ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

日本滞在の思い出2

2ヶ月の日本滞在は長いようで短かったですね。特に風邪を引いたのが最後まで響き、途中寝込んでいましたから。

昨日の続き

5、アルゼンチン人の日系4世の男性が1週間泊まっている間にほとんど外出にお供できずに家で寝ていました。
この春はインフルエンザが流行っていたようですね。で、1週間ほど寝込んだ後にペーパードライバー教習に行ってきました。コロナ禍からよく車中泊ビデオを見ていてね、いやまず
車中泊より自分で運転しないとねっと、ようやく重い腰を上げたんです。週に1回2時間ほど教習所で練習していました。速度が60キロ越えると怖い怖い。本当に将来車中泊できるようになるんでしょうか?

6、風邪をひいて咳は出ていても週に2、3回は授業もしていました。去年の正月、実家に帰る直前フランスの専門学校から打診があって、埼玉の家に光ファイバーを入れたので、本当に
そのおかげで、気楽に仕事ができた。これで、来年は3ヶ月くらい居れるかもなあなんて。ふふふ。。。ワーケーションじゃなくて、デュアルライフですかねー。


去年、一昨年とワーケーションをした時の率直な感想は、あまり自分の旅のスタイルには合ってないなという事だったのね。だって冒険したいのに、ネット環境が良い宿を探さないといけないという。それもパソコンを常に持っているから、雨降りとか湿気とかすごく気になっていた。

バックパッカーをしながら、物を売ってお金にしていた時は、荷物が多くなって重くて移動したくないなって、なっていたけど、友人の家に置かせてもらって、行きたいところは行けていたし。それに、物を売っていたお陰で、出会いもあったしな。それに、農家で働いたり、ベビーシッターとかさ。言語能力もそのお陰で上がったしね。

長期の旅にはネットで働くよりも、物を売ったり現地で仕事を見つける方が楽しいことは楽しかったな。まあ、若かったからっていうのもある。



それが、今回は長期実家暮らしとなると時々暇になるし、自分の仕事も続けられるので、ちょうどいい。生徒さんにも日本に2ヶ月帰るけど、授業はして、途中日本国内旅行もするから、時々お休みもしますって言ってあってね。
フランスにとって、旅行は人生の中で大切な事っていうコモンセンスだから、別に後ろめたさもない。

エイッとちょっと2ヶ月長いけど、彼や生徒さんには申し訳ないけどって思ったけど、やってみてよかった。

7、体調がかなり良くなって、ギリギリの日程で、また友達に会いに岐阜まで行き、最後本当に駆け足で両親の実家の鹿児島、それからついでに宮崎と熊本へも行きました。
ベルリン時代のお友達が、岐阜の由緒正しい農家さんのお嫁さんになっていてね。まあ、もうその実家は農家はしていないんですけど、山を持っていて、そこで小さい自然農の畑を自分でできる分だけやって、蜂蜜もとって、味噌も作って、椎茸も栽培してって、感動したね。
ベルリンにいた時に、そんな農家をやる子だなんて微塵も感じなかったんだけど、
昔2000年初頭ベルリンにいた日本人女子はヤルっていう子が多かったのでね。
パリとかロンドンじゃなくて、当時なぜベルリンに?ってよく聞かれてた。ベルリンに何があるの?みたいな。特別な才能があるって訳じゃなくて行動力がある日本人女子が多かったんだよ。
特別な才能がある日本人女性はパリで、クラッシク音楽とかデザインとか、翻訳家とかジャーナリストとかね。超できる人が一部いるけどさ。

ベルリンは、行動力で何か面白い事をしていくって感じだった。あの時代のベルリンを共有している同志って感じで、特別なのね。今のベルリンとは大分違っていたからね。多分、1900年初頭のパリみたいな感じだったんじゃないかな。2000年前後のベルリンは。


また思い出話が膨らんでしまいましたが、

南九州遊州も楽しかったな〜〜。初めて高千穂峡に足を運んだんだけど、その隣町の五ヶ瀬村っていう味わい深いところに宿を取り、なんとたまたま宮崎県の旅行キャンペーンにぶつかってお得に旅行ができました。安くて、食べ物も美味しくて、環境が最高な昭和の宿です。
気に入ったので、HPの紹介だけしておきます。私は古い昭和の趣の宿の方に泊まりました。
http://www.yamame.co.jp/enohanoie.html