ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

ベルリンの物価上昇中、グレーゾーンな滞在許可継続中

遅ればせながら皆様 明けましておめでとうございます。
ほんとう久しぶりに日本語で書きます。

お久しぶりです。




なんかね久しぶりにベルリンに住んでみて、外国人が多くなったり、家賃がめっちゃ高くなっていたり、ビザが厳しくなっていたり全体的に変化はしているんだけど。
私の友達は皆ここに居る。ほっとしました。

政治的な意見を持っている人も、アーティストも多いし、そんなベルリンが好きな人が集まっている感じは同じ。




そのなかでなんか目につくのはベルリンはベビーブームだなっていう感じですね。赤ちゃんがほんと多い、こんな東京じゃあり得ないなってくらい。友達の友達が経営しているカフェもそんなベビーブームで
様変わりして、子連れが気兼ねなく入れるおもちゃなんかが沢山おいてあるカフェになってるし。


日本人がワーホリが出来るようになってから10年、私が初めてベルリンに入ってからも10年、長く滞在している人にも変化が。



もう10年経つと、人生積み重ねだね。その中でいろいろな事が起こって、お店を持つ人とか、家族ができて子供が出来た人とかね、はじめは遊びにきたり旅行者としてやってきた人とかね、自分の生活をここで築いていっているんですよ。荒波にもまれながらさ。

もちろん、ほとんどのワーホリの人は帰っていく中で。

実は私がある程度友人になったひとは外国人も日本人も含め帰った人はほとんど居ないんじゃないかなってくらい皆ここに居る。




今は厳しくなって、フリーランサービザやどんな仕事も出来るっていう滞在ビザには
最低毎月250ユーロの保険に入らないとビザが発給されないんだって。これには年金なんかも含まれていて、外国人でもドイツの年金に加入しないといけないんだよ。

このどんな仕事も出来るビザって大体フリーランサービザ3、4、5年ぐらいもらった後にもらえるみたいです。それで全体で5年以上の納税期間があって、永住権がもらえる。

まあ、ワーホリはその期間に入らない。学生は半分にカウントされるらしいです。




今あたしの友達でも何人か永住権の前の、何でも仕事ができる滞在ビザを1年とか2年とか持っている人たちは、この250ユーロの出費がかなりキツイみたい。それと家賃が高くなっているしね。

だいたい昔200ユーロ以下の所に住んでいた人たちはアパート全体が
リノベーションやオーナーチェンジで家賃が高くなったり、出て行かなきゃいけなくなったりでね。ほとんど安い物件が無い。

だいたい皆さん300ユーロ以上は払うのが当たり前になっている。

大都市で家賃が安いのがベルリンの魅力だったんだけどね。


その原因の一つは投機なんだよ。アメリカ人やらイギリス人やら安いアパートを買いまくっているそんな背景もあるし。

まあベルリン自体、いまヨーロッパ全体から移住してきている人が多くて昔に比べて空き物件が少ない。



あたしがフリーランサービザもらっていたときは
月35ユーロの激安保険しか入ってなかったからね。そしてアパートもだいたい230とかしか払っていなかったし。



月に絶対出て行く金額が300ユーロと

600ユーロじゃ、大分違うよね。




まあそんな厳しい中で、あたしの友人は皆残っているから不思議だよね。

それからヨーロッパ人にはもともとビザなんて関係ないしさ。
一回帰国したイタリア人の友人もやっぱりベルリンが好きで戻ってきてるし。



思い立つ中で最近一人ベルリンからエジプトに移住して日本に帰国した子がいる。もしかしたらこの子もベルリンにずっと居たら日本には帰ってなかったかも知れない。





まあ私はあまり友人の輪が広くないのでそういう感じなんだと思うけど。





それでこの間私は何をしていたかというと。。。。


3ヶ月の予定で入ったベルリン、もう5ヶ月が経ってしまいました。

12月まで友人宅にずっと居候させていただきましたが、とうとう
最後の2ヶ月はそうも行かなくなってとうとうアパート借りました。


まず夏の間は、フェスや湖などに行ってとにかく遊んでいた。
それから9月中旬から一ヶ月ほど東ヨーロッパ旅行に出かけ

10月から12月にかけて一人黙々と曲作り。2ヶ月ぐらいの間に8曲ほどつくりました。数曲レコーディング(歌だけ)。それから今年あたりケンブリッジ英検でも受けようかと勉強を一人黙々と。

それからクリスマスお正月を迎え

1月から最後、このまま、自分のドイツ語をほっとくのももったいないかなとドイツ語の学校に2ヶ月行くことに、それから
なんとかしてできた歌にバックの音をつけたいので、ミュージシャンの友人に力を貸してくれないかという感じでまた動き始めた感じです。





今回のベルリンの冬はあまりきつくない。
母がいうにはテレビでドイツの極寒の世界が映し出されていて
大丈夫かと思ったらしいいのですが、12月に入っていきなりマイナス10度になり、雪がどーんとふって一面白銀の世界。
交通も麻痺して、街全体が静か。最近ベルリンは交通渋滞が酷いんだけど、街にあまり車が走ってなくて、なんかいい感じだなって。
それから急に暖かくなって、まあ毎日5度から8度くらい
これはベルリンの冬ではかなり暖かい。

でもまあ暗い事は暗いんですが、

本当に冬、前々平気!

前まではあーここの暗い冬は辛いなー、なんなんだろこの冬の辛さ?身と心に応えるなって感じだったんだけどね。



なんかね、今回は帰国するのがハッキリしていうせいもあるし。
東ヨーロッパへ行って、異文化が原因で隣人同士で殺し合いぐらいの
になるくらいの力があるのを本当に間近でみてね。なんか
衝撃だった事や。

今回自分の内面でいろいろ考えていた事を歌にして言葉にしてみたり。

日本からやっていた太極拳をここでも続けてみたり

日本に居る友人よりもずっとベルリンに居る友人の方が多かったり。

いちを自分を律して、空いている時間語学の勉強したりさ。






いろんな事が積み重なって、この冬は気楽に暮らしています。

まあその分帰国が辛くなるんだろうなーーーーー。



ああ、それからなんであたしがこんなに長く居られるのか疑問でしょうが。合法です。

3ヶ月ごとにユーロ圏から出たり入ったりはそれでもいいんだけど、
一回目はボスニアとかセルビアとかクロアチアとか行きたくて出国したからいいんだけど、2回目ただビザのために出国は面倒。


ほんと昔はポーランド日帰りで、とりあえず出ました!
次の6ヶ月オーケー!って感じで、本当にシェンゲンが6ヶ月だったかも自分で確認しないで、旅人に聞いてそれで大丈夫だから見たいな。そんな適当な感じだったんだよ。

それでシェンゲン条約見たら三ヶ月になっているし、は?みたいな


それで最近外国人局に行ったんです。

それで、語学学生ビザを発行してもらうようなかんじで、
その申請中の仮の3ヶ月のビザをもらって、それが3月中旬まで
だからああそれでもういいやって。


まず語学学校へ行って私はここで半年から一年ほど勉強しますみたいな書類を
発行してもらう。このときはまだ入金なんてしなくていいからこの書類に50ユーロ払うんだけど。



本当の語学学生ビザには保険に一年はいらないといけないし、ドイツに居る最低1年働かなくても居れますぐらいのお金の残高証明が必要なんだけど、それも無いし、保険にもまだ入っていないから書類はまだ集まっていませんみたいな、とりあえず学校に行く気はあるから,
次外国人局に来るまでとりあえず申請中の仮ビザください、

それでよかった。

まあこの語学学校に後から、あのとき半年行くかもっていったけど
気が変わってやっぱり2ヶ月にしますがいいでしょうしょうか?ってきいたらそんなの学校に聞かなくてもいいぐらいの勢いで、もちろんいいですよ。はい2ヶ月ですねじゃあイクラ払ってください。


で、このままその仮ビザでここに居ます。

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