ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

海外で10年後でも未だに続いている友達

今回もベルリンの思い出話です。


ドイツを出国して10年も経ってしまった。


はあ〜〜〜、時の経つのは早いなあ〜〜〜。


出国して10年経っても続いているベルリンの友達はいる。


まあベルリンの友達と言っても、日本人女性数名と、イタリア人男性と、ドイツ人男性、それからブルルガリア移民でドイツ育ちの女性。


気軽に家に泊まりに行ける仲だ。


う〜〜ん、WGとかもして一緒に住んだ子とは疎遠になったなあ。


やっぱりウマがあって、一緒に遊んで、何と無く付かず離れずで、何かある時にはちゃんと助け合うっていうのが今の長く続いている友達だ。




私、今ではもう40代なので、ギブアンドテイクというよりギブを多くする感じって心がけているけど、若い時はめっちゃ適当だったよ。



イタリア人とドイツ人とブルガリア人の3人は本当に面倒見が良くて、本当にお世話になったなあ、それは


今でも深く思い出に残っているよ。


人には優しくするもんだね、時間が経ってもちゃんと心に残っているよ。



今の彼もめっちゃ面倒見が良いよ。


こういう面倒見が良い人ってギブに回る事が多くて、何も戻ってこないことも多いから、ちゃんと途中認識して


必要な時に相手を助けてあげたり、お返ししたりするのが大切だね。




例えば、イタリア男性、セブ(仮)パーティーで出会って、その後連絡を取るようになる。セブは背が低くてそんなにイケメンでも無いんだけど、ものすごく可愛い女の子と付き合うのが得意。尽くし型なので、めっちゃ遊び人の女の子でも

尽くしまくって、最後に惚れさせる事が出来る。イタリア男の真骨頂だね。それで最後には女の方から追いかけられすぎて、上手くいかなくなったり、相手がワガママになり過ぎておかしくなっちゃうケースが

ほとんどなんだけど。。。。



そういう女性の浮き沈みをじ〜〜〜っくり話を何度も聞いた。過去の話からリアルタイムまでね。セブのイタリアの実家にも遊びに行って、愚痴を聞いてあげたり、とにかく愚痴の聞き役に

なってあげたのが良かったのかなあ。

一度セブがイタリアに一時的に帰国して2年仕事をしていた時、遊びに行ったんだよ(10年以上前に申し込んだイタリアの公立の英語の先生の仕事が10年後に採用通知が来る!まあ後でベルリンに帰る事になる)

あまりに彼の愚痴が酷くて、家族の事とかイタリアの事とかねで、ちょっと私いませっかくイタリアまで来ていて短い期間なんだから、もうそんな愚痴ばかり言わないでと、ドイツ流に直球で言っちゃったら

怒っちゃてね。でも最後ぎゅーっと相手を抱きしめて本当にゴメンね〜〜〜私が悪かったと謝ったら、それ以来さらに仲良くなったように感じる。







ドイツ人とは私の元カレ マル(仮)、この人もパーティーで出会ったな。

私の前に高校時代から10年付き合った人がいて、その1年後くらいに私と付き合って、それで別れた後、その同じ子と付き合い始める。

でも結局振られて。。。。

そんな話を別れた後、リアルタイムでよく聞いていた。まあ結局は友達として上手くいったということかな。


相手の女性は、ベルギーのEU本部に務める超上昇志向の女性。超肉食女子なんだよね。高級官僚の旦那と別れて、家がないところでマルの家に上がり込み寄りを戻し同棲スタート。

でやっぱり、マルは大学終わりの頃で、研修で薬剤師の仕事が自分にあってないって事が判明してやさぐれていた時。
(彼は長年、庭師だった。大学資格があるギムナジウムにも行っていなくて、大学入学資格を大検みたいなのを取って28歳で大学生になったのね。)

彼女は見切りを付けてというか、いいタイムングでまたエリートを見つけサッサと再婚しちゃう。マルとの同棲1年とその時期が被る。


本当にこれは相手に使われたっぽくてね。めっちゃ落ち込んで、その落ち込みが激しすぎて。

私は親身になって話を聞いて、どれだけ苦しいのかっていう身の上話を延々と聞いていた。


(私は元彼と言えども、そこまで深くならずに別れたので、友達になれたのね。その時も彼のプッシュは凄かったなあ。そう言えば。その時もエンジェルって言われたけど(笑)彼の頭で何か幻想を作っちゃうのね)



でも、また天使が現れるんだよ(笑) その次の彼女あったことあるけど、あまりドイツ人には少ない感じのフェミニンな優しい感じの子でね。
背が高くて、ちょっと天然入っているような。ああ、そうだよ、あんな上昇志向の人よりこんなほんわかな感じの子がマルには良いよね〜と

3年くらい続いていたかな。その後別れを告げられるマル。

冬のベルリンの極寒の中、暖房も壊れて、彼女にも捨てられて、これを機に彼がオカシクなってしまった。

ネットで本当にアレだけが目当てなかなりヤバ目のデートサイトで何人もの女性とワンナイトとかしていて、マルが狂ってしまったんだね。


それで、オレはもう特定の女性はいらないんだ〜これで幸せだ〜〜と言っていた。


途中、日本に帰国していた時は連絡も取らなかったんだけど、

私がたまにベルリンに戻っては話を聞くと、また他の女性と恋に落ちて問題の渦の中だったりして、尽くし型なので、内容がとんでもない無い感じだったりする。


ようやくマルが10年以上付き合った人と、その後の2人目の傷が癒え始めた時、その時使っていた変なデートサイトを通じて出会った女性に恋に落ちる。



それでその女性とある島に旅行に行ったんだよ。
マルはその飛行機代を出してあげたのね。その時は一番羽振りがいい時で、軍の薬剤師をしていた時代。

(普通の薬剤師は仕事が難しくて出来なくて、軍の薬剤師は書類にハンコを押すのと体を鍛えるだけだったから軍の薬剤師になる。。。。。ギリギリでドイツ軍が撤退して、マルはアフガニスタン派遣を逃れる)


せっかくのバカンスの初日に彼女が現地の小さい島に着いたら、なんとどっか行っちゃって。。。。。。

必死になってバイクで島中探していると、実は昔付き合っていた男がその島には住んでいて、その男に会いたいが為に、実はこの島に来たことを知る。。。。。その男とマルの彼女が一緒にいるところを目撃して、そこから泥沼の騒動になる。。。。

その飛行機代約1000ユーロ。。。それからホテル代とか、全部で彼女の分だけで2000ユーロぐらい掛かったと本人談。

もうせっかくのバカンスが台無しだしだとかお金とかそんなんじゃなくて、


もう心が張り裂けそうに苦しかった。それで、その女性の兄弟にも喧嘩を売ってとか、わけわからん話になって。


そういう彼のトンデモ話がいくつかあるんだけど、ひたすら話を聞く。いやあ、なんでそんな事になっちゃうの?というくらい話が日本にはあまり無い感じで、それでも話を聞いて、私なりの意見を言って相手を落ち着かせたり。。


恋に落ちたら、直球なんだよ彼は。私の経験でもそうだけど、ものすごく優しいけど、めっちゃ詰め将棋的に詰めて来る。
それで超が付くほど頑固で、ちょっと扱い難い女性としては。





なんか久しぶりに思い出した。みんな大変な思いで男女の仲をバトルしているのね。超肉食同士のカップルだから、トンデモな話になるのかな。



3人目のブルガリア人の女性

彼女は基本、ジャーナリストとアントロポロジスト(人智学)かなりヒッピーというかシャーマニズムに傾倒している女の子で、いまでは自分でキャンプリトリートのビジネスをしている。

彼女とは2006年からの友人で、私のもう一人のドイツ人の元カレもその他のベルリン市民番組を作っていて、アントロポロジーを勉強していて、彼女と会う事が多く友達になった。


現在はインディアンのスウェットロッジを2、3ヶ月に一度、インデアンスタイルのテントを張って数泊のセレモニー兼ワークショップを行っている。
(一度テレビで紹介もされた)

学生時代は、ベルリンの市民テレビに月に一度彼女とその当時の彼と他数名の友人と一緒に番組を作っていて、主にベルリンのデモのニュースや
ベルリンで何が今問題なのか市民の視点でニュース対談番組を作っていた。


たまに彼女がデモの番組を作るためカメラを持って街に出る時、一緒に行って手伝ったりね、それから一緒にフェスやパーティーにもよく行ったよ。それで私が2008年の出国の前は彼女のウチによく泊まらせてもらっていた。
その時は私がその元カレの別れがかなり痛手でよく話を聞いてもらっていたし、彼女の彼10年以上一緒にいた男性との問題のひたすら聞き役になっていた気がするよ。

それで最後出国前に一層親密になった。





私が2010年にベルリンに一時的に帰った時、ちょうど10年来の彼と別れたところで、まあその彼と2人で作った手作りのベルリン郊外の別荘に1人で住んでいた。(ベルリンにもアパートはある)

その田舎の家で彼女はありとあらゆるハーブを育てていて、本当に若いのに料理も上手いし、やっぱり12歳からドイツで育ってはいても、自分のルーツをいつも感じているようだった。



そこで彼女はペットとして大蛇を長年飼っていたんだけど、私がその田舎の家に泊まっていたときに、その大蛇(4mくらい?)が死んでしまって、一緒に

まあ気持ち悪かったんだけど、めっちゃ重いから二人でオリから出して、庭に穴を掘って埋めて、2人でセレモニーをした。


その大蛇は10年くらい飼っていたとか言っていいたかなあ。彼女はあの時、私が本当にいて良かったと大蛇は重すぎて一人じゃ運べなかっただろうし、思い入れのあるペットだったし、彼とも別れた時で、私と二人でセレモニーが出来て良かったと。たまに今でも思い出したように話す。


彼女は私の事をアントロポロジスト(人智学者)と呼んでいて、

私は何も知らないんだけど、私の旅の途中いろんな人に出会った話や自分の分析の話を彼女にしていてね。



彼女は個人レッスンのピアノの先生も出来るくらいピアノが凄く上手で、私が書いた曲頭で思い浮かんだような曲を譜面にしてくれたり、

まあ色々馬があう、こういう多方面にめっちゃウマがあう女性、あまりいないよなあという感じ。



彼女も相当な肉食女性でしたよ。


ベルリンでは男女関係はあまり上手くいかなかったけど、友人関係には恵まれていたなあ。






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