ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

私の失敗からの女性の為のアドバイス

私の周りに結構いい男がいる。昔も今も。

結論から言うと、そう言ういい男は自分から声がけしていたって事に最近気がつく。

あれ?私、どうやっていい男と出会っていたんだろう??って。


 

全然、意識しないでね。なんとなく、話しかけている。

何か臭覚のようなものが有ったのかね??

 

別にイケメンとかでもなかったから、本当に気軽に。



友達になった人も、私がヒッチハイクで引っ掛けてる。笑。


例えば、昔の彼1、日本人の男の子19歳の大学生1年の時⇨現在ロンドンで国際弁護士

この子はイケメンだったけど、まだ高校生のように子供っぽかった。なので子供に声かけている感じ?


昔の彼2、○○○系米国人まだ起業する前の23歳の旅行者の時、現在世界20ヵ国以上に輸出する
オーガニック基礎化粧品の社長。会社を大きくしてるからもしかしたら輸出国は増えてるかもね。東京のゲストハウスで一緒だった。私がその時少し英語が話せたそれだけ。


昔の彼3、ベルリンで会ったアイルランド人の彼。大学生から大学院生になる間の23歳の時、1年間だけベルリンで英語を教えに来ていた。現在リムリック大学の講師。

ベルリンのクラブで、暖炉の横に隣に座っていたから、少し話したそれだけ。

 

などなど、


元彼じゃない友達でも
旅の途中で仲良くなって、その後も交流があって、
フランスにも日本にも訪ねに来てくれた日系4世。
アルゼンチン人でメキシコに住んでいる男性。
アルゼンチンでは映画監督、映像を編集者。今はメキシコでは広告系で、映像事務所を起業。


この人は私がヒッチハイクで道で拾った。

そういえば、全員、私から声かけてるな〜〜〜って。

で、そういう良い人って全然ガツガツしてないからね。

でも、みんな話しかけられて、嬉しそうにしていたな〜〜。で、連絡先は向こうからもらったと思う。全員ね。



ヒッチハイク日系人は彼と一緒だったから向こうから連絡先は渡して来なかったけど、
私が今日車に乗せてくれたお礼に、夜ご飯ご馳走するから、又夜会いましょう!って。

で、ご飯は実は向こうが出してくれて。。。
へえ〜〜、一人で車で旅してるの?え〜まだあと2週間も一人?
じゃあ、明日も一緒に回る?って。それも私から誘ったね。

で、その後2週間一緒に旅して、部屋も三人一緒。たまたま、彼の予約していたホテルが

もうその一部屋しか空いてなくて、私は一緒でいいよ。三人一緒でもいい?って。
それから、本当に24時間2週間ずっと三人一緒だった。笑。




付き合った元彼たちは、まだほんの学生とか、起業する前とかね。
その時その時で、愛される実感はあるんだけど、

 

私は私で、自分のやりたい事できないと、すっごくイラッとするから、相手をサポートする動きが本当に希薄。

オーガニック製品の社長は思い出をものすごく大切にしてくれていて、まあ別れてから
3度、呼び寄せられるんだけど、相手がまあ飛行機代とか出してくれてね。

そのときは珍しく私は日本にいたからかなり相手をサポートしたんだよね。でも、それは
日本に居て、私が日本人で、相手が来たばかりの外国人でってそりゃサポートするわな。



まあ、日本人女性はサポート上手いからアドバイスすることは無いんだけど、

まず、自分から声がけしましょうと!

私がその辺にいるいったって平凡な女の子じゃないから、その後、向こうから結構熱心に好きになられても、出来る人たちは絶対的なサポートが必要なのね。それから時々持ち上げたり。


 


で、女性もその男性を引っ張っていける自分自身の行動力もないといけないのね。

相手をリスペクトし、自分もされるみたいな。

 

 

私は短距離のように突っ走って、あとはダラ〜〜〜〜〜〜。

またやって、あとはダラ〜〜〜〜〜〜。


例えば、今はロンドンで弁護士やっている日本人の男の子とは

本当に私を見ていてくれてて、相手19歳と私26歳の時ね。

なんでhallooは頭いいのに、なんで努力しないの?それに何かhallooと一緒にいると、
自分が足蹴にされているのがいやだと。で、日本語教師という職業も実はその人に勧められて、きっとプログラマーより合うと思うよって。


今の彼からもhallooはちょっと怠慢で、hallooの好きな事は絶対に止められない。と

今も私の事をじ〜〜〜〜〜〜〜っとフランスで待っています。苦笑。


彼は私と一緒にいたから、生まれて初めてバンド活動ができたし、
いろんな国を自由に旅行する感覚も得た。それから、友達の輪が広がってね。

今までは友人はオタクくんしかいなかったのが、多国籍ミュージシャン系になって。

それから原発系のボランティアだって、私のサポートに回って、それを通じて
全く知らない世界の人種と交流できてさ。日本人ジャーナリストとか。研究者とか。


それから率先してパーティーを企画して、オーガナイザーになると大変だけど、
そこからパーティーにお呼ばれもされる。


彼は私と一緒の生活が楽しいらしい。
でも、私のわがままさを、じっと忍の字で耐えてくれています。

それを、出来る人にはさせちゃあいけなかったのね〜〜〜〜〜。