ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

三線を始めてみる(自主避難の旅6)

以前書きましたが、簡単に流れを書くと、

福岡で仕事探しがてら脱原発デモに参加し、

ある旅の企画をする男性に出会ったんです。



その流れで山口の祝島原発問題を見学する為に訪れ、ついでに
祝島のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に、広島にある中国電力前のデモにも参加しました。

その間に、ネットなどでどこか西日本で日本語教師の求人がないか探していた時、
沖縄での募集を見つけ、何となくピンと来て沖縄まで行ってみようと思ったのです。




それで早速面接に合格し、
那覇内にある日本語学校で教え始めました。
この日本語学校は生徒がなんとインド人のエンジニアばかり。インド人は反応が良いので教えるのが面白いです。

ついでに喫茶店で、ウェートレスもしています。初めての飲食業!これも楽しい。

両方とも給料が低い低い。

なんとか個人レッスンを自分で開拓しなければ。。


なんか、ベルリンで日銭を稼ぎつつ生活していたときと同じ感覚だな。

大変だけど、めっちゃ暑いけど、沖縄は楽しいところ。
本当に海や島が身近にあってね〜。
座間味と久高島に行って、サイクリングして泳いできました。沖縄の島々は聖地だって思う。



三線なんかも初めてね、イキナリいっぱい練習しすぎて腱鞘炎になったくらい。もう”てぃんさぐぬ花”は工工四を見ないでも弾き語りできます。

工工四とは漢字で書いてある曲のスコアの事。

指を曲げると相当いたいので、3日間お休み。
こんなところでも、はまると突っ走る性格が出ている。。。。


今練習中の安里屋(あさどや)ユンタ



日本に沖縄があって良かったなあ。


仕事を二つ見つけた事だし、ここに出来るだけ長く居たいと今は思うのだが、どうなる事でしょうね〜。。。。。