ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

文化が潰されていく危機

みなさま、お久しぶりです。


前書いたものを少々訂正して書き換えたのですが。。。。

今フランスのパン屋さん全体の

電気代が月7000ユーロから1万強ユーロになって、閉店を余儀なくされている店が多いんですよ。

フランスはパンが主食ですからね。

 

毎日パンを食べる。日本人が米を食べるみたいにね。

基本商業系の電気代が値上げされ、

人気レストランとか企業だったら
月100万円値上げされても、痛いけどなんとかやっていけるような気がするけど
個人家族経営のパンなんて、1ユーロ2ユーロの商品を売っているところに、

100万円の電気代。。。。驚愕

 

 

とんでもない話

私の家の近所のパン屋さんがカンボジア人で、なにか日本人の私に親近感を感じているらしく、

行くと普通の人よりちょっと話しかけてくれる。

まあそんなにパンをしょっちゅう買うわけじゃないので

たまに行くくらいなんだけどね。

2023年の6月から毎月7000ユーロの電気代を払っていて、それ以前は月2000ユーロだったので
3倍以上になって、本当に大変。
それまで従業員一人毎日雇っていたんだけど、その人に土曜日だけ来てもらっている。

現在は奥さんと旦那さん二人だけで店を切りもりしている。

コロナの前は、黒人のちょっとした下働きの人もいたから、
四人働いている人がいたんだけど、今は基本二人だけ。

コロナ禍をようやく抜けたと思ったら、、、、、

7000ユーロって月100万円ですよ。電気代だけで。。。


ケーキ類を1ユーロ上げして、(約150円の値上げで)
5ユーロから7ユーロになっている。。。。

それからバゲット フランスパンは 20セント値上げプラス小さくなっているし、

クロワッサンもかなり小さくなっている。。。

割高感は否めない。。。


顔が本当に憔悴しきっているよ。


ラーメン屋の日本人雇われシェフの人も
9000ユーロ払っているって、言ってたんだよね。

その値段はその店が入っているレストラングループ全体の金額だと思っていたら、

ラーメン屋一軒の話だったみたいですね。。。。。

 

まあ雇われシェフなので
その人の給料にはまだ響いてないらしいですが、

 



そうするといかに自分の店で仕込むと、電気代が
負担になるという事ですよね〜〜。。。


これから、どっか工場で作ったものを
店で出すっていう方式にどんどんなっていくのかな。。。。
























権力の姿を垣間見た時

最近、昔のブログの整理をしています。

はてなブログがブログはてなに移行するときに、ちゃんとタイトルと内容が

一致されていなくて、タイトル無しの文章のみと、タイトルのみの文章なし

に別れてしまっているんですよ。

その中で、新たなタイトルをつけたこの記事


 

halloo.hatenablog.com


懐かしいなあ〜〜。

私がベルリンに足を踏み入れたのは2001年、

もう20年以上も前のことなんですね。今の若者には大昔のことかもしれないけど、

私にはまだはっきりとつい最近のように覚えていますよ。

当時は、まだベルリンが貧しくてね、ベルリンは東西ドイツ統一の首都になったは良いけど、

まだまだ経済発展してなくて、ビジネスの中心はフランクフルト、そして主に西側だったんですよ。

ベルリンは東の孤島だったんだよね。

で、ベルリンには新しく統一された国の機関が移動して、その建設ラッシュ。


ぽっかり東の国営企業がなくなり、東ドイツの国会も秘密警察も、国の機関も全てなくなってしまったんだから。


で、この2007年くらいまでは、

その統一後混乱の中でまだベルリンの庶民の活動まで手が回らず、各種パーティーを含む
申請なしの、ビジネスが横行していた。

申請無しのビジネスってね、いわゆる税金申請をしないビジネスってこと。





私は今、寺子屋のような日本語家庭塾というかフリーの日本語教師で、
ちゃんと申請を出して、22%弱の税金を納めている。



当時のベルリンは、そういう申請していないビジネスが横行していたんだよね。

 

ドイツではシュワルツ、フランスではノワール。いわゆるブラック、黒っていうこと。


でもブラック企業よりもずっと良くてね、
働いている人はほぼフリーで、その都度友人などを集めてパーティー開いている
その売り上げはもちろん、その人たちの所属するグループで使われたり、働いた人にちゃんと配られるよ。


それは、執行猶予中というか、政府も統一に忙しくて何も手が回っていなかった。
予算もなかったということだよね。



で、2007年はその申請無しのビジネスを片っ端から警察がしょっぴいていたというわけ。


で、たとえば、この護送車をこのパーティーに10台以上送り込んで
で、5〜60人ぐらいの武装警察官を送り込むにはお金がいるんだよね。
みんな仕事しているわけだからさ。

で、このパーティーのオーガナイザーはず〜〜と後から聞いた話では
3000ユーロぐらいの罰金を支払ったらしい。

無許可営業&無許可でのお酒の販売をダブルで食らってね。


で、この2007年を機に、こういう空き地や空き建物を使った
無許可の面白いパーティーが急激になくなっていくんだよね〜。


なんで、数ヶ月前までは何年間もこういう商業活動、まあ統一前の西ベルリンの時は

そういう取り締まりが一切なかったらしいから、

まあ69年から始まったと考えても、40年近い歴史があったんだよね。


 

 

権力 対 庶民の戦い。

先ほどアップしたアフリカで使われているフランの闇強烈でしたね。

ちょっとそれから、日本では体験できない海外の事ってリクエストって事にお答えしようと、

ベルリンのデモ兼パーティーなんかを紹介したんですが、世界各地には根強い抵抗する文化というのがあって。

 

結構人権が守られている国では、抵抗できる環境なんですよ。

 

抵抗する権利なんですね。


で、私が体験した権力と庶民の戦いは、ベルリン、ペルー、日本ですね。

ベルリンでの社会運動って実はすごく楽しいかったんですよ。まあ、私はベルリンで初めて体験したんですが、基本権力との戦いなんですけど、燃えるんですよ。

それにみんな助け合いで、キャンプやってご飯一緒に作って。そういうみんなで協力してやるデモの歴史が長いんです。ドイツは。

そのおかしい権力に抵抗しようって感じで、ベルリンはパーティーだけじゃなくてどうやって、その輪を楽しく広げていって、みんなのコントロールされてしまった世界を解放するにはどんなことを皆の心にうったえるのか?そういうのがみんなのデモの根底にあって。

プラス戦う事は楽しい。そんな感じだった。特に男性はね。戦う事の楽しさをデモで体験して、それでネットワークを作っていましたね。


ベルリンでは、ドイツでは自分の主義主張が口に出して言える権利があるので、そんな感じだったんです。

 

 

フランスでは命や身の危険があるので、参加するデモはなんでもというわけには

行きません。目とか腕とかこの国の為に失いたくないですから。

 

もちろん、日本でもね、デモはあったんですよ。


かなり良かったのは福岡で参加した2011年の5月か6月だったかな?脱原発デモですね。

絶対に捕まる人を出さないってようにって、気をつけながら

特に交通ルールを守って、街を練り歩く(デモ中はすぐに違反とられることがあるんです)

デザイナーの女の子が、色んな髪飾り作ってくれて、おどりながら

行進して。


音楽ガンガンかけて、その時の合言葉を言い福岡の天神を練り歩きましたね。






日本での民主運動の戦いって、本当に真剣に深くやっている人たちはものすごく熾烈な嫌がらせ、日常茶飯事なプロからの嫌がらせを受けることに発展するんですよ。本当に汚いというか。だから、広まらないんですね。

色んな変なものが家に送られてきたりね。まあ嫌がらせの脅迫の手紙がよくある手らしいんですけど、そういう日本のいじめ体質につながる

個人攻撃がプロの手でされるんですよ。

 

山口県原発問題は、お手伝いしている人とか、大変だったらしいです。

それが発展していって、裁判にかけられたりして、

まあスワップ裁判というんですが、日本は人権がないんです。

デモの最中に道に新たに、手書きの交通表札が警察によって作られて、あなた
交通違反していますねって。


それから、トラックの後ろにサウンドシステム乗っけていて、その荷台に乗ったら、
ドワ〜〜〜っと警察が違反だ〜〜〜〜とその人一人をを五十人ぐらいで捕まえるんですよ。


汚いんですよ。


そういえば、原発のドキュメンタリー作ろうとした若林孝二監督。発表後交通事故で無くなりましたね。本当に発表した後数ヶ月経って。。。。恐ろしいです。
日本赤軍の映画を作って、それが映画祭ベルリナーレで賞とって、昔のピンク映画とか特集組まれていましたね。私はその年、この監督にベルリン映画祭の取材
ベルリン自由大学の学生たちと一緒にインタビューに行ったんですが。。。

 

影響力のある人が
市民活動すると、暗○になっちゃうのかな。。。。

ジョンレノンとか。




ドイツは人権があるから、活動家の人も国の生活保護で、食べていけて、社会活動を続けていったり、
デモで警察に捕まっても、最初の拘束時間が48時間までという規定があって、そこで

解放される。

日本では3週間なんですよね。留置所に送られるのが、だから、よっぽどの人じゃない限り本物の社会活動が続けられないんですよ。



フランスも全然人権なくて、日本より最低で亡くなっちゃう人いるんですよね。
黄色いベスト運動で、数人〜十人は警察の手榴弾で亡くなっているし、
それから何十人も目を失ったり、腕を失ったりしている。

https://halloo.hatenablog.com/entry/2019/03/05/213120


恐ろしい国なんですよ。






そういえば、昔ベルリンで体験した庶民たい権力の攻防。描いたことありましたよね。

https://halloo.hatenablog.com/entry/20140314


まあ、その他にも目の前で起こった事、

自分のブログを読み返して、書いてなかったら書いてみます。








アフリカで使われているフランス通貨。。。。やばい


フランスに正式に移住したのが2012年9月

10年以上が経ち、ようやくこの通貨の事を知りました。
恥ずかしい限りです。

アフリカで使われているフランス通貨。。。。やばい

 

 


www.youtube.com


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私の彼に、このフランの事知ってた?って聞くともちろん知っているよっと。なんでこんな大切な事教えてくれなかったん?って言ったら、

ええ?話していたよ〜、カダフィがなんで殺されちゃったのかさ〜。
いや〜〜、そんな話したかな?

とにかく、フランスは今でも植民地支配しているって話でまとめて、
この通貨の話はではしていなかったのは確か。



これで、やはりこの国おかしいよっていう私の意見は本当にハッキリとした。





それから、それから久しぶりにコメントしてくれた方ありがとうございます。

実は、私にとって今まで衝撃を受けた人生を変える体験、なかなか人生で出来ない体験って

日本でのことなんですよ。

でもまあ、海外限定でということでいうと、やはりベルリンで体験したデモでしょうね〜。

いつも思うのですが、ヨーロッパでは世界問題の渦の中にいるので、満遍なく意識している人が

多いですがね。

何も日本人は知らないように、興味のないようにされている。

私も、日本にいるときは何も知りませんでしたよ。

そして、ベルリンでパーティー三昧している2001、2年当時も、何も知らなかったのですが、

ある時、そのパーティーが実はデモっていう事を知って。


そのデモ兼パーティーで自分の意見を主張するんだよ。ドイツ人はっ!って


おお〜〜すごいな!ドイツ人って思ったんですよね。ただのパーティーじゃなくて
政治的意見を主張するパーティーってなんなんだろうって。


よく知ると、ドイツ人って本当に政治的な辛酸を何十年って舐め続けて、

世界政治を信用していないんですよ。


だから自分で考えないといけないってそういう教育なんです。

そういう事を知っていって。で、目の前に繰り広げられる

市民 対 警察の戦いがあった。


そういうメーデーとかデモに参加するのです。

それが、海外で開眼させてくれた体験かな。


でも、もうそういうベルリンも無いんです。。。。。。悲しい。


で、2011年に福島事故がありましたよね。


あれで、揺さぶられたんですよ。全身と脳みそを。


2年間の放浪の旅も、海外旅行何百都市のあの体験よりも

 

はるかに


この事故の後体験の方が、強烈に私の中に残っています。

 

 

原発事故の後、避難も含めて祝島へ行きました。

 

そこでは40年新しい原発の着工工事の反対をして戦っているおじいちゃん、おばあちゃんたちがいて。。。

色んな伝説がある。

まあ写真集になっているのですが。

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E9%9B%BB%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E2%80%95%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E7%A5%9D%E5%B3%B6-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%86%E5%B3%B6%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E9%82%A3%E9%A0%88-%E5%9C%AD%E5%AD%90/dp/4915970310

 

身体をロープで大船に縛りつけて、一晩あかし、海を汚染させないように、その船を動かさないように、周囲に小さい漁船を括り付けてバリケードを作ったとか。

 

その島で写真集を見せてもらって、感銘を受け、そのあと一緒に中国電力株主総会まで行ってそこで座り込みをしたこと。

本当にいい思い出です。

そのお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、
農業と漁業の兼業をしている方もいて、ものすごい仕事量の合間にそういう反対運動を
体を使ってしている。

それからその島がある山口県で、その反対にカヤックで応援をしていた人々。

山口県で自然農をして幼稚園を営んでいる方、やそれから手作りで塩作りをしている方にあって、農作業をさせてもらった事。


ちょうど自分が原発事故で避難をしている途中だったので、シンクロして
感銘を受けました。


まあ、その後、福岡に行ってね、仕事を探して、福岡もなかなか日本語学校が沢山あって良かったんですが、もう都会には住みたく無いな〜〜ってね。

ネットで日本語教師の仕事を探していると、沖縄で求人があるのを見つけ、沖縄へ渡るのです。


ドイツで社会活動家のように動いていた友達も、その祝島の方たちには
及びません。

農民として漁師として二足草鞋プラス、原発反対に身を捧げ、体が動く限り、身をもって動いているあのおじいちゃん、おばあちゃんたちの凄さ!


なんでも、その島では7世代先の子孫の事を考えて、働くという言い伝え
らしいんです。













暇なので自己紹介


フランス全体が夏休みに入り、仕事もキャンセルが多いのでハッキリ言って暇というか、久しぶりにのんびり。

もうブログというものは人気がなく見にくる人も少ないですが、いつも沢山星付けてくれる方、本当にありがとうございます。

現在生活記録日記ながら、励みになります。


で、自己紹介文って前の旧はてなブログのフォーマットで残ってはいるんだけど、読めるようになっていない感じなので、ちょっと修正して紹介します。

2006年からブログを書き始め、まあその時はベルリン滞在中だったんですが、自分を旅人だと思い込んでいたんですよね。

今は自分は旅人だとは思っていなくて、好奇心旺盛な平凡な女だと。少々の旅と日本帰国、そして生活がしていけるだけ稼げて、楽しく生きていければいいと。

とりあえず今は曲作りと、語学の勉強と仕事がメインで生きています。


では自己紹介始まり始まり。


普通の公務員の家庭で育ち、寄り道もあったけど、その時々のコモンセンスに漠然と疑問を持ちながらも、高校大学、就職と皆と同じように進んで来た。

少しづつ道が外れて行ったのは、大学時代にバンドにのめり込んで

音楽漬けだったことから、野外フェスに足を運ぶようになる。沖縄のミレニアムパーティーで、今までとは全然違う価値観の日本人との出会い、次訪れたバリで世界を旅する外国人バックパッカーに出会い、急展開でどんどん外れていくように。

海外に出たあと、恋愛を含め様々な人間模様に出くわし、異文化を深く感じる。

大分遠回りをした後、社会の汚さやおかしさは世界どの国にも共通にあること、その中で自分自身、自分の身近なことだけは自分で何かができると思うようになったこと。

自分の行動、経験、努力が人間として成長させてくれると思っています。

旅が好き、自然が好き(進行形)、野外パーティーが好き(だった)。

今一番好きなのは野外で歌うこと。

友人宅

の庭や近所の森でセッションしています。

 

1999年に初めてバハマへ社員旅行で行ったのがきっかけで、

それから怒涛の旅生活が始まる。

世界35カ国を旅して、一か国、1ヶ月以上の滞在がほとんど、訪れた街は400を超えると思う。

 

 

1999年1カ国目バハマ社員旅行、2カ国目米国、

2000年3カ国目インドネシア、4マレーシア社員旅行、

2001年2年間のバックパッカー、一人旅開始

5タイ、6カンボジア、7UK、8ベルギー、9ドイツ、10オランダ

11ポーランド、12チェコ、

2002年13アイルランド、14スペイン、15オーストリア、16イタリア、17スイス、18フランス日本帰国 ベースはベルリンとゴルウェイだった。長期旅終了 

2003年 1ヶ月の旅行で再びドイツ19フィンランド、20スウェーデン、21デンマーク

2004年ベルリンに定住開始 22トルコ、

2008年日本帰国 日本語教師開始

2009年 23インド、24ネパール この頃インドは4回

2010年日本語教師を一時的にお休み再びドイツ、25スロバキア、26ハンガリー、27ルーマニア、28セルビア、29ボスニアヘルツエゴビナ、30クロアチア、31スロベニア

2011年沖縄滞在 日本語教師再開

2012年 32初中南米の旅ペルーへ。その後フランス定住開始、念願の自営業者になる。タイのパンガン島にはまり、6回ほど行くことになる

33モロッコ

2015年34ミャンマー、2012年からほとんど国数が増えず、何度も同じところや過去行った事がある国に再び足を運び、

最後は2020年35カ国目メキシコ



2年間のバックパッカーの経験後、ベルリンに住み、現在はパリ近郊滞在。

各種異なる仕事の経験やボランティア経験多数有り。

このブログの主な記事は、海外生活応援。一歩一歩遠回りするたびに人生の輪が広がる。と人生という旅の応援です。(最近は単なる日記ですが)

 

学生の頃は英語がめっちゃ苦手、というか覚えるだけの勉強が出来なかった。

全ての言語は基本が学校で文法を理解し、

実際に使いながら覚えていく方式。使わないと覚えられない。

英語B2,仏語B1 ドイツ語A2レベル 

最近ドイツ語話す機会がなくどんどん抜けていってるのがもったいないな〜と思う。

40歳から仏語を本格的に勉強し始め、時間がかかっているが、なんとかフランス語で日本語の授業もこなしている。


海外生活トータル、旅も入れると、とうとう20年という大台に。。。。。いつ日本に本帰国できるのか、それとも2拠点生活デュアルライフになるのか。。。。海外生活が長くなっても基本の自分というものは変わらないですよ。実はね。

最近行っているフランス語学校やばい

こんにちは!フランスに戻ってから現在またフランス語学校に行っているんです。

朝9時から11時まで。で、午後は仕事。

最近自分のフランス語能力が上がった気がするので、ちょっとちゃんと確認しようと

文法事項とか言葉とか、


知っていたり知らなかったり丁度いい感じです。

今年できたらDelf B1受けたいですね。


で、来年はB2フランス語を勉強したいな。で、じっくり長い時間かけてB2をマスターしたいですね。

そうすると、私の英語力と同じになるので、言葉を気楽に使えるようになる。まあ、目標ですが。



で、パリで一番安い私立の語学学校13区のフランス語学校に行っているんです。
1ヶ月毎日2時間で、245ユーロ
12ヶ月一括払いで2000ユーロらしいです。かなり安いと思います。

自分的には立地は最高なんですよ。バスとトラムで移動で、帰りはバスには乗らないで歩いている。

 

パリのメトロに乗らなくて良いって、本当にストレス軽減なんですよね。


それから中華街で買い物してから帰れる。これもね、アジア系食材や新鮮な野菜類が安く買える。

で、生徒もアジア系が多いから、細かく説明しないと、みんなわからないんだよね。
だから条件は良いんです。

 

で、学校のWi-Fiに繋ぐと、

日本のサイトが結構制限されている。

私のこのサイトも見れないんです。
マジ!?   

変だな〜。

肝心な 先生。

ここのB1の女性の先生がやばい。。。

顔を見ると、あっち系の民族の人で、まあディレクターの顔もあっち系なんですが、

あっち系って、このブログをよく見ている人ならわかると思うんですが、

世界の経済を握っている民族ですね。




で、話す内容がものすごく偏っている。政治的なマニピュレイト(洗脳)系で、

 

ワク○○は3回打つのは当然とか、

地球温暖化問題の話は毎日。ここ1ヶ月半通って毎日言っているね。

それから露ウ戦とプの話も毎日だね。


洗脳ってリピートしてとにかく、偏った考えを信じ込ませるっている


 

この民族には教育ってものすごく大切な教えで、

それには賛成なんだけど、


海外からやって来たまだ若い生徒にをあっち系の民族の考え方をすり込んでいくみたいな。


いや〜怖いです。





フランスってマニュピュレイトの国なんですよね。


とりあえず、同じことリピートみたいな。

日本のジャーナリズムもそうですが。とりあえず、1000回リピートしたら

嘘も本当になるっていう。

 

このフランス社会の闇っていうものを体感している感じです。

 

 

日本滞在の思い出2

2ヶ月の日本滞在は長いようで短かったですね。特に風邪を引いたのが最後まで響き、途中寝込んでいましたから。

昨日の続き

5、アルゼンチン人の日系4世の男性が1週間泊まっている間にほとんど外出にお供できずに家で寝ていました。
この春はインフルエンザが流行っていたようですね。で、1週間ほど寝込んだ後にペーパードライバー教習に行ってきました。コロナ禍からよく車中泊ビデオを見ていてね、いやまず
車中泊より自分で運転しないとねっと、ようやく重い腰を上げたんです。週に1回2時間ほど教習所で練習していました。速度が60キロ越えると怖い怖い。本当に将来車中泊できるようになるんでしょうか?

6、風邪をひいて咳は出ていても週に2、3回は授業もしていました。去年の正月、実家に帰る直前フランスの専門学校から打診があって、埼玉の家に光ファイバーを入れたので、本当に
そのおかげで、気楽に仕事ができた。これで、来年は3ヶ月くらい居れるかもなあなんて。ふふふ。。。ワーケーションじゃなくて、デュアルライフですかねー。


去年、一昨年とワーケーションをした時の率直な感想は、あまり自分の旅のスタイルには合ってないなという事だったのね。だって冒険したいのに、ネット環境が良い宿を探さないといけないという。それもパソコンを常に持っているから、雨降りとか湿気とかすごく気になっていた。

バックパッカーをしながら、物を売ってお金にしていた時は、荷物が多くなって重くて移動したくないなって、なっていたけど、友人の家に置かせてもらって、行きたいところは行けていたし。それに、物を売っていたお陰で、出会いもあったしな。それに、農家で働いたり、ベビーシッターとかさ。言語能力もそのお陰で上がったしね。

長期の旅にはネットで働くよりも、物を売ったり現地で仕事を見つける方が楽しいことは楽しかったな。まあ、若かったからっていうのもある。



それが、今回は長期実家暮らしとなると時々暇になるし、自分の仕事も続けられるので、ちょうどいい。生徒さんにも日本に2ヶ月帰るけど、授業はして、途中日本国内旅行もするから、時々お休みもしますって言ってあってね。
フランスにとって、旅行は人生の中で大切な事っていうコモンセンスだから、別に後ろめたさもない。

エイッとちょっと2ヶ月長いけど、彼や生徒さんには申し訳ないけどって思ったけど、やってみてよかった。

7、体調がかなり良くなって、ギリギリの日程で、また友達に会いに岐阜まで行き、最後本当に駆け足で両親の実家の鹿児島、それからついでに宮崎と熊本へも行きました。
ベルリン時代のお友達が、岐阜の由緒正しい農家さんのお嫁さんになっていてね。まあ、もうその実家は農家はしていないんですけど、山を持っていて、そこで小さい自然農の畑を自分でできる分だけやって、蜂蜜もとって、味噌も作って、椎茸も栽培してって、感動したね。
ベルリンにいた時に、そんな農家をやる子だなんて微塵も感じなかったんだけど、
昔2000年初頭ベルリンにいた日本人女子はヤルっていう子が多かったのでね。
パリとかロンドンじゃなくて、当時なぜベルリンに?ってよく聞かれてた。ベルリンに何があるの?みたいな。特別な才能があるって訳じゃなくて行動力がある日本人女子が多かったんだよ。
特別な才能がある日本人女性はパリで、クラッシク音楽とかデザインとか、翻訳家とかジャーナリストとかね。超できる人が一部いるけどさ。

ベルリンは、行動力で何か面白い事をしていくって感じだった。あの時代のベルリンを共有している同志って感じで、特別なのね。今のベルリンとは大分違っていたからね。多分、1900年初頭のパリみたいな感じだったんじゃないかな。2000年前後のベルリンは。


また思い出話が膨らんでしまいましたが、

南九州遊州も楽しかったな〜〜。初めて高千穂峡に足を運んだんだけど、その隣町の五ヶ瀬村っていう味わい深いところに宿を取り、なんとたまたま宮崎県の旅行キャンペーンにぶつかってお得に旅行ができました。安くて、食べ物も美味しくて、環境が最高な昭和の宿です。
気に入ったので、HPの紹介だけしておきます。私は古い昭和の趣の宿の方に泊まりました。
http://www.yamame.co.jp/enohanoie.html