ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

本当に11111カウンター越して嬉しい☆
前回は偶然にも7777を自分で取って(しょっちゅうチェックするからだが)結構早かったです。

ありがとうございます。でもあまり固定読者っていないんだろうな。よく解りませんハッキリ言って。

ここでもたまに音楽の話になりますが、私は細々と音楽活動をやっております。

始まりは1995年ぐらいから大学生のクラブ活動でバンド。
まあそのときから、ジャンクノイズと呼ばれるロックからサイケデリックトランスと言われるロック
まあバンドの場合ロックが中心なんだけれど、基本的にもう少しアーティスティックな創造的な
音楽が作りたかったのだと思う。まあ、自分が思い描く音楽とテクニックや才能が足り無さにギャップ
がありましたが、自分は音楽家というよりもパフォーマーと言ったほうが良いのではと思っていました。

そのバンドとは私が日本を離れるという形で去りましたが、
その後も音楽との切れ目は無かったような気がします。

切れそうだったつながりを戻してくれたのはある男の子との出会いです。。。。。

彼は後にミュージシャンとしてデビュー、ヨーロッパ中で何度もライブをやり、大きなフェスにも出て
現在成功を収めています。(でもいつも貧乏との戦いというのが、アーティストの常)

まず始めに、彼のお姉さんと映画館で出会います。ビジターQという映画を小さいベルリンの映画館で
出会ったばかりの男の子とのデートで見に行きました。デートでこの映画って。。。。。

そのとき私はベルリンに着て未だ2週間足らず、ひょんなことから居候させてもらって、生活を始め
ぷらぷらすごしていました。(この話もネタになるな)

映画が終わると、その女性は興味心身に日本のことを私に聞いてきました。ビジターQは日本の社会問題を強烈に描いているものがあるので、その場に日本人がいるのですから、聞きたくなるのも不思議では
ありません。彼女はとてもとても美しいエキゾチックな顔をしていました。
南ヨーロッパとアジア人がミックスした顔、彼女はもともとコルディッシュ(トルコに占領されているもともとはべつな地方トルコでは弾圧を受けている)で、小さいころドイツにやってきた移民でした。トルコ系移民はドイツでかなりの数に上るます。200万人だったけな。400万人だったかな正確な数字忘れました。

そこで私たち3人は意気投合し、その後も彼女のアパートでよくすごしていました。一緒にご飯をつくったり
遊びに行ったり、彼女のうちで寝たり。

始めは男の子に興味はあったのですが、3人でよく過ごすうちに興味はその女性の方へ
私は移っていったのです。(変な意味じゃなくて)彼女はかなり現実味がない独特の人でした。

まず、働いていない(国から失業保険ですごしています)。彼女の話す一つ一つがとても独自の世界観を
持っていて(いい意味でも悪い意味でも)話を聞くのがとても面白い面白い。まず、彼女は自分の
感覚や気持ちをとても大切にします。自分が感じたらそれが一番正しい。と。

だから家では踊ったり、歌ったり、話しては涙を流し、一日に一度彼女は一人で部屋にこもり音楽を大音量でかけその中で踊るのです。私は見てはいけません。何か儀式のような感じでした。空想癖のようなナルシストの部分も強く持っていて、部屋には彼女の写真がところ狭しと飾られています。
彼女の気分は家にも反映されます、私は3週間の間に3回彼女の部屋の壁の塗り替えを手伝いました。とほほ。。

彼女の個性は悪くなるととんでもない方向に強烈に向いてしまうので
私は一度彼女と一緒に裁判所へ行ったこともあります。(彼女の裁判ですよ。あしからず)
私は一度ベルリンを出3ヶ月ほど他の国々に旅に行くのですが、その後ベルリンにもどったら彼女は家に住んでも良いと言ってくれました。彼女は250ユーロ足らずで80平米ほどのアパートで一人暮らしをしていました。
(もちろんこの価格はベルリンでも激安でシャワーもキッチンも付いておらず、彼女は自分でいろいろ人の手をかりて作りこんでいました。)

一つ??と思った話が、彼女は国から援助を受けて生活していましたが、私にはある男性から毎月お金をもらっているといっておりました。その男性とは電話で話し、月に1度会うだけで、生活していけるだけのお金をくれる。
その反面、その男性の悪口も言うので、私はその男性との関係をどう思うのかとききましたら、
彼女自身はそのお金は天からもらっていると、彼女自身は話すだけでその人からお金をもらえる才能や美貌があって、その自分の才能を使っているだけで、その男性からお金をもらうのは自分の才能のおかげだと。。???

いやそのときはあいた口がふさがらなかったのですが、いろいろな考え方の人がいるなと思っただけだったのでした。

その後、彼女の強烈な個性にあいた口がふさがらないことが何度も起こりまして、その家は去りました。
が、私の親友は彼女の弟、そこで住んでいるときに出会ったのです。
これは運命でした。(男と女の関係では無い彼はヘテロではないですので)

眠いので続きはまた。。。。