ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

護送車&武装警察に取り囲まれる経験。。。なんでやねん

いや〜。数少ない愛読者のみなまさま。ブログ最近怠っていましてすみません。

在独中は何かと忙しくしております。

最近の大きなニュースは

実は私とある友人が作った曲のビデオクリップが最近出来上がりまして
そのお披露目パーティがありました。

まあ、結構面白いイベントで、大きなステージが在るフロアーではDJが2人&ライブが2組。
もう一つのバンドはジャグージー(ヤクージー)といわれる結構名が知れたバンド。
その3分の1ぐらいの別の部屋では不思議なタイツと化粧にに身を固めた男性がライブパフォーマンスを延々。
そして、もう一つの小さな楽屋のような部屋では、美容室。
20年代を思わす格好のかわいいゲイのヘアーアーティストが20年代〜40年代のシャンソンに合わせヘアカットをしていたのでした。値段はドネイション。

お客は200人ぐらい

私の出番は午前2時。午後8時前には音あわせなどですでに来ていたので結構長丁場。

1時半ほどに事件は起こりました。
私は楽屋で一人ぼーっとしておりました。もうそろそろ出番なのでリラックスリラックス。

そこに警察の格好をした男性がやってきて僕の同僚はいるか?と
なんか変な格好してパーティに来ているな〜と
ただ思っていたらそれから五分後なにやらミュージシャンが楽屋に集まってくる

警察が来ているらしい。
階段を下がると推定40人以上は超える完全武装警察官がそのクラブの中でうろちょろうろちょろ

何かその辺の人に聞いてみると、このパーティーのオーガナイザーがお酒販売のライセンスを持たずに
運営したらしいとの事。

えええ???ちょっとたかがお酒のライセンス一つにこんなに武装警官が来るんかい??

ダンスフロアーには電気がこうこうと付けられ、警官が壁四方を固めていてビデオまでまわしている。

廊下には2メートル間隔で警官が出口まで並び、

外を見ると護送車が10台ぐらい並んでいる??外の警官の数もあわせたら絶対50人以上はいるだろう。

いや〜ここまでで集まると壮観だな

いままで、許可の無い公園野外パーティなどで、普通の制服の警官が3,4人で音を小さくしろとか
チェックしたり、終了させることはたびたび遭遇したが、こんな大事は見たのは初めて。


いや、実は4年ぐらい前からもうアングラなプライベートパーティーなどは結構警官の手によって厳しく管理され始め、少なくなっていた。

とうとう、自由なベルリンに、政府が作った身勝手な法律のもと、どんどん自由な活動が制限されていく。

だって、公園はみんなのものだし、空き地だって誰の所有物でもない。
それにベルリンには所有者が居ないビルがあって、それは法律上だれの物でもない。

そんな場所を、みんなで使ったっていいでしょ〜〜〜〜。

ほんと、国は秩序と言いつつ庶民からお金を取り立てたいし、自由を制限したい。



まだ昔ほどではなくなっていたが、それでもパーティを愛する
人々の手であれやこれやでお金のあまり掛かっていないイベントは細々と行われていた。


お酒のライセンスとって無かったといってもね、これを見たとき見せしめだなって思った。
だってあんな沢山の完全武装警官と護送車ははっきり言って必要ないよ。


あそこまでやられたらたぶん相当な罰金が科せられるのではないか??


はっきり言ってこれだけの警官の特別手当だって相当な金額だよな。
そこまでしてベルリンのパーティー文化をコントロールしたいのかね。


いままで、ベルリンは大規模な商業的活動とは一線を画して、庶民の商業的活動がメインだった。

そこに、大資本がどんどん入ってくる。


昔はそういう庶民の活動に目をつぶっていたのは、人々にベルリンに住んでほしかったんだよね。政治的な理由でさ、それに東西統一で問題がたくさんあったので、これまで隅々まで庶民活動をコントロールしていなかったのよね。



街はどんどん変化する。ベルリンの変化は本当に早い
私が始めて着た頃の昔のコミュニズムを彷彿とさせる雰囲気や
壁崩壊以前のベルリンの退廃さをにおわすものはどんどん消えてゆく。

だれも時を止めることは出来ないが
ここまで加速が早いのはいやはやさびしいものがある

下の写真は違うものですが。。。。




デモと警察の衝突

強力な水鉄砲車、そして象さんの絵も書いてある。ウケる