのは困る。でも1ヶ月半なら何とかなるかも、う〜んどうだろうか。。。と心配していると、バカンス文化のフランス人は、私が2ヶ月近く離れると言ってもみんなああそうですか、と。あっけない返事。
1人だけ、日仏家庭の日本人のお母さんは驚いていたようですが、私が日本にも帰るというと納得してくれたようでした。まあ彼女の家の近くに私ぐらいしかまともに日本語を教える先生がいないんだから受け入れるしかしょうがないという感じだったのかも。


実際は私離れた生徒も存在して、まあ私の休みのせいか、日本語の勉強が大変で辞めたのか真実はわからないのですが、捨てる神いれば拾う神ありで、また新しい生徒も仲間入りし、だいたい同じ生徒数を保っています。


ネットで広告を出すとすぐに生徒が見つかるので今回も広告を出してから一週間で
広告を取り下げました。やはり日本の学校での教えた経験が効いているのかなあ。
それともパリでの日本語需要が膨らんでいるのか。。。。他の先生も生徒がいるようですし、両方とも言えるかもしれません。