ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

旅の始まり

長旅の始まり、はじめはタイ、バンコクのカオサンロード。そこはバックパッカーのメッカではあったけど、
私が行ったその年2001年は日本人がそこまでうじゃうじゃは居なかったと思う。

タイ人も大体働く人ぐらいしかいなかったし、主に欧米人バックパッカーの姿が主でした。


今はどうなっているのかな〜?最近行ったバンコク行った方どうでしたか?

そこはバックパッカーの出会いの場。

タイやカオサンロードの話は他のブログやHPで散々書いてあると思うので、
今回わたしはある一人のタイ人の女の子に焦点を当て書いてゆきます。

私が仲良くなったタイ人の女の子23歳。バンコクを拠点に私は2ヶ月間タイ中を旅していました。
途中カンボジアにも行ったので期間的には3ヶ月くらいか。生涯こんなにバスで移動するなんて無いぐらい、バスで移動しまくりました。北はチェンマイから5時間ほどのパイというところ、南はコサムイ、プーケットまで。個人的にはカンチャナブリが好きでした。は〜疲れた。

そしてバンコクへ帰ってくるたびに行くレストランがあったのです。
そこは一台ビリヤード台があり、地元のハスラーと外国人
(主にイギリス人。彼らは特にビリヤード上手い人が多い!)
が賭けビリヤードをしていたのでした。

私はいつも負けるカモでしたが、そのオープンな雰囲気と怪しい雰囲気が入り混じって
よくビリヤードをしていました。タイ人の男の子は日本人の女にめちゃくちゃやさしいので
ビリヤードを教えてもらったりしていましたね。

そこに2年住むタイ語がわかるイギリス人英語教師が、タイ人の男はいつも日本人の女の子話題で持ちきりだって言っていました。。。。なんかそんな感じにもてても全然嬉しくないな。



そこに一人、めちゃくちゃビリヤードが上手い女の子が居た。

彼女の名前はマリーン 。もちろん本名じゃなくて、ニックネームね。タイ人はほとんどの人が外国人にも分かりやすいニックネームを持っています。

地元のハスラーのおっちゃん連中にも勝ってしまう実力の持ち主。それにとてもかわいい☆

英語がとっても達者な彼女は、(カオサンにいるタイ人さえ実は英語は余り上手くない)あまりおしゃべりじゃないけど、なんとなく顔見知りになり、ゆっくり仲良くなってゆきました。彼女は近くにお土産屋を経営しているという。客が居ない時間を見計らって
ここにビリヤードをやりにくる。そして賭けで少々儲けていたそうです。



彼女は11歳のときにバンコクへやって来て、キッチンで皿洗いをして家に仕送りをしていたと言う。まだそこまで小さい子供は正式な法律では働けないので、よく隠れていたと言っていた。


彼女の実家、とても貧乏なタイではよくある農家にお邪魔したのですが、これがなかなか味わい深い。

その家族、親戚が一同に住む敷地内は、全て高床式住居。屋根は大きな葉っぱで出来ている奴想像できますか??

5つ建物があり、(建物と言っても掘っ立て小屋のようなもの)
本当に壁は全く無い屋根と床だけのオープンリビング。同じくオープン食堂、キッチンはその食堂の周りに何もなくそのまま火を焚いている。トイレ、バスルーム、水は水道が無いので全てかめの中から水を必要な分汲む。

結構この瓶がでかい。私の背と同じくらいの高さと幅、3つほどある。たまに水を配達しに車が来る。この瓶の水は結構長い間たまっているのでアメンボなんかも居る。。。。。この水で体洗うのは結構キツかったな〜。
そして寝室用のさらに高い建物が2件。床の高さは150センチほど。これはきちんと壁と戸が有るが
窓は無い。


食事は女性が作り、マズはじめに男性が食べる。そして男性が食べ終わった後女性たちが食べ始める。
ベルリンのタイ寺院に行った事があるが、完璧な男尊女卑スタイルです。建物の中も男性が上、女性はしたの階に寝泊りする。尼さんでさえ女子、旅行者の男性よりも下の階で寝なければいけない。地下室で寝泊りしていました。。。。。う〜む。

話を戻して、、、


実家に帰るたびに、マリーンは家族はもとより、親戚、近所の子にまでお金をあげなきゃいけない、みんな自分を当てにしすぎてとても辛いと言っていた。


でもねその家族、親戚近所の皆が子供を世話している感じでとてもほほえましかったのです。



彼女は実家の近くに昔買った家を売り、お土産屋を拡大するという。しっかりしてるな〜。もう自分の家まで買っていたんだー。彼女はバンコクは好きだと行っていたが、長く住んでいると結構精神的に荒むと言っていた。

外国人男性はとても優しいけど、皆遊びに来ているだけ。タイ人の女の子は皆、欧米人の彼氏を持つのに憧れ、遊ばれてしまうと言っていた。欧米人の彼氏を持ってお店を開いたタイ女性が居て、そういう
話に尾ひれが付き、皆憧れているという。聞いているだけでなんだか辛い。よくある話なのかもしれないけど、実際見るとなんとも言えない気持ちになりますよ。



彼女も今まで何十人もの男性と関係を持ち、本国へ帰っていく男性のメールを待つ。でもほとんど
返信は無いと言っていた。。。。
そして、なんといままでタイ人の彼氏を作った事は一度も無いと。。。。


マリーンはなぜすでにお店を持っているのに、そんなわかっているのに外国人との遊びに付き合っているのか?

私が思うに彼女は春を売っているわけではない、お金の使い方はとても慎ましやかだったから。
そして、身なりもいつもタイ人にしてはボーイッシュ。そしてたくさんの欧米人に出会うそのビリヤードのレストランで彼女が男に色目を使っているのを私は目撃した事が無い。



そういえば彼女の実家に行くときにバスの中で彼女は小説を読んでいた。
日本で言う月間少女コミックのようなもの、そこには馬に乗ったお金持ちの男が貧乏な女性と結婚するシンデレラストーリーが描かれている。彼女もまだ23歳そんなことを夢見る年頃なんだよねー。
そして、私を含めて、先進国の旅行者がこれでもかとお金をリゾートに使うのを目の前で見る、そんな世界の真っ只中。





でもね、なぜか彼女と一緒に居て、話を聞いていると、彼女自身から悲壮感は、想像するより感じないんだ。
もちろん彼女の本当の辛さを私は知る事はできないのだけど。内面から強さというか、おおらかさというか、楽観的なのが伝わってくる。
あの彼女の家族を思い出す。すごく愛されて育ったんだな〜って。だから強いんだな〜って。



だってね、そのず〜〜〜と後、特にドイツで恵まれた環境にいるのに、家族からの愛がないと精神的に苦しんでいる話を何度も耳にしたよ。




私は出国間近、バンコクにある超ドでかいウイークエンドマーケットで、仕入れをした。
次の行き先地はイギリス
旅費の足しなればと思い、トランク2つ分にありとあらゆる小物類の仕入た。その日実は彼女に助けを頼んだ。値段は交渉次第、タイ人が居たら心強い。もちろん彼女は二つ返事だったが、前の日に遊びすぎて、初めてコ○インを取って寝ていないと言う。余りに辛そうでマリーンはすぐに帰った。



果たして彼女は今どうしているのでしょうか多分現在30歳になっているはず。。。


ついにカウンター20000を突破☆