ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

どこまでも異文化問題、そして男女の問題

私は最近、あまり異文化という問題について考えなくなったと言ってきましたが、

異文化というものが絶対にあるという大前提に、もう違うんだから、相手は変えられないんだから
しょうがないよ〜という風になってきたというほうが正しいかも。
そして、個人によっても違いがあるので、細かいので、もう大体わかったからい〜やって。


衝突は突然やってきます。

いままで、上手くいっていたのに、何故? 何でそんなことをするの? 何で理解してくれないの?

????の嵐。


そんなときは、外国人だから違うってそれだけでいいです。それ以上、相手の非を追求しなくて良いです。相手を追い詰めない。自分も追い詰めない。

あ〜日本人じゃあないから同じ環境で育ってないから、違う発想なんだ。それだけ。


それで、もっとその問題のどこが嫌だったのか、自分なりに噛み砕いて相手に話すようにしてください。

もし出来たら、怒りが溜まる前に、口に出してみてください。
(これが日本人には難しい、そしてヨーロッパ人には大切のようです)


そんな、積み重ねが、日本人のあなたを相手に知られるのではなくて、

”あなた自身”の考え方や感情のパターンを相手に知られるようになります。


そうしたら次また喧嘩したときに、相手はもう少しあなたを理解できるかもしれません。



たとえば私たちは最近、馬鹿みたいな喧嘩をしました。

ほんと、お互いに自分は悪くないと思っています。話し合いは平行線ですね。全く引かない。


途中彼が一言、 僕は悪くないと思うが、hallooが、そこまで怒る前に出していた信号を全く気が付かなかった。たぶんそれが自分の悪いところだった。

私はその通り!と思いましたね。よ〜くその点に気が付いてくれたと。 

私も彼が、日本人同士だったら絶対に見逃さない ジェスチャーや表情の信号やニュアンスの含んだ言い方を受け取れない人だってよ〜〜くわかっているので、なるべくはっきり言おうとするのですが、
それでもまだ足りないようでした。




私たちはいつも同じような喧嘩をしますが、ほんの少しづつ、相手が理解できるような
信号の出し方を お互いに学んでいるようです。