ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

エベレスト街道での出会いの旅3


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12月29日 風邪のため休憩。みんなを送り出す。

  16歳で住み込みで働いている女の子に英語の過去形を徹底的に教える。この子は英語を話せるが、過去形を全く使わないので、途中意味が解からなくなる。日本語を教えようと思ったら興味がないらしく、英語にしたらとたんやる気を出した。



  なかなかね、オーナーとの仲が良くないらしく、オーナーの悪口を言う。実際そのオーナーの人格も?という感じだし。それもオーナーに彼女の私物を盗まれているとかそういう、あまりかわいくない内容。彼女の給料は全て両親に行っているらしく、自分では現金を持ってないらしい。ここから出るすべはあるのかといろいろ考えても、この国は仕事が少なく、こうやってゲストハウスで仕事があるだけでも恵まれているらしい。



  が、親元にもなかなか帰れず、ほぼ身売り同然で、一週間に一日も休み無く朝7時〜夜8時まで働かなきゃいけない状況って、日本人の私たちにはあまりに恵まれているんだなと感じる。それも彼女が言うには給料は一日50ネパールルピー(60円)で、一ヶ月1500ルピー (1800円)この数字はインドで、子供が強制労働のような悲惨な就労環境で、一日50インド・ルピー(100円)で働かされているというのをドキュメンタリーで見た。それより安い。まあ彼女の衣食は悪くないようだったが。
自分の部屋は与えられていなく、キッチンで寝ている。

  なにか彼女に私が出来ることは無いのかと思ったときに、語学を教えるのが良いなと思った。ネパール人の生活状況は私が来る前に思ったよりもひどい。このトレッキングルートは世界的に有名なので、他の地域よりも豊かなはずだ。が、それでも仕事は足りない。



  カトマンズへ仕事を求めに人があふれ、それも急激に人口過密になったらしく、カトマンズはこんなところでよく人が住めると思うほどの
車の排気ガスで大気が汚染されている。一日居ただけで、鼻の穴が真っ黒になった。慢性的な渋滞。
商店街の真ん中も大渋滞なんだよ。インドのデリーやムンバイよりひどい。インドは道が広く、みんなブブークラクションを鳴らしながらも、ある一定の速度は出ている。

が、カトマンズは本当に道が狭いので、大渋滞になると、ニッチもサッチもいかなくなり、立ち往生、動かなくなっちゃうんだ。今まで見たどの都市より状況がひどい。空気も一番汚い。

  インドよりはホームレスの数は少ないように感じたが、タメル地区ではストリートチルドレンも目に付いた。節電のために毎日2時間夜に停電される。7時から9時の間。水道もしょっちゅう出なくなる。ついでに言うと、帰りの飛行機もチェックインが全て手動。一人一人紙に書いてある名前と照らし合わせ、手書きの搭乗券だった。メチャクチャ時間がかかり、出発まで4時間遅れ。。。トホホ。
こんな経験は初めてだった。



  そして政治的に安定していなく、あまり治安が良くない。
私が滞在中でも、ある政党のデモで街中の商業活動が軍によってストップされていた。そして、外国人はタクシーも使えないので、ツーリスト用の巡回バスで空港まで行った。完全武装した軍人で街中があふれていた。それも私が山に行っている間にも同じようなデモが3日間あったらしい。本当に国自体不安定なんだな。




  あるネパール人の若者が、ネパール女性には興味なく、カトマンズで外国人女性の結婚相手を見つけたいと話していた。外国に行くチャンスがあるなら、年齢はいくつ離れていてもいい。そんなディープな話を私にサラッと話してくれた。



日本も昔は、人身売買や口減らし、さまざまな子供の人権を犯すような今では考えられない事がおきていた。

去年の秋、鹿児島へ帰ったとき、おじさんから戦前、戦中、戦後の様子を聞いた。
そして、
朝鮮戦争がきっかけになって日本経済が上向いた事も話してくれた。(日本は米国から依頼され、武器や戦中のいろいろな物資を製造したために朝鮮特需が起きる。ほとんどが終戦処理費用に米国に支払われ、るが。。。)そして、それが起爆剤になり、戦後復興を遂げた。その後も日本人は自分の国で何とか資源が無くてもがんばったんだと思う。そんな今まで懸命に日本で働いてくれた、いままでがんばった日本人全員に感謝したいと思った。それで犠牲になり、日本経済の土台になった韓国にも、哀悼の念を思う。それで私たちはこうやって強い外貨で旅行は出来るし、日本は仕事もあるんだからね。


やっぱり先進国は、他の国を犠牲にして成り立っていることをちゃんと認識しなきゃいけない。
そして今まで戦後、猛烈に働いてくれた日本人たちにも感謝しなくちゃいけないって思った。








30日 この地域で一番高いところにある飛行場、ヘリがくるシャンボチェの丘に行く、行き帰り4時間のトレッキング。下はバカ高いボッタクリ日本人用ゲストハウス。200ドル(1万9千円!)
私のナムチェのゲストハウスは200ルピー(240円)と同じレベル・ただトイレ・シャワーが部屋の中にあるだけ。それも水道は寒さで凍って水が出ない。意味無いじゃん。
ここで休憩がてらお茶を飲んだら、日本語を操る怪しいガイドに遭遇、貴重な時間を取られる。その先のきれいな岐路に行きはぐれる。それで、再び山を登る決心を強く決める。こんなガイドに連れらて、泊めさせられた日本人グループはかわいそう。ムダに高いお金を払わなきゃいけないんだろうね。


そのゲストハウスの敷地からいちをエベレストが見える。とりあえず再び下山、ナムチェに戻る。



31日 一面雪景色で雪が激しく振っている。上に登るよりも下山できるか不安になる。再び足止め
雪山の装備を購入。今度は本格的トレッキングシューズ購入。5000ルピー。足カバー。300ルピーそれからついでに沸かした水を運ぶ為に1リットルの登山用水筒も600ルピー。これはなかなか使える。水を山道で買うと高いし、ボトルがゴミになる。

計5900ルピー 高!
7000円ぐらいか このあと私のポーターに自分の靴は2500ルピーでで本当にいい雪用の登山靴だお、僕に頼めば
ディスカウントしたのに〜〜って。もう遅いよ〜〜。残念。


2010年1月1日!
近くのナショナルパーク初日の出を見に行く日本人女性*インド人男性のカップルに遭遇
一昨日行ったシャンボチェの丘の向こう側、いけなかったエベレスト・ビューホテルまでの眺めの良い道のり一緒に行ってみる。

この道が素晴らしかった!

快晴の空、とりあえず日帰りで行ってみようと思ったが、一泊二日に変更。エベレスト・ビューホテルでお正月料理を食べ、宿泊費の安い近くのクムジュン村で一泊。
ここからのエベレストの眺めは素晴らしく、料理もおいしかった。泊まらないでご飯だけ食べて、十分満喫。本当に夕方まで快晴で、なかなかお目にかからないエベレストに写る夕日も眺めた。そして満月
満点の星空の下、クムジュンに住むホテルスタッフに連れられて、村まで行く。

づつく
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