ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

国も周りの環境もそこに居る人が作るもの

昔よく思っていたんだけど、
お店とかバーとか ライブハウスとかクラブとかそこに来ている客が
店の雰囲気を作る。


仕事自体があまり無かった壁崩壊前後から2000年初頭、ベルリンはその最たるもので、ベルリン好きが集まって、ああいう怪しい雰囲気を出していて、

ちゃんとカタギな仕事がしたい人は他の街に移っていていた。

まあ、今は大分違って、仕事も増え、普通の人が多くなって、普通の中都市になっている。



日本に戻ってきて、特に今回は日本は日本人が作り出しているんだって、何か実感した。

日本で教育を受けた人たちが、この日本を作り上げてるんだなって。

そりゃ当たり前って思うでしょ。笑。



なので、日本の欠点や文句を垂れている人たちは、やっぱり自分自身の行動を見つめた方が手っ取り早く自分の置かれている環境が変わる。



そういう人が増えたら、また日本も雰囲気が変わるでしょう。


で、はて偉そうな事言っている私は?って。

なりたい自分になっているのか?


私は本当に平凡な女なんだけど、行動力があったお陰で、いろんな経験をさせてもらった。

それはいろんな人の手助けがあってこそ。

それは本当に実感する。

長旅の初めは、自分では意識していなかったが、20代の女性である優位さがあってね、旅の初心者で初めての国でも、けっこうな奥地に行けたりさ。

それは旅人上級者の男性が助けてくれたお陰。

まあ、それでも初めの一歩は自分で動いて、その会えるところに行ったというのが大切だった。

それから経験を積んで自分でそういう辺鄙な場所に行けるようになったんだよね。


初めはとにかく『えいっ』って。

『動こう』って、 決める。

それから自分で動いてみると、色々周りも動き出す。


今回、パリでバンド活動が始まったのも、自分で新曲1曲作るぞって
決めて作ってから、色々周りがざわざわと動き始めた。


実は、ぶっちゃけ男性に手助けてもらう事が多い。 本当に感謝。

女性じゃなくて、いつも男性だな。。。


私だったら自分の持っている情報とかすぐ共有して

これいいよ、あれいいよっ、おっけーじゃあ今度私これやってあげるよ〜とか○○やろね〜とか。

言うんだけど。。

女性で料理や食べ物以外で、手助けしてくれた女性って、
すご〜〜〜く少ない。。。う〜〜〜ん、残念。

 



でも、まあとにかくご飯はいろんな女性から手料理ご馳走になったね。感謝。



今、フッっと思い出した自身の行動力で手助けしてくれた女性が3人。

福島の子供達のアウトドアキャンプ募金を一人で集めていた時に(デモ中にね)、じゃあ私の通っている大学で募金集めできる様にしてあげるっていう、フランス女性からのオファー。


ベルリン在住だったシュタイナー教育を卒業してDIYが得意だった女性。。。

ベルリンでアウトドア生活のいろはを初めて教えてくれたね。


当時ベルリン在住だった日本人女性、車で東欧旅行するから、hallooも来る?って


やっぱり、男女の行動力の差なのかなあ。。。


私がある日本女性にオープンマイク出るよって言ったら、自分もやりたいって私についてきた。。
その後、こういう所元々知っているって、その時彼女が言い出して、へ?って。

じゃあ何で言わんのかい?で、何で知っていてもやらなかったのかな?

その昔、その同じ女性に南仏電車の一人旅に出るって言ったら、その子付いて来るって、
私も行きたいって、言う。

おっし、じゃあ一人より楽しいし、いいじゃんって。

まあ、その女性はご飯はよく作ってくれるね。



なので、彼女が率先して行動してって云うこと自体、私も求めていないよな。。。
ご飯作ってくれるだけでもありがたいし。



韓国人のプロのギターリストが私の曲に伴奏を付けてくれて、
バーで歌わせてもらったのね。

実は知り合って間もない彼の誕生日バーベキュー大会を開いてあげたから。

ああ、誕生日がすぐ近いの?じゃあバーベキューパーティーやろうか?って。

それをすごく感謝されて。その時は別にそこまでギターが得意とか知らなくてね。
たまたまそう言うタイミングだったという。

それだけの事。






そうだね、変わりたいと思う女性には、やりたい事を自分の為だけじゃなくて


何かを他人にやってあげること。


ここから、道が開けるかもね。