ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

私の昔話

多様な生活スタイル。私が海外にのめりこんだ理由。

そして旅先での恋愛。

私がこう海外を放浪するきっかけを今回書こうかな。



私は小学生の時から、大学に行きキャリアウーマンになることを決めていたので
(ただ漠然とキャリアウーマン。なにをするということは考えない)

中学塾通い、進学校、浪人、大学進学 そして就職と

まあ浪人時代に、すったもんだはあったが、そういうありきたりな

階段を20台中盤までのぼっていた

26歳のとき生まれて初めて海外旅行をした。社員旅行だった。IT産業。景気の波に乗りまくっていた。
太っ腹なバハマ旅行。専務の憧れのカリブ海だった。24時間、飛行機を3機乗り継いでバハマ滞在たった3日
の強行スケジュール。いま考えるとありえない。かれこれ7年前の出来事だか結構鮮明に覚えている。

長くなるし、かなり個人的な話になるので、興味の無い人は飛ばしてくだされ。



私は初めての海外だったのでわくわく自由行動をしたかった。
隙を見つけては一人で行動した、
途中しかられたりしながら・・・。

まず一日目、お土産やをふらついていると髪を細かいドレッド風三つ編みにしないかと
女の人が私の後を付いてくる、バハマの現地の人が住んでいる地区のお土産マーケット
といったらいいのか

1本1ドル。20本ほどお願いした。

とぼとぼとその子の家まで歩きで行く。全くの住宅街。といっても全部掘っ立て小屋のような、裕福ではけしてない
のがすぐわかる。
庭におもむろに椅子を持ってきて
私の髪をすごい勢いで編んでゆく。私は腰まで髪の毛があるのでけっこう時間が
かかる。途中いきなりその家の軒先で若い男の子二人が本気のなぐり合いの喧嘩をし始めた。
こっちの庭までやってくる。
ええ?ちょっとまってよ〜。と、庭にある倉庫の掘っ立て小屋の中に私はつれられて
壁の板と板の薄明かりの中、外ではすごい音がする。その女性は何の気にすることはなく
もくもくとすごい勢いで私の髪を編んでいた。

私は何と無くわくわくしていて、こんな経験なかなかないぞーと中心で思っていた。
その女性がそばに居たので怖くなかった。
自分が居るその場所がわくわくした。なんともいえない
においに包まれ、周りには魚介類の乾燥したらしきものと、家の使わなくなった家財道具。
強烈な外からの光は、ほんの小さな壁の割れ目や接ぎ目から、中へと差し込んでくる。

20本といったのに、なんだかもっと編んでいるみたい。

すとっぷ。すと〜っぷ。冗談じゃない。ふっかけるきだな〜とすぐわかった。

いくらと聞くと50ドル。三つ編みをとめるためのリングのような飾りが1セット1ドル
1本1ドルで30本60ドルだけどおまけして50ドルだと言う。
ディスカウントで50ドルだと!?目が点になった。

そのとき私は英語は全くダメだった。彼女は身振り手振り、紙とペンを取り出して
説明、近所の人たちもよんで私は現地の奥さんたちに取り囲まれてしまった。

私はただfirst、you said 20doller 20doller と片言で繰り返し怒り出した。
にっちもさっちも行かないので
30ドル渡したら、その若い女性とおばちゃんたちはOK、OKと私から離れた。

そのときはこれか〜やられたなと、無知な海外旅行者が洗礼を浴びた。
でも、そのときすこし頭には来たが、なんか面白い経験したな〜という感じだった。


今考えるとほんと何も知らない日本人ツーリスト。怖い怖い。

2日目。昼。皆でイルカと一緒に戯れるビーチこれが最悪。ほんと超猛訓練されたイルカたち
みんなははしゃいでいたけど、全然楽しめなかった。私が思っていたのは自然に暮らすイルカの姿だった。
ここは、高級リゾート地そんなのあるわけない。

その後、船で近くの無人島へ行く。リッキーマティンのあの超有名な曲がず〜とかかっていた。
かなりやばめ〜。と心でつぶやいていた。
ツーリストのために作られた無人島のリゾート。あまり海はきれいではなかった。
かの有名なカリブ海


夜。皆でカジノへ行く。はっきり言ってこれもつまらなかった。人もあまりいなかったし
ゲームセンターのような感じ。

ある白人男性から声をかけられる。君ボアダムスってしってる?
その当時私はバンドをやっていて、そのボアダムスあたりのアーティストは
結構知っていた。

昨日の三つ編みのおかげで私はすっかりヒッピーもどきような姿になっていた。

こんなバハマで日本ノイズ音楽談義になるとは・・・・。はっきり言って私の英語は片言の片言。
相手が言っている英語なんて発音が全く聞きなれない。全然解らなかったけど、紙とペン
絵なんかも描きながら、2,3時間くらいカジノから出て話し込んだ。彼はネイティブインデアンの
医者だといい、白人だけど15歳からネイティブアメリカンの村で暮らし、
シャーマンの修行をしたといった。


その後調べてみると、彼の職業はメディスンマン。


ヒッピー系の中では霊気レイキとか最近はやっているんだけど、そういう気を扱う人ね。






そしてバハマには講義とグループワークをしにきたと言っていた。
初めてまともに外国で話した人がそんな変わった仕事をしているなんかわくわくした。次の日も会う約束。


実は同僚の一人が私とその人がカジノから出て居行くのをみたらしい、そして皆で探したと
ホテルの部屋に戻ると専務からめっきりしかられた。これから一人じゃ行動しないように釘を刺された。
子供あつかいだな。


3日目最終日。昼間は、皆とダイビングに行き、そこでアクシデント。同僚の女性が船の階段から転落
頭を強くデッキへたたきつけられた。私は皆が帰るのを横目に、一人その同僚に連れ添えに
たち、ダイビングセンターの一室で3時間くらいまっていた(なんでそんなに長い時間待っていたのか
今は思い出せない)その同僚を心配しながらも
会う約束をした昨日の彼のことを思った。・・・。

私の旅先恋愛体質はここからすでに始まっていた。そしてツーリスト用に組まれたプログラムなんて
全然楽しめなかった。

3時間後、車がやってきて、彼女は病院へ。そのときもうすでに一人で歩けていたので
大事をとって病院に行った。
私はホテルに戻ると、専務に報告し、合い部屋の人にも帰った事をつげ、病院での彼女の付き添いを頼んだ。
もう私はへとへとに疲れていた。そして合いたい気持ちが・・・・。

まず相部屋の人が部屋を出るまで、私は部屋で待機、彼女が出て行くとすぐさま
例の彼の部屋へ行った。(超大胆)彼は部屋には居なかったが、彼の友人に書置きを残した。

昨日と同じ場所で、・・・時にと。そして又部屋へ戻り、電話が鳴る。皆でまたカジノへ行くらしい
私は今日は疲れたので部屋で少し休み後で食事をすると告げる。

またそこでも一人行動は慎むようにと釘をさされた。
とほほ。

カジノ場へ行き、同僚に、これから食事に行きますと報告。トホホ、が実はその時間だけが私に
与えられた自由時間だったので、食事はせず、
さっそく、彼と出会う約束の場所まで行った。

とりあえずはじめはホテルのレストラン街へ向かいそこから、みんなの目を盗むかのように
そのホテルの別棟の専用ビーチまで足ばやに、こそこそと。
今思うとなんでそこまでしないと
いけないのか。と思うが、私のすることは専務の責任になるため
いちいち報告しなきゃいけなかった。自己責任は無いということだ。

私には1時間半くらいが限界の時間だと彼に告げた。ホテル専用ビーチのひとつのデッキチェアで
二人で星を眺めた。その夜はほとんど話をしなかった。

彼はニューヨークに住んでいるといい。もし遊びに来たかったらいつでもおいでといった。

1時間半後また専務に食事から戻ってきたと報告・・・。

そして、その夜日本へ出発。3日間の怒涛のようなバハマ社員旅行は終わった。