ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

アフリカで使われているフランス通貨。。。。やばい


フランスに正式に移住したのが2012年9月

10年以上が経ち、ようやくこの通貨の事を知りました。
恥ずかしい限りです。

アフリカで使われているフランス通貨。。。。やばい

 

 


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私の彼に、このフランの事知ってた?って聞くともちろん知っているよっと。なんでこんな大切な事教えてくれなかったん?って言ったら、

ええ?話していたよ〜、カダフィがなんで殺されちゃったのかさ〜。
いや〜〜、そんな話したかな?

とにかく、フランスは今でも植民地支配しているって話でまとめて、
この通貨の話はではしていなかったのは確か。



これで、やはりこの国おかしいよっていう私の意見は本当にハッキリとした。





それから、それから久しぶりにコメントしてくれた方ありがとうございます。

実は、私にとって今まで衝撃を受けた人生を変える体験、なかなか人生で出来ない体験って

日本でのことなんですよ。

でもまあ、海外限定でということでいうと、やはりベルリンで体験したデモでしょうね〜。

いつも思うのですが、ヨーロッパでは世界問題の渦の中にいるので、満遍なく意識している人が

多いですがね。

何も日本人は知らないように、興味のないようにされている。

私も、日本にいるときは何も知りませんでしたよ。

そして、ベルリンでパーティー三昧している2001、2年当時も、何も知らなかったのですが、

ある時、そのパーティーが実はデモっていう事を知って。


そのデモ兼パーティーで自分の意見を主張するんだよ。ドイツ人はっ!って


おお〜〜すごいな!ドイツ人って思ったんですよね。ただのパーティーじゃなくて
政治的意見を主張するパーティーってなんなんだろうって。


よく知ると、ドイツ人って本当に政治的な辛酸を何十年って舐め続けて、

世界政治を信用していないんですよ。


だから自分で考えないといけないってそういう教育なんです。

そういう事を知っていって。で、目の前に繰り広げられる

市民 対 警察の戦いがあった。


そういうメーデーとかデモに参加するのです。

それが、海外で開眼させてくれた体験かな。


でも、もうそういうベルリンも無いんです。。。。。。悲しい。


で、2011年に福島事故がありましたよね。


あれで、揺さぶられたんですよ。全身と脳みそを。


2年間の放浪の旅も、海外旅行何百都市のあの体験よりも

 

はるかに


この事故の後体験の方が、強烈に私の中に残っています。

 

 

原発事故の後、避難も含めて祝島へ行きました。

 

そこでは40年新しい原発の着工工事の反対をして戦っているおじいちゃん、おばあちゃんたちがいて。。。

色んな伝説がある。

まあ写真集になっているのですが。

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E9%9B%BB%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E2%80%95%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E7%A5%9D%E5%B3%B6-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%86%E5%B3%B6%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E9%82%A3%E9%A0%88-%E5%9C%AD%E5%AD%90/dp/4915970310

 

身体をロープで大船に縛りつけて、一晩あかし、海を汚染させないように、その船を動かさないように、周囲に小さい漁船を括り付けてバリケードを作ったとか。

 

その島で写真集を見せてもらって、感銘を受け、そのあと一緒に中国電力株主総会まで行ってそこで座り込みをしたこと。

本当にいい思い出です。

そのお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、
農業と漁業の兼業をしている方もいて、ものすごい仕事量の合間にそういう反対運動を
体を使ってしている。

それからその島がある山口県で、その反対にカヤックで応援をしていた人々。

山口県で自然農をして幼稚園を営んでいる方、やそれから手作りで塩作りをしている方にあって、農作業をさせてもらった事。


ちょうど自分が原発事故で避難をしている途中だったので、シンクロして
感銘を受けました。


まあ、その後、福岡に行ってね、仕事を探して、福岡もなかなか日本語学校が沢山あって良かったんですが、もう都会には住みたく無いな〜〜ってね。

ネットで日本語教師の仕事を探していると、沖縄で求人があるのを見つけ、沖縄へ渡るのです。


ドイツで社会活動家のように動いていた友達も、その祝島の方たちには
及びません。

農民として漁師として二足草鞋プラス、原発反対に身を捧げ、体が動く限り、身をもって動いているあのおじいちゃん、おばあちゃんたちの凄さ!


なんでも、その島では7世代先の子孫の事を考えて、働くという言い伝え
らしいんです。