ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

権力の姿を垣間見た時

最近、昔のブログの整理をしています。

はてなブログがブログはてなに移行するときに、ちゃんとタイトルと内容が

一致されていなくて、タイトル無しの文章のみと、タイトルのみの文章なし

に別れてしまっているんですよ。

その中で、新たなタイトルをつけたこの記事


 

halloo.hatenablog.com


懐かしいなあ〜〜。

私がベルリンに足を踏み入れたのは2001年、

もう20年以上も前のことなんですね。今の若者には大昔のことかもしれないけど、

私にはまだはっきりとつい最近のように覚えていますよ。

当時は、まだベルリンが貧しくてね、ベルリンは東西ドイツ統一の首都になったは良いけど、

まだまだ経済発展してなくて、ビジネスの中心はフランクフルト、そして主に西側だったんですよ。

ベルリンは東の孤島だったんだよね。

で、ベルリンには新しく統一された国の機関が移動して、その建設ラッシュ。


ぽっかり東の国営企業がなくなり、東ドイツの国会も秘密警察も、国の機関も全てなくなってしまったんだから。


で、この2007年くらいまでは、

その統一後混乱の中でまだベルリンの庶民の活動まで手が回らず、各種パーティーを含む
申請なしの、ビジネスが横行していた。

申請無しのビジネスってね、いわゆる税金申請をしないビジネスってこと。





私は今、寺子屋のような日本語家庭塾というかフリーの日本語教師で、
ちゃんと申請を出して、22%弱の税金を納めている。



当時のベルリンは、そういう申請していないビジネスが横行していたんだよね。

 

ドイツではシュワルツ、フランスではノワール。いわゆるブラック、黒っていうこと。


でもブラック企業よりもずっと良くてね、
働いている人はほぼフリーで、その都度友人などを集めてパーティー開いている
その売り上げはもちろん、その人たちの所属するグループで使われたり、働いた人にちゃんと配られるよ。


それは、執行猶予中というか、政府も統一に忙しくて何も手が回っていなかった。
予算もなかったということだよね。



で、2007年はその申請無しのビジネスを片っ端から警察がしょっぴいていたというわけ。


で、たとえば、この護送車をこのパーティーに10台以上送り込んで
で、5〜60人ぐらいの武装警察官を送り込むにはお金がいるんだよね。
みんな仕事しているわけだからさ。

で、このパーティーのオーガナイザーはず〜〜と後から聞いた話では
3000ユーロぐらいの罰金を支払ったらしい。

無許可営業&無許可でのお酒の販売をダブルで食らってね。


で、この2007年を機に、こういう空き地や空き建物を使った
無許可の面白いパーティーが急激になくなっていくんだよね〜。


なんで、数ヶ月前までは何年間もこういう商業活動、まあ統一前の西ベルリンの時は

そういう取り締まりが一切なかったらしいから、

まあ69年から始まったと考えても、40年近い歴史があったんだよね。