ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

ビザランのはずが。。モロッコへの旅1

今回のモロッコの旅はまた特別なものになりました。

前回書いたように一週間の予定でしたが、1ヶ月以上の旅になってしまいました。

こういう旅が一番性に合っているなとつくづく感じる。




一ヶ月も居ると、モロッコ全体を相当回ったのかと思われるかもしれませんが、行った所はたった3カ所、それも北部のある一部のみです。
アフリカ大陸からヨーロッパへの玄関口タンジェ(tanger,tangier)行き帰り計4泊

タンジェからバスで約2、3時間のシフシャウエン、(chefchaouen)1ヶ月

それからシフシャウエンから車で約30分のアクショール(akchour)半日

なんで、そんなに長くなっちゃったのか?

それはchefchaouenの山の生活に魅了され、山羊飼いの子供、女性たちとの交流が深くなるにつれどんどん滞在が長くなったのでした。





今回はいろんな事を試みましたよ。

シフシャウエンの山の掃除から始まり、子供たちに歯磨きの習慣を教える事。
そして、毎日山を走り回る山羊飼いの子供たちに靴を与え、果物を与え。
学校に行ったり行かなかったり足し算、引き算の計算がほとんど出来ない山で働く子供たちに算数を教えた。


なんでそんなになったのか、白紙の状態から、次々と課題が出て来てそれを、クリアして行こうとそんな感じだった。


前回書いたように今回は普通の宿を使わずに、couchsurfingと云うサイトを使って、モロッコのお宅にお邪魔してみようと思いました。
写真で見ると、タンジェは美しい港町、かなりの観光地らしいけど、海の近くでのんびりできればと出発前は思っていた。しかし。。

タンジェという所は、ネットに出てくる素晴らしい地中海と大西洋とは裏腹に、車の量がハンパ無く、秩序無く横行して、酷い排気ガスが充満する、モロッコの大都会。ここじゃない。。と着いたとたんに思う。モノがあふれる世の中、そのゴミがここに集められ、また再利用される、素晴らしいリサイクルシステムだが、ゴミが多すぎ。


滞在したお宅はモロッコ中流階級ながら、上流の教育がされているお宅で、
お母さんのおもてなしも素晴らしい。


英仏語に堪能な二人姉妹。妹さんには王室血統のお友達が居て、元王様の別荘にお邪魔させてくれました。



このお宅が、二部屋、赤の部屋と青の部屋と呼ばれる部屋だけが当時をしのばせる骨董品やら写真やら絵画やらで埋め尽くされているものの
他の部屋はほとんど廃墟同然。
このお友達の部屋は一番小さいと思われる、倉庫の様な窓も無い10平米未満の真っ青のペンキで塗られた部屋を所有。この部屋が一番好きなんだって。
トイレに行かせてもらのに生活圏内を通ったが、裕福でもない中流でもない比較的貧しい生活をしているようだった。


あんな大きいお屋敷で生まれ育ったら、別に特別でも何でもなく、居心地が良い所で過ごすだろうね。それがあの小さい部屋なんだねー。



帰り道に、面白い場所に出くわす、海が見える見晴らしの良い所で、
人が沢山居る。
私を受け入れてくれた妹が言う。「ここは、レイジープレイス。」昼間から何もする事が無い人が、一日中何もする事無くたむろする場所。でもみんなの顔に悲壮感は無い。
イスラムの底力を感じる。



次の日はお父さんの車で海岸へ、モロッコで有名な洞窟にき、大西洋を拝見するも、
ちょっと安っぽい観光地で、のんびりする事は出来なかった。日曜日で人も多かったしね。



どこかタンジェに近い所で、いい場所は無いかと聞くと、
chefchaouenが良いよ、一日あれば回れるし、朝のバスで行って、夜も帰って来れる。

そんなアドバイスで行ったchefchaouen。ここで運命の旅が始まりました。

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