ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

日常の退屈を脱却するために

日常の退屈を脱却するためには、無い物ねだり、まずこれを脱却するに限る。


だいたい、今あるものがどれだけ大切かなんて、もともと持っていたらよく分からない。


父親とか母親とかそういう家族なんかはその最たるものかもね〜。



それから本気でする。何でもいいんだよね。趣味でも、仕事でも本気。


これが一番、自分の為になる。まあ好きじゃないことなんか本気にならないから、自ずと好きなことになっちゃうけど。


私は、もともと短距離走者で、まあティーンの頃は100mの選手だったんだけど、そういう性質が今もあるな。

子供の頃に身に付いちゃったんだろうね。部活でトレーニングを毎日のようにしていたからさ。


45にして、あの陸上部のハードな練習は良かったんだなあと初めて思ったよ。笑



なので今の仕事は、授業中、短期集中してやって、それから無いときはのんびりして、と自分にあってる。


なので、本気の授業が終わった後はスッキリ。爽やか。



それで、今の仕事で最高なのは、自分一人で働いてるから、一人で全部決められる事。

人生の幸せ度っていうのを図った場合、フリーランスで働いている人の度合いが高かったっていう記事を読んだことがある。

仕事の充実度は日本語学校で働いていた時の方が良かった。生徒は初級から上級者までいるし、授業直前にキャンセルされる事もないし、
他のベテラン先生が教えてもくれるし、

でも、働く満足度は今の方がずっと上だなあ。


日本語教師で新大久保で働いていたときは楽しかったけど、寝る前に布団の中で、何このブラック業界〜〜とか思って悔しい思いをしていた。
電話労働相談室とかそういうところにも電話したし。絶対勝てるから裁判やるしか無いって電話越しに言われて。そんなお金も時間もない。

まあその後自分の労働時間を半年ぐらい記録して、時計や状況の写真とかもとって、将来仮に訴えたとして、と想定して動いた事もあった。笑
業界全体がそうだったからね。で、海外青年協力隊の給料がいいらしいっていうのを聞いて、募集要項が学校での経験が2年以上だったから

2年は我慢してやるぞってその労働時間記録するのをやめたんだよね〜。


まあそういう思いして、色々考えてはいた。まあ人生全然違う風に転がって、原発があって、今に至るんだけど。

私の人生は原発事故でかなり変わったんだよ。


まあそれはそれとして置いといて、

今年の
夏休みは8月下旬から10月の3週目ぐらいまで七週間半旅行に出る。こうやって、働ける今の状況に感謝だ。


毎年大体1ヶ月から2ヶ月のバカンスに行く。


フランスのバカンス文化で、生徒からもお咎め無しだし、ついて来てくれるし。だって生徒自体もそれくらい夏休みとるしね〜。


でも、これだって自分でフランスを選んだ訳じゃないし、そういう日本に興味のある人が多いバカンス大国だっていう状況だっていうのも元々はしらなかった。



こういう私に合った状況だから、別にお金とかあまり関係なくて、続けていける。彼とか男だけって理由で他の国は居れないよ。

実際問題。まあ他のそうやって結婚して来ている人は家族が出来て、それが理由で居るよね。

独り身の人はいくらこっちで好きな人が出来ても、その他の生活が成り立っていなかったら、日本に帰っちゃう。



まあ、こんな事言って、全然日本語教師オススメしないんだけどね。


まあこれから日本でも外国人労働者がどんどん増えるし、需要のある職だね。これから日本で対価が上がることを望むよ。




外国でやっていくにでも、色々大変だけどね。

私程度のフランス語能力(B1レベルになる途中、高く無いとほほ)でも続けていく生徒がいるのは、やはり日本での経験がある人が少ないっていうのが1番で、次に話題が多いって事だと思う。


ヨーロッパの日本語学習者は結構もともと頭いい人たちが多いから、話題が多くないと、授業がつまらなくなっちゃうかもね。

今一番長く教えている人はもう5年になるかなあ。例の外務省の人。この人多分外国に移住しない限り私の元で勉強すると思う。






まあ、やめようと何度思ったか、でもそれでも続けていってようやく今の自分のスタイルで働けるようになったのかな。

これからも、まあ自分なりの方法で我が道を往くでやって行くよ。





まあ、要するに辞めなきゃ何かが開けていくって事を実感しているよ。


 日常の退屈を脱却するには

本気になり、それで辞めない。これだね。



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