ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

自主避難の旅、日本国内

ずーと原発ニュースを紹介している間にいつの間にか10万カウンターを越えていました。

新しい読者になった皆様始めまして。よろしくお願いしますね☆


たぶん、原発関係でなんとなくヒットしているだけなのかなとも思うけど、その中の一人でもじっくり読んでもらうと嬉しいです。



今は日本です。自分のパソコンを持って出国しなかったので、ずっとローマ字で無理やりアップしていたのを日本語に直しました。それから東ヨーロッパ旅行も少々手直ししてアップいたしましたので、読んでいただけたら嬉しいナーと思います。

はてさて、この原発のおかげで4月から日本語教師で再びスタートしようとしていた予定がものの見事に崩れました。

でも、この放射能の汚染によって被害を受けている人々のことを考えると、私がうけた被害なんて大したこと無い。

それに日本から出た外国人の気持ちも解かるし、これから外国人が日本に戻ってくるまで時間は掛かると思うけど、それについて私に何か出来ることも無い。







そんなそんなで避難もかね東京の生活に興味の無い私は日本の田舎を見てみたいので今は友人の住む宮崎に来てみました。その話は又書きますね。


ベルリン2,3ヶ月が8ヶ月になってしまいましたね〜。本当は旅をするつもりだったのに、定住していたようでした。

福島原発のせいで帰国も伸び、途中再ビザ発行のために外国人局に行ってみました。
特例で、6ヶ月の滞在ビザをもらいました。

あたしは今までドイツでビザのために大変な思いをしたことがなくて、友人からはラッキーだねと言われます。が、そんな6ヶ月分も使う必要も無く、

いろんな思いが交差したのですが、当時を振り返ると、

1、埼玉に住む家族が、いくらあたしが2週間でも3週間でも良いから
原発は初期行動が大切で、田舎の鹿児島に行って〜〜〜といっても
うんともすんとも動かないので、あたしが行って説得するしかないと
いう思い。

2、日本は日本人しか建て直せない、やっぱり日本人である自分は日本に帰るのが一番良い。

3、大地震が起こって家族がバラバラになったら、
いくら時間がかかっても必ず家に集合する事。という子供の頃からの家族間の約束。



4、こんな大変なときは日本や家族の心配ばかりで、ドイツにいたって心配するだけで、ベルリンに居る意味は無い。



などなどいろんな思いが交錯し、危険だけど帰るべきかもう少し留まるべきか多いに悩みました。



帰国のときめっちゃ止められましたよ〜特にドイツ人に。帰らないほうが絶対良いって。ドイツはチェルノブイリからの放射能汚染が結構大変だったらしく、まだその記憶が新しい。原発事故後羽田まではルフトハンザは飛ばないし、そんなこんなで6ヶ月ポンって簡単にくれたんでしょうね。





福島原発が起こってからドイツで気が気じゃなかったですよ〜〜。特に海外やネットのニュースは内容が濃いですからね。海外に住む日本人はこんな遠くに居ても何とか手助けをといろいろな人が身近なところでイベントを作って募金活動をしていました。
最後の一ヶ月いくつかのイベントのお手伝いをさせていただきました。
ファッションショーだったり、クラブイベント全額寄付みたいなのや
お弁当作りそれも全て寄付とかね。

そして爆発から一ヶ月後、とうとう帰国したのです。


4月11日、日本に帰ってきてテレビを見て、日本の情報統制(言論統制)には本当に驚きましたね〜。


それから何にも終わってないのに復興の話や、『がんばろう』ばっかりで、今原発放射能汚染から逃れるための対策とか現実的な話がテレビでやっていない。

がんぱろうってみんなこんな中、仕事行ってすでにがんばっているじゃん。
福島の被災した人たちにがんばってって、何を今がんばるのか?生きているだけで精一杯なのに。




戦中のプロパガンダ?って思うくらい不自然に写りましたよ。

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