ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

私が大好きだったDeli

皆様お久しぶりです。私はまた最近旅行に行ってきました今回はバリ島。学期と学期の間で5日間の休み、急遽オーガナイズしてね、かなり忙しかった。

日本語教師と旅を両立して、まあ満足しています。でもやっぱりもう少しゆっくりしたかったな〜〜。

それで、7月の下旬から2週間半ほどベルリンに滞在するんだけどさ、ベルリンか〜〜なにするかなって思っていたら、ふっとね大好きだったクラブの名前をGoogleで検索してみた。

以前ベルリンの伝説的なクラブって書いたよね。その名前はDELI

そうしたら、そのクラブを作った人が最近映画を作ったらしいと言っても2008年ものなんだけど

その名も Berlin Calling ベルリンのクラブシーンで生きるDJの映画。HANNES STOEHR監督

この映画はデリーとは関係ないんだけど、やっぱりこういう人があのクラブを作っていたんだって初めて知った。なんとなく感慨深い。


youtube で見ると、あれ、ドイツの客ってこんな感じにノッってるっけ??って思わせる感じの
映画っぽい客のノリ。



今度ベルリンに行く時まだやっているかな。



私にとって一番熱かったあのDeliの時代、オンタイムに居れて幸せだったんだなって思った。




追記)2018、03、11 回想記

実はこのDeliが 確か2003年かな?閉鎖されて、マリア オストバンホフというライブハウスが、オストバンホフのから移動してきてDeli跡地に作られたの。
(マリア オストバンホフはもっとロックっぽい感じだった。それでThe White Stripes を見に行ったよ。)

その後デリー跡地に作られたマリアってテクノのクラブとしてはかなり有名になったんだけど、Deliのあのだだっ広い倉庫跡地みたいなのを中をいくつも仕切って全然良い感じの空間をめっちゃ壊していたなあ。Deliにはみんなで火を囲って休める暖炉があったんだよ。クラブのなのにキャンプファイヤーみたいな感じでリラックスできた。

最初のアイリッシュの彼とはこの暖炉で出会ったんだよね。今でもよーく覚えている。
(その後マリアも閉鎖の道を辿る)


で、Deliにはトイレがやけに沢山並んでてね。本当に廃墟のインダストリアルなトイレで、みんな中でキメてるみたいな感じだった。
トイレの個室に2人で入ってなかなか出てこない感じ?なので沢山ある理由あって丁度良かったのかもね。
でもその辺はドイツだから結構綺麗に掃除されていた。(笑)パリのトイレの方が汚いって感じで使うの嫌な感じだもんね。まあそいいうトイレも少なくなっているけど、まだたまに出くわす。



それから大きな壁には、プロジェクターで映像が流されていて、大都市の巨大ビル群が爆弾で破壊され潰れていく繋げた映像がよく流されていたな。
その時確か2001年だから、もう17年も経っているのによーく覚えている。攻撃的なミニマルテクノとインダストリアルな廃墟みたいな倉庫とその映像がなんともマッチしていて、どんな美術館みる映像作品よりも迫力があったなあ。


伝説的なクラブにBar25っていうのがあるんだけど、私は怪しさはDeliの方がずっと上だったような気がする。二つとも川沿いにあったクラブだよ。
それでDeliは警察の取り締まりにあって閉鎖されたという有力な噂さ(DJ友達から聞いた)だったんだけど、裏でエクスタ○ー製造していたという。まあ本当かどうかわからないけどね。だからこのBerlin Callingの映画でやたらとドラッグとDJの関係も、まああのDeliの内情だったのねーと私は思うよ。
当時3ユーロでエクスタ○ーがベルリンで売られていて、そんな安くで手に入るなんて怖くて手を出したことなかったよ。
私はもともと酒もあまり飲まないし、水とオレンジジュースで夜中から朝までシラフでめちゃくちゃ踊っていた。あまりそういう人は居なかったね。(笑)



2001年2002年ぐらいにいる日本人も怪しいアーティストが多くて、その時巷で有名だった日本人女性アーティストは
クラブでライブオナ○ーなんかをしていたという、その人ちょこっと顔見たことある程度で、ショーとかは無かったなあ。
そいういうのが有っても不思議じゃ無い街だった。



ちなみにこれが80Sのベルリン
2000年代初頭はこんなロックパンクじゃなくてテクノの街だったね。でも街の雰囲気はまだ残っていたなあ。