ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

ベルリンの現代史

halloo2008-09-23


今回は以前書いた日記。自分で気に入っているので、内容をつけたして

もう一度UP。

現代史なんて大それたタイトルつけたけど、 ベルリンの特有なスタイルを説明するのに、

歴史的なお話が不可欠だ。

ココでは有名なベルリンの壁以外の事を とりあえず簡単に

まず第2次世界大戦終了後、ベルリンは勝戦国のソ連アメリカ、イギリス、フランスに占領される。

まあこれは有名。

終戦後、まだ情勢は不安定だった。

ベルリン市内に大国の兵士が残り、ひしめき緊張状態。また激戦が始まるか??

市民は不安だった。市民はどんどんベルリンの外へと出て行った。

ベルリンの外は全部旧東ドイツ、その中にぽつんと旧西ドイツの陣地がある、旧西ドイツ政府は何がなんでも

その陣地を守りたい。が、市民はどんどん居なくなる

そして旧西政府はある案をだす

ベルリンに住めば、兵役に行かなくてもいいよー。

その当時、ドイツ男性の兵役は絶対。

戦争に反対するヒッピーやパンクスや芸術化がベルリンに 移住。

そして旧東ドイツでも問題が。(まあ旧東はたくさん問題があったけど。。)

第二次世界大戦後、分断したドイツ。理想だった社会主義が自分たちの思うように行かない・・・。

まあ理想を掲げてはいても、敗戦国。ソ連アメリカの大国二つに牛耳られ、2つに別れたようなもの・・・・。

50年代大規模なデモが起こる。ソ連の介入で武力鎮圧。

旧東ドイツでも兵役につかない人は大学には行けなかった。

戦争反対、でも大学で学びたい若者は西ベルリンに移動する。

(壁が作られる以前は東から西に移動が出来、人々はどんどん移住した。なんてったってベルリンの周りはぐるっと東ドイツが取り囲んでいるんだからね。)

こうして当時の西ベルリンはどんどん 東西のとっても濃い若者たちで あふれて行く・・・・。

社会主義の東はもちろんの事、 そうして壁に包まれた、西ベルリンも まったく経済的に遅れてしまった。

まず、壁が作られた後の西ベルリンは、西側からの輸送手段が全く無く、はじめの一年は飛行機で物資を運んでいたんだから。


ビジネスは全く立ち遅れ 個性的な人達が住むベルリン。

それが今のベルリンの基礎。





ベルリンの壁崩壊後、旧東地区では、土地が国から以前の所有者へと変換された。

しかし、戦後のさなかの混乱もうそれを証明できるものが無い土地もある。

所有者が居ない建物、アパート。

そこへ占拠する若者たち。それもそうだ、都会の真ん中にタダで借りれる(?)でっかいいくつも建物があるなんて

使うしかないでしょ。アーティスト、ヒッピー、パンクスたちがたくさん住んでいた。

そしていくつものパーティーがそういう場所で開かれていた。

もう今ではそういった光景はほとんど見られない。2000年前後占拠されたアパートを取締りが厳しく行なわれ

そして、2002年ぐらいにはパーティも警察に取り締まられるようになった。

2001年私が初めてベルリンに来たとき、今のそれとは違う一種独特の世界がまだ残っていたが、それは

最後の残り火であった。



現在のベルリンはというと、まだいくつかの空き地にはいくつものキャンピングカーやが留まり

一種のコミュニティーを形成している場所もある。

どんどんショッピング街やストリートが新たに作られ、資本主義スタイルへの道はどんどん加速するばかり。

しかし一方では、他の大都会に比べ居住費がやすく住むため、アーティストがいまだヨーロッパ各地から集まる。

地の利を生かし、アーティストは物価の安いのベルリンを拠点に、住家はベルリン活動はヨーロッパ全土なんて
いうアーティストもたくさん居る。




かの有名なシュタージ(旧東の秘密警察)の部屋、今はアーティストが共同生活しています。

写真の男性は二人とも185センチ以上なので、いかに天井が高いか良くわかります。

別れた元カレの写真を出すのはなんですが、この秘密警察の写真はこれしかないのでしょうがないね。