ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

変化する街、ベルリン

みなさん、お久しぶりです。前回のブログ更新から2ヶ月以上も経ってしまいました。

その間に、今年の夏はラッキーで8月はベルリンに2週間ほど

そして9月から10月にかけて、1ヶ月間タイとミャンマーに行ってきましたよ。


ベルリンへは友人二人に
赤ちゃんができてね〜、会いに行ってきました。2ヶ月と3ヶ月の赤ちゃんで、感慨無量。

二人ともドイツ人の旦那さんを持つ日本人女性です。一人はもう15年、もう一人は10年以上ベルリンに住んでいますよ。一人は美容師さん、一人はかなりなレベルのミュージシャンで、カフェでも働いていた。
二人とも単身で渡独してベルリンで旦那さんを見つけました。


彼女たちが言うには、ちょうど私が去ったあたりの2008年以降、ベルリンには日本人移住者が爆発的に増え、その世代の日本人女性たちのベビーブームだということ。




ベビーブームってそんな多くのドイツ人男性が日本人女性と家族を養うくらいの経済力と甲斐があるのか、かなり疑問なんだけど。。。

ちなみに今回会いに行った友人二人は今までずっと共稼ぎだったし、もう10年もいると永住権も持っているし、
いろいろな権利があるので、心配はない。


それから、ベルリンとパリをよく往復していたカリブ海出身でフランス人の
ミュージシャンの男友だちにも赤ちゃんができていてねー。
彼はこの10年くらいほとんど働いていない状況で、長年生活保護をもらっている。多分500〜600ユーロぐらいかなぁ。昔と変わっていなければ。そして彼女とは結婚はしていないから、彼女はシングルマザー手当で、月800ユーロほどを国からもらっていると思う。
それでフリマで週末に二人でフードコーナーを出店しているらしいから、ベルリンの物価が上がったと言っても、
生活はちゃんとできる。

昔はこういう人がたっくさんベルリンには居たんだよ。今はベルリンにも仕事が増えたし、状況はどうなんだろう
変わったのかなぁ。





ベルリン自体は夏だったせいもあって、旅行者がものすごく増えていて、
再開発もとてつもなく進んでいて、いろんなアパートが地上げにあって住人排除の張り紙をあちこちで見かけ、かなりガッカリだったな。

昔のあの、私が愛したベルリンは影も形も無くなっていた。

そうだよね、ヨーロッパの経済大国のドイツの首都が、

昔のように、完全失業率20パーセントで(クロイツベルグは冗談で40%とか言われていていた)
無政府状態のようなオルタナティブな雰囲気でいたこと自体が奇跡のような瞬間だったんだ。

1990年の東西統一から2005年くらいまでの15年間は歴史の大きな流れの中でぽっかりと出来た

奇跡のような瞬間だったんだな〜と気づきました。



でもやっぱりあのベルリンの土台は人々の中に脈打っていることがいたるところに感じられる。





例えば、子供用の遊び場が沢山できていて、それはカフェの中だったり、大きい公園の一角だったり、
子供連れでも、大人も一緒に楽しめるような空間。子供用移動サーカスなるものが
毎週日曜日どこかの公園に出現する。サーカスと言っても見るサーカスじゃなくて、体験するサーカス。
もちろん無料で。

そういうのを見ると、お〜流石ベルリン、あの世代の若者が家族を持つようになって、違う視点から人々の楽しみの場を作り出す。流石だね〜。


それに、よーくお店を見ると、なかなか魅力的な小さいお店が沢山できている。ツーリストが多いから、自分たち思い思いの趣味の店を作って、
ちゃんと客が来る。昔、野外フェスティバルやスクワットで、じりじりしていた若者たちが自分たちの思いを繋げたこだわりのお店たち。


昔のベルリンだったら、潰れていたかもしれない。




”そのお店はただ消費されるだけのモノとは違う、ベルリンに住む住人の社会に対するメッセージが込められている気がした。”


ベルリンスピリッツは怒涛に街を荒らす大資本家や地上げ屋などの大波に飲まれながらも、溺れることなく、サーフィンをするように波に乗っているのかな。


今も昔もベルリンは絶えず変化する街。これってヨーロッパの中では特別なんだよ。


また次訪れる時は、どんな変化をしているのかな〜〜〜。








後半は彼氏もパリからやってきて
ベルリンの湖にもキャンプに行ったんだけど、湖は相変わらず澄んで、たくさんの人で賑わっていた。旧東ドイツらしき中年の方々は裸なんだけど、やっぱりもう若い人は旧東の文化を背負っていないのか、裸の人口も少なかった。

私は人の少ない時間、お年寄りが多い、日の出のちょっと後ぐらいに、旧東ドイツのおじいちゃんおばあちゃんたちと
一緒に裸で泳ぎました。この裸で湖でお泳ぐ解放感は本当に言葉では表せない。

彼が言うには、この湖のほとりのドイツ人をまるで進撃の巨人の巨人みたいだったって形容していました。かなり失礼だけど、意味はわかるなー。



なんで仕事しているのに彼はそんな長くバカンスを取れるのかって?

彼はアニメターでも日本では監督がやるよるような仕事をしていて、絵コンテを書いている。
まあ普通、原画のラフから正式な下書きに入るまで2、3日開くんだけど、原画のラフを速攻で仕上げて、プラス2日間お休みもらって、1週間の休日を作ったって言っていた。

後のタイとミャンマーの1ヶ月間のバカンスは、最終エピソードが終わってね、そのあと次のプロジェクトの間
1ヶ月空いたのさ。これもいつ次の仕事に入るかわからないし、仕事にすぐ取りかかるかどうかもわからないから、か直前まで飛行機のチケットは買えなかった。

それで、この今住んでいるアパートも光熱費込で月1000ユーロくらいするからね。金銭的にもバカンス行くには
1ヶ月だけ住む人も探さなきゃいけなかったし、本当に神経が擦り切れた。

誰か住む人がいなかったらパア。

本当に出発ギリギリまで、行けるかどうかもわからない状況だったんだよ。

この業界いつもギリギリになるまで判らない。1ヶ月、1ヶ月、契約を更新していくシステム。首切られる時も当日からもう来なくて良いよって言われるからね〜、本当に怖いねー。まあ幸い今のところ仕事が来るので、ありがたいことです。





タイとミャンマーの話はまた次回!



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