ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

日頃の思い


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前回ちょっとだけ書いたのですが、

最近、個人日本語レッスン始めました。パリ周辺で日本語習いたい方、または習いたい方をご存知の方歓迎です☆ ここのコメントに書いていただければ、連絡します。
(メールアドレスを書く欄があります。
非公開ですので、安全です。)


数ヶ月前、リモージュという街で脱原発のイベントがあったときに、お呼ばれして
出会った人が、一人目の生徒さんです。


彼女も社会問題に敏感な人で、日本の島ぐらしにも興味がある方です。


まだフランス語が話せないので、私の英語のスピーチ(その場で言われてぶつけ本番だった。。)に、フランス語の通訳が付いたんですよ。その通訳してくれた人が、今の生徒さん。


そのイベントで私はいろんな話をしたんですが、特に祝島の話(30年間海に原子力発電所を建てさせないように戦っている。おじちゃん、おばあちゃんたちの話)
に興味をもったらしく
その場で、「あなた私の先生ね!」と日本語で言われ、ビックリ。

いきなり決まったんです。

実は彼女は佐渡島に一時期、住んでいたんだって。

凄いですね、佐渡島に住んでいたって。



脱原発繋がりで、いろんな人に出会えて感謝です。



この脱原発繋がりで、三線のサークルにも参加する事になるのですが、


少しづつ、私の心の中で、原発に関わる繋がり方が、変わってきました。


今までは、何かのお手伝いが出来たら、手伝って。
こうしてブログで書いたり、このパリのアソシエイションをやったり、
たまにフェイスブックで書いたり。




でもなんだか、こういうのって、他の人の心に通じるのかな?

心に響かない限り、ダメないんじゃないかってそんな感じに思った事多々あり、
だったんですね。



この間、福島への寄付を募るバザーで三線の演奏をして、
ちんぬくじゅーしーという曲を披露したのです。


お母さんと子供の日常のやり取りの曲ですが、その歌詞を説明して、

「こういう何気ない幸せな日常というのがどんなに大切な事か、



今でも福島では危険にさらされている子供達がいる。みんなで心を一つにしましょうね。」


と一そういう、一文だけで、その場に居た人たちの心に届いた気がしたんですね。



私がどんな形でも続けて行けるのは、やっぱり自分であの原発爆発事故後、たいへんな思いをドイツと日本でして、

日本の田舎での人々の出会いと、祝島の人々を通して、感動した思い出もあり、


やっぱり心に刻み込まれたからこそなんですね。



パリに住んでいる日本人も、そんなに政治的な事なんか、興味なくても、
日本の事はいつでも心配しているんです。


もちろん、日本に住んでいる人だって、日常に追われて、もう大丈夫だって
思っていても、ふっと不安になる事があると思うんですよ。



そういう、みんなの心を汲み取って、それを表現しないといけないんだって思うんですね。



10月12日土曜日午後3時から

バスティーユ広場にて、パリの脱原発団体と合同で集会、イベントをします。

日本と福島やフランスの現状のスピーチ。日本語とフランス語であります。



元プロの日本人歌手の方が、奄美大島三線を披露します。奄美大島の曲はまた沖縄と曲調が違って、興味深いです。


最後に
私は一曲ですが、沖縄三線の演奏に参加して、その後、カチャーシーを皆さんに伝授します。


パリ在住の方、時間がある方、お越し下さいね。






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