ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

気合の入った南米ミュージシャンの友人

halloo2008-10-08

ミュージシャンの友人の話が少々続いたので、もう少しその辺を書いていこうかな。



最近、インドへ最近飛び立ったコロンビア人の友達がいる。
彼もミュージシャン。
彼ともライブハウスで知り合ったんだけど、友達の友達って感じだったかな。

結構才能あると思う。何度かいったライブ、音楽は???と思うこともあったが、ライブを見ていくうちに、彼のすばらしい才能をようやく解かり始めた。


簡単な彼の経歴は、本国、コロンビアの大学で音楽をなどを教えていた講師で、パーカッションの先生もしていたこともあるし、自身もテクノやや実験音楽などを作っていた。

オランダの大学院に行く予定で、ビザも入学手続きも最終段階で、これからビザを取るのにお金を振り込もうと思ったとき、いままで、ず〜〜と思い焦がれ続けていた日本に行くことを決めた。

そのお金を日本の語学学校費や飛行機代につぎ込んだ。
日本に来るのに、飛行機代、当面の生活費、1年間の日本語学校授業料、コロンビア人の彼にとって、大学で教えた4年間のたくわえを全てを使い切ったらしい。


それで何をやっていたかというと、週に数回のスペイン語のレッスンそして、工場で働いて生活を支えていた。彼の収入のメインは工場。

ほんと〜〜に工場で働くのは辛いらしい。


それに、月に4回ほどライブもこなす。はじめの半年は、ぜんぜん誰も知らずに、ず〜〜と語学学校と工場の往復だったんだって、それが少しづつ音楽関係の知り合いが出来て、どんどん招待されることが増え、ライブをすることも多くなってきた。

彼の部屋に遊びに行ったが、六畳2間 4畳半ほどのキッチンのボロアパートに中国人2人と彼の3人で住んでいる。家賃は3万。


本当に、最近日本に来ている外国人は、結構気合が入っている人が多いな〜〜っと思う。昔は日本語話さない英語だけで数年も通す外国人も居たが、今はたいてい日本語が話せる。



彼は日本に滞在するためビザ取得に奔走していたが、やっぱり日本政府は厳しいの南米の人にはね・・・。

やっぱり駄目で、インドへ旅たっていきました。インドでのんびりいろんな事を勉強したいらしい。
日本で辛い生活していたから・・・。





追記)2019年11月30日
この人はインドの旅の後、台湾へ行ってスペイン語の先生になります。
それから南米音楽のバンドを現地で組んで、結構コンサートをやって
自分では民俗音楽要素が入った実験音楽を作って、て結構幸せでね。台湾人とも結婚したんだけど、
なぜか二人でコロンビアに戻ってしまいました。
仕事がなくなっちゃたのかな。でも音楽はいまだに精力的に作っています。



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