ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

彼の事3

彼の家族のお話、今回コルシカ島に行って、また新たな彼の家族の歴史を教わった。

以前、彼のお母さんは、恋多き女で、チャウシェスク政権時代にルーマニアに9年居たって話をしたよねー。
http://d.hatena.ne.jp/halloo/20130627

お母さんは波瀾万丈な上に、家族も興味深い経緯をたどっている。
フランスの歴史を身をもって背負っているんだよ。

その経緯を簡単に紹介するね。お母さんの兄弟もブログを書いていて、ネットに公表しているから、大丈夫との彼のお言葉。



まず彼のひいおじいさん、植民地時代のインドシナベトナム)で鉱山を所有していて、かなりのお金持ちだったらしい。で、インドシナで家族は過ごしていたんだ。



右の制服っぽいのを来ているのが私の彼のおじいさん。


おじいさんは左。インドシナベトナム)にて。


昔から変わらぬ男女の問題。このひいおじいさんが、なんと現地でインドシナ人の召使いの女性と一緒になって結婚してしまった!

(家族は全員そう思っていたのが、実はインドネシアで恋に落ちたのはマグレブ系のフランス人美女だった!2018年に奇遇にもこのひいお爺さんの腹違いの孫に出会うことになる。召使いではなく、フランス人同士としてインドネシアで出会っていた。めっちゃ階級社会だから、インドネシアの召使いを正妻にするというのは変な話だなあと思っていた。)





物語に出てきそうな話だね。

そして、ひいおばあさんは子供全員を連れて、フランスに戻ってしまうんだ。

その後、ひいおじいさんは、インドシナとフランスを行き来するんだけど、その後は手紙でのやり取りのみ。
新しい奥さんも、前妻と絶対に会わせなかったという、だから手紙のみだったらしい。

その手紙が未だに残っていて、その後子孫が、その家族の歴史を知る事となるんだ。



女手一つでこどもを4人育てあげなくてはいけなくなったひいおばあさん。
歴史のうねりのなかで人生のドラマ。上流階級に(たぶん苦労をしらなく)生まれ、
お嫁に行き、移住した先は、インドシナ。これは自分の意志ではないよね。
もちろん、それで4人もインドシナで子供を生み育てているなかにもいろいろな苦労があったと思う。

フランスから、インドシナへ環境も文化も気候も全てが変わる。

そして、その後フランスに戻るんだけど、
ほっとしたのかもしれない。私にはその心は計り知れないけど、
子供も4人も居て、この先どうなるのか解らない状況だけども、フランスに戻れて嬉しい気持のほうが強かったかもな〜と思う。



その後おじいさんは、フランスで全寮制学校に入り、厳しく育てられる。


1930年、vichyにて







写真を見ても解るけど、ひいおばあさんも上流階級出身なので、経済的には問題なかったみたい。





その後、努力家なおじいさんは世界を又にかける船の船長になる。


植民地でもあるアルジェリアにもよく出航していた。



アルジェリアで一時期生活もしていたので、現地で子供も生まれる。
現在大学教授の彼のおじさんがそう。
そのおじさんはいろんな研究をしているんだけど、その影響かアラブ社会も研究している。


植民地当時、フランス人が多く住み、植民地というよりはアルジェリアはフランスの一部という認識をしていた。なので独立戦争も泥沼化したらしい。
船長のお父さんは、独立戦争中たくさんのフランス人をアルジェリアから、船で送ったという話も。


すっごく厳格な厳しいおじいさんだったんだけど、家族の中ではお母さんが一番強かったんだって(笑)
いわゆる、かかあ天下ね。それで、最後まで一緒に連れ添った。うん、かかあ天下が夫婦円満の秘けつってよく聞くよね。





彼のお母さんの兄弟は7人で、お母さんは6人目。


真ん中の可愛い女の子がお母さんね。


このお母さんも、外国に飛び出し、男女問題も含め、波瀾万丈な人生となります。。。。。
う〜む。