これからシリーズで書いていきたいと思います。
私が昔のベルリンから学んだこと1
まず、相手の意見やしたいことを尊重するということ。
まず日本と文化との差をはっきり感じた相手の行動を尊重するという行為。
それはいたるところに、大小隅々に行き渡っている。
この相手を尊重するという行為を徹底すると、日本での悪習、出る杭は打たれるが無くなると思います。
道端のほんの小さな例。
あるカップルが日中道端でディープキスならぬディープいちゃいちゃを始める。
私は目が点、いやーこんなところでーそこまでーとそのカップルから目が離せないでいると、
隣にいたドイツ人の友人から、そんなに見たら失礼だよ!と注意された。
えええっつ 私的にはこんなところであんなに大胆にいちゃいちゃしているのが失礼なんだけど、と言うと、
ジロジロ見る方が相手の行動を制限して失礼という感覚があるという回答でした。
そういえば、日本では人の目が気になって、自由奔放に振る舞えないということが多々ある。
よくいえば和の精神、悪くいえば不自由。
私がベルリンでものすごく住んでいて楽というか、自分が自分でいていいという感覚につながった。ドイツでも他の地域特に田舎は日本と同じなところもあるだろうと思う。
もう少し大きな例。
例えば、ベルリンやドイツではデモが有名。
日本と違ってデモが文化のように頻繁に行われる。それはもう自分の考えを表に表現して声に出して良いよという行為。
もちろん日本と同じように申請しなければならないけど、その表現は法の元で特定の相手を誹謗中傷するような表現にならなければ、
大抵はオッケーされる。
それを何、あの人変な人たちーと変な目で見たり、妨害するような人もいない。
はてまた日本の様にデモに参加するより、警官の方が数が多くなるという事もない。
私は何度か日本でデモに参加したことがあるけど、だいたい反原発のデモなんかは、ところどころ妨害する役割の様な人がいて、参加者を脅しにかかる。
まあ、デモなんかはベルリンだけじゃなくドイツ全体でも当てはまるけど、
昔のベルリンと書いたのは、やはり自由な表現や行為というと昔のベルリンはダントツだった。
まあ行き過ぎかなあというのはあったけど、その後政府から、必要以上に別な理由を付けて取り締まりが厳しく行われたり、地上げされてお金のかからない表現の場が失ってしまってねー。
例えば、使われていない所有者のいないビルでお酒のライセンスなく販売していたイベントに武装警察官が100人以上、護送車が50台ほど来たことがあった。警察が持ち込んだ物凄い強いライトアップの中、お客など参加者を全員ビデオで撮影されるという現場に遭遇した。何が起こったのかまるで分からず、イベントのオーガナイズサイドの人から聞いた話では、
結局、その処分はお酒をライセンス申請することなく販売したため、責任者が罰則を受け、何千ユーロの罰金を払って問題は終了したという。
それにしても、あれは本当にやり過ぎだと思ったよ。どんな犯罪があったのか・・・・?
昔のベルリンにたくさん存在していた政府の管轄下にない商業行為を完全に取り締まるぞ!という行為を見せつけたものだった。
その後、そういう空きスペースでのフリースタイルのパーティーは姿を消した。
この話は政府とは国家とはという疑問に繋がります。
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