ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

旅の始まり3

ベルギーに約3週間ほど滞在した後、バスでとことこ7〜9時間くらいかけて、ベルリンに向かう。

このころはね、テクノが大好きだったから、すごいわくわく。ベルリンには誰も知り合いは居なかったんだけど、

この旅初めてのガイドブックを使って、やっぱりガイドブックって役に立つんだな〜〜とか思いながら、不安の不の字もなかった。いろんな国周るからいちいちガイドブックなんて持ってられない。ベルリンだけは確かかっておいたんだよね。


まずはホステルに1週間ぐらい居たかな。この時のベルリン滞在中は1週間に3回の割合で、クラブに通った。すごいよね今考えると。

っていうかそれしかすることが無かった。とりあえずベルリンのクラブカルチャーにめちゃくちゃ興味があって、観光なんて全く興味なかった。誰も知り合い居ないし。

ホステルも客がたいして居なくて、旅の道連れなんて誰も居なかった。
クラブ通いが功を奏して、あるドイツ人と仲良くなるんだけど、彼がまた良い人で、アパートの部屋が一部屋空いていてそこにタダで住んでいいよって言うの。丁度ルームメイトが引っ越すんだって、それで次の人が入るまで、居てもいいって。ウ〜〜またしても天の声。本当に私の旅の一年目はすごいラッキーな事に宿代にお金をかけずにすんだ。




ドイツ人って人を気軽に泊めさせる。これって、すごいいい事だと思うんだ。他のヨーロッパの国は友達なら絶対泊めさせてくれる。

日本では友達でも親と一緒に住んでいると、泊まらせてくれなくて残念な事もあったなあ。


東京は友達でも泊まれないことがある。


まあ東京が異様なんだよね、場所が無いし、みんな忙しいから、知人が来てもなかなか泊めさせられないってさ。


彼はね、昔よく旅をしていて、いろんな人に助けてもらったから、
自分も同じ事をしたいんだって言っていた。



もちろん、ほんと何も知らない人におんぶに抱っこは悪いから、ご飯も良く作ってあげたし、電話&インターネット代と言って、結構お金を渡した。


ここには結局3週間ぐらい居候させていただくんだけど、この3週間も又多くの出会いが。

30年以上もドイツに住んでいるモロッコ人のおじさん。有名なスクワットのタハレスのバーにいつも居て、いつも絵を描いていた。そのおじさんはドイツから失業保険をもらってタハレスでディーラーをしていたんだよ。一日に最低一回は誰かがこのおじさんに会いに来る。2001年当時はまだ観光客のメッカというわけではなかったタハレスで、かなりの独特の雰囲気を放っていたこのおじさん。私はなぜか仲良くなった。怖くないし、興味もあるし、皆に優しいし、私になにを売ろうという気も全く無く、そして私は行くところが無いし、よくこのタハレスのバーでそのおじさんと、その友達の東欧とドイツ人のハーフのショシャンという男の子とただ、ぼーっとしていたというか、暇をつぶしていたんだな。今考えると何していたんだろう。ただそこに何時間も居ただけなんだよ。


でもね、このタハレスのバーの裏庭はね、今でもだけど、独特の雰囲気があって、ああベルリンだな〜〜って感じで
何時間でも居れたんだよね。その当時は人も居なかったし。

その二人とつるんでいるうちに、今の私のソウルメイトのクルド人のお姉さんと出合う。
小さい映画館で、日本のインディー映画、三池崇史監督のビジターQって言うのをやっていたの。ショシャンはこの監督の大ファンで、一緒に行ったのね。(ヨーロッパに三池崇史のファンってたぶん北野武ファンよりも居るんじゃないかな)それで私は日本人だからね、そのお姉さんに話しかけられたんだ。
かなり強烈な映画だから、日本はどんな処なの?て感じで話しかけられたの。


本当に彼女にあったことは感謝すべきことだった。この後にまたベルリンを訪れる時に、後に大親友になる弟に出会うんだけど。

8月の下旬にベルリン入りして、9月の下旬になるともう寒くて、寒くてね〜〜〜。もう裏庭でボーっとなんて出来ない。3週間も居候させてもらって、やっぱそろそろ出ないとな〜〜って思っていたし。なんかこのドイツ人の子は私の事気に入っていたみたいで、なんかこれ以上長く居ると面倒な事になりそうだな〜〜っと思って、いい人だったし
本当に友達で居たかった。

じゃあちょっと南下して、また残暑を感じようって思ったの。


40220