ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

2001年タイでバックパッカー

タイについて書いたら、一気に300カウンター回りました。

よっぽど今タイは人気なんですね。
本日はまたタイについて書いてみましょうかね。
旅行記は他のHPやブログに任せてなにか違うものを書きましょうかね〜。

ここから読み始める人は、前回の分も読んでみてくださいね。


バンコクでテクノのアンダーグラウンドシーンを見ました。

私がタイに行った2001年はテクノが大流行で、いたるところでテクノがかかっておりました。
もちろん旅行者向けのガンガンの大衆テクノクラブばかりじゃなく、レストランとかバーとかホステルとかいたるところでかかっていましたね。
特にダフトパンク の One More Timeなんてホント毎日、毎日、何回聞いたことか。

タイを思い出すたびに、ついでに思い出すぐらい、食堂でボーっとしていると
テレビに映って居たのはあの松本零士のアニメ。続きはどうなるのかな〜ってほんの少し気にしていました(笑)


Daft Punk - One More Time



アンダーグラウンドシーンがタイにあるなんて思っても見ませんでしたので、ここはやっぱり都会なんだな〜って思いましたね。そしてタイ人はテクノ好きなんだって驚きました。
話題的にはフルムーンパーティーでもちきりだったので、トランス系がクラブの主流なのかな〜と思ったら違っていましたね。

そこはカオサンロードから歩いて5分ぐらいの住宅地のマンションです。
隠れ家のようです。門にはインターホンと鍵が付いていて知っている人の名前を言わないと入れない。
結構ひろいファミリータイプのマンションで150平米くらいあったでしょうかね〜。

中はマンションを簡単に改装しているようでした。聞いたことろによると、しょっちゅう場所を変えるらしいです。人に知られないように。タイは摘発が厳しいらしいのでそのせいもあるでしょうね。

私はそこには2回ほどしか足を運びませんでしたのでなんとも言えませんが、そういうアングラな場所を仕切っているのは地元のゲイの人々のようでしたね、そして、ヨーロッパ系のレズビアンも多く居ました。皆、都会系でクールに決めている感じ。ヒッピーとか旅行者とかそういう感じは居ませんでしたね。


簡単に改装されている程度なので、リビングの一室がフロアー。照明やカーテンで雰囲気をだして
DJブースがあるだけ。 バーは他の部屋。かなり渋めの攻撃的なミニマルテクノが中心で、いや〜思いがけずレベルが高い高い。私がその当時好きだった青山にあるテクノの総本山マニアックラブの土曜日のアフターアワーを
もっと規模を小さくした感じでした。


どうして、そんな場所を見つけたかって??
カオサンで前のブログで書いたタイ人の女の子と遊んでいたら、アイリッシュレズビアンの人と仲良くなって連れて行かれたのです。彼女もバンコクで英語教師で働いていると言っていましたね。


当時の英語教師の実態例 IN THAILAND


その他もう一人、タイで2年英語教師をしていた半バックパッカーと友達になりました。
タイで40000バーツを月に稼ぎ
半分は貯金していると言っていました。
その人はいつも週4日で半日ぐらいでしたかね働きに出るのはそして、
150バーツのホステルの個人部屋に住んでいました。そのほうが面白いからって。

彼は基本的に英語学校で教えて、その後スチュワーデスたちの個人レッスンをしていました。
そのタイ人スチュワーデスから
もらったものといって、その小部屋に電化製品が所狭しとおいてあり、携帯電話なども貢ぎものだと
言っていましたね。生徒の一人が月々払っている。
だから月6万近く貯金!タイでですよ。ホストかお前は!と心のなかで思っていましたね(笑)

まあ英国人でスーツを着ると紳士!って感じに見える人で、レディーファーストが
こういうバックパッカーでは珍しく身にしみている人でしたね〜。その辺も人気の秘訣だったんだな〜〜。
(ある日、カオサンから少し離れ中華料理を食べに行ったところ、帰りがけにスコールになってしまいた。彼は私を食堂で待たせ、スコールの中、タクシーを止め、私が中に入るまで大雨のなか外で待ち、ドアを閉めました。う〜ん紳士が身についている。。。昨今のヨーロッパでも余り見かけない光景ですよ。)



別に英語教師の資格など持っていませんでしたが、語学教師は人気商売なんだなってつくづく思いましたよ。
その後、彼は韓国に渡ったそうです。もっと貯金できるからって。日本は英語教師にとっては
貯金は出来ない場所だからダメだと言っていました。最終的にはインドに住みたいらしいです。

は〜旅人、英語教師ですね。