ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

適応障害という病気もあるくらい、新しい環境にアダプトするには時間がかかる。

日本語教師の養成講座を受けているとき、外国人学生の精神的なケアのことについて
すこしだけ勉強した。
ほぼすべての外国生活者がWの字で気持ちの浮き沈みが海外生活で出るらしい。

縦軸は気分、横軸は時間だ。人によってこのWの横軸、時間軸の幅が異なる。

まず、Wのはじめ意気揚々とした気分。ハネムーン期と呼ばれる。外国での生活すべてのことが新しく新鮮ですべてがばら色に見える。そこから落下が始まる。夢に見ていた生活と違う、異なる文化
その国の人々への攻撃的な気持や、ホームシックなど、

それを抜けるとだんだん上昇、その国に慣れている時だ、たとえばここで母国に帰国などをしても
このWの字どうりに気分が進む。なれた外国から母国へ帰ったときの逆カルチャーショック、
またやっていけるかの不安、自分の国の文化や人と上手くいかなかったり、そしてまた上昇という具合に。


私は今外国を始めて出てから6年半が経とうとしているが、今W曲線を超え。いまや3番目のボトムにいると思う。WWの始まりだ。。


はじめはこうだ、
旅行一年目ハネムーン期がんがん移動、今まで接したことの無い人々との出会い、新しい文化との出会い。このころはアジアからヨーロッパ結構な国数を回った。

が、大失恋をきっかけに2年目Wのはじめの下り坂が始まる。ここで一度仕事をするため日本へ帰国するが、留まれなく3週間後また出国。

ここからの下りが長かった長かった。一年あまり旅行する気にもなれず、日本に帰る気もせず、ふらふらしていた時期。しかしこの時期は得るものも多かった。ベビーシッターや農家ボランティア
ここでよく話に出るホステル長期滞在もこの頃。そしてこの行動力が浮上する力となった。

ようやく一年後吹っ切れ、日本へ帰国。
仕事、学校に燃えた。Wのトップだな絶好調だが、約1年半後また・外国が恋しくなる。また日本出国。

そして全くダメだったのはこの絶頂期が日本出国後、ベルリンに焦点を定めた。が、人のせいにはしたくは無いが、意気揚々とやってきた私を待っていたのは、ベルリン長期滞在者の友人の愚痴の嵐。ほぼ毎日のように会い、
彼女にシンクロしてしまった私は
ベルリン生活1年半もの時間をこの人とボトムの時間に費やしてしまったのである!自分のセンシティブさをここで実感。

その友達とも距離を置きはじめ、ドイツ語の勉強もはじめ気分上昇今の彼氏とも出会い意気揚々としていたが、
家族との問題で帰国、日本とベルリンを往復し始めたこの頃ブログを書き始める。
この往復時期はとてもエネルギッシュだった。かなり気分がいいブログにもそれは出ている。


ほんとうに、このW曲線身をもって体感しています。