ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

初めての一人旅 ニューヨーク

超久しぶりのコメントをいただいたので
書く予定ではなかったですが、リクエストにおこたえして・・・。


怒涛の3日間のバハマのあと、考えること。もちろんアメリカ行き。
恋に落ちた気分だった、しかも興味があるニューヨーク
そして彼のもと、行くしかない。

ただ恋の始まりは異常に燃える私・・・。今も昔も。

2週間後に会社の4連休があった。それで有給をぶつけて5泊7日の旅ニューヨークへ。
が・・・。


たった5泊、恋&濃い時間を過ごす予定だったのが、なんとなくあった瞬間、あれ?
こんな感じだったけ????ちょっと。。。。やっぱりあの出会いはタダのリゾートラブだった(スマン!)

彼は前回も書いたが、インディアンのメディスンマンと呼ばれる人。今思うとかなりレアな普段お目にかかれない職の人なのだが、
(今会っていろいろお話したいな〜)その当時私は全く、本当に全く彼の職業の存在や意味すら
知らなく、なんか変な人だな〜とだけ思ってしまったのでした。
無知って嫌ね。15歳から家出をし、インディアンの村で、過ごし、メディスンマンになる資格を長老のメディスンマンから授かり、修行をした人。年に一回は3週間断食山登りの荒修行”ビジョンクエスト”もやる。シャーマンのような感じと言えば良いか。



彼ニューヨークは人が冷たく大嫌いだと言ったが、仕事があるから来たといっていた。

彼の仕事はニューヨークのオフィス街を簡易ベットをもって移動する。クライアントからクライアントへ。超多忙なエリートニューヨーカーが仕事の合間に彼の治療を受ける。


彼は忙しい合間を縫って
本当に私の世話をしてくれた。感謝!  が、もっと一人で動くべきだった。

この5日の間行ったところは、ニューヨークオフィス街、実験音楽系のクラブ(ライブはその日なかった。。)古着屋めぐり。彼の仕事について行きロングアイランドに住むクライアントの家へ一泊

なにも、自由の女神も、ワールドトレードセンターも何も見なかった。

しかも、このニューヨーク行きで彼が本気になり、彼はこの後2度ほど日本にわざわざ来た。
ん〜。気持ちがはっきりしないのに、遠距離恋愛状態??


相手が私を思ってくれているのをそのまま引きずってしまった結果に。外国人にはハッキリいわないと駄目なのよね、それが今わかる。反省反省。





それからそれから、ニューヨークから帰国1ヶ月後に沖縄2000年ミレニアムパーティーがあり、
浜辺にテントで2日間のパーティー

いやあ沖縄にあんなにいっぱい旅人が居るなんて知らなかったな〜。
その後、安宿へ移動。

月光荘とゆわれるゲストハウスには
いろんな旅人が集まっていた。ヒッチハイクで日本を旅する女の子。
7年の世界放浪の旅からもどり、沖縄に定住し始めた男の子。
山で自給自足の生活をする若者。
いろんな日本人アーティスト。今まで出会わなかった類の日本人がいた。
あんな濃い日本人が集まっている場所なんて今だまだ行ったことがない。

多分この出会いも私の長旅へ向かう序章だったと思う。

ドイツのフェスティバルで出会った
レイブめぐりでヨーロッパを回っている日本人たちだって、
ツーリストっぽくて、ぜんぜん旅人独特の雰囲気はなかったし。

ほんと強烈な個性の人は何人だって自然にそれをもっている。無理が無い。

そのゲストハウスには3日間だけだったが、思い出深い場所。
ジャングルのような森の防空壕
不発弾を見つけたり、昔の米軍が使っていたとおもわれる
ビリヤード場にいったり、真冬なのに夏祭りのような夜祭にいったり
沖縄はホント独特の雰囲気があるところ。
一緒にあそんでくれてありがとね。


その後も止まらない止まらない、お正月の沖縄から帰った2日後今度はバリへ

その年、2週間近くの正月休みがあった。フル活用♪ボーナスもフル活用。とほほ。

ここバリが私にとって運命の場所となった。
実はこのバリ旅行は彼氏と一緒に行く予定だったが、あのアメリカ人のメディスンマンの事もあり
別れてしまった。チケットは買ったので一緒には行ったが別行動。

初めての海外一人旅となった。
バリの南端のところにホテルが取ってあったがそんなホテルで5泊も滞在なんてもったいない
いざ出陣。



が、私はガイドブックを持っていなかった。というかガイドブックなんてくそ食らえと思っていた。
初めての海外一人旅なのにね。


友人にウブドゥには行っておけと言われたが
はてどこだろう??とりあえずウブドゥ行きのバスへ乗り込む。
2時間ぐらいたったかウブドゥ到着。私を待っていたのは現地人の呼び込み屋
約30人だった。30人囲まれあまりのうざったさに、またバスに飛び乗る
ここは私の場所じゃない。さらに北上3時間、終点。また10人くらいの現地人
に囲まれる私はまたアタフタした。



私のあまりに慣れないそぶりを見たイギリス人の2人組み。一人女の子が私を呼ぶ、一緒に行こう。
天の声。
彼女たちは2年半の長旅でオーストラリア〜アジアを回っているという。

へえ〜そんな長旅ができるんだ〜こんな若い女の子たちが〜

私にも出来るよな〜。これが、私の長旅へ導く運命の出会い☆

本当にフレンドリーだった彼女たち。私にコテージを一緒にシェアしようと
提案した。3人で割ると1泊500円になる。ええっこんな海のそばの
コテージが1泊500円??目が点。

そこにはバリに長く住んでいるデンマーク人2人も居て、彼らになつく現地人3,4人と
8人ぐらいでとても楽しく過ごさせてもらった。
あまり詳しくは聞かなかったが、彼らはこのバリにもうすでに1年半いるらしい。
二人はとても端正な顔をして、一人はフェミニンな雰囲気細く背が高く。
もう一人はかわいい整った顔をしているが190センチはあるがっしりとした
いかにも北欧人という感じ。彼らは現地の男の子たちと本当に仲が良かった。
子供のように時には遊んでいた。今思うと彼らはカップルだったのか・・・・。

皆で一緒に温泉にも行った。周りを一面のトロピカルな花々に囲まれた谷底の温泉。

夜の海は、これ以上美しい海はあるのだろうかと。
月に反射する、小さい小さい無数のくらげが海の中で星のように光る
水面の中で手を動かすとその光がさらに発光し、あたり一面が光りだす。
正にこの世の楽園という言葉がぴったりだった。

ビーチで今日つった大きな魚を焼いてくれ、朝まで飲み明かした。


1人の現地人の男の子がとても親切で、タダでバイクで観光案内をしてくれた。
実家にも招待してくれた。彼の実家は金持ちの様だった。だってソニーなどの日本製品
大型電化製品が並べられていた。

彼の月給は月2000円だと言った。絶句。2000円????マジで??
彼は観光客相手に海で働いている。

最後の夜は私の為にギターで弾き語り♪私が帰るので泣いていた・・・。


夢のようなバリの日々、日本に帰る。


☆決心☆


私も旅にでる。その為にはまずお金だ。
一年計画で貯金計画がねられた。

今までの場所は家賃が高い。光熱費や電話代も入れると月10万以上払っていた!

月4万6千円の外人ハウスへお引越し。
またそこでもいろいろな出会いが待っていた。