ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

自主避難の旅2

ここ最近、原発の話ばかりだったので、ちょっと小休憩。

ベルリンから帰ってきて、まだ2ヶ月経っていないのにいろんな事が在りました。

我ながら、あたしは旅人なんだな〜と自分を再確認。実は九州中をぐるぐる廻っていたのでした。

好むと好まざるに関わらず〜〜。

この1ヶ月半の間に滞在した場所は12箇所ほど、こんなに移動をしたことはいまだかつて無い!!!

はて、なぜこんなことになったのでしょうか。

3.11のおかげで4月から以前働いていた日本語学校に戻るつもりがパアになった。

首都圏も危ないと聞き、家族を鹿児島へ少しの間でも良いから移動するよう説得を試みる。

まったく駄目。


宮崎に住み、関東の放射能を心配するドイツ人の友人が1ヶ月ぐらいだったら居候していいよ〜〜と誘ってくれたので、ヨッシャ行ってみるか〜〜と。
勉強道具などを持ち1ヶ月のんびり過ごすべく出発。

友人宅に着くなり、当日その人の彼女が実は猛反対していたことを知る。
が〜〜ん
面倒な事は全くしたくないのでさっさと出る。とりあえず1泊はさせてもらう。滞在1

⇒紹介してもらった人の家へ移動。滞在2

⇒2の友達の友人家に遊びに行く。滞在3




⇒そこで出会った人の家へみんな流れて遊びに行く。滞在4

⇒3の友人が、家に滞在しても良いよと誘いの声。滞在5

⇒2の家に戻る

⇒2が5友人宅に行くというので便乗。滞在6

⇒2の友人が県外から来るというので一緒に宮崎観光へ出発。滞在7

⇒2宅へ戻り滞在

⇒大分で虹の岬祭りという大きいフェスがあるというので向かうテント4泊滞在8
脱原発への取り組みの話し合いなども参加し実りある日々

⇒福岡で脱原発のデモ+日本語学校も多いので行ってみる。滞在9、
次の世界同時100万人アクションの為ドイツのデモの方法などデモ企画者に説明する。

⇒鹿児島県霧島でフェスがあると聞き移動。山で夜は冬並みに寒いテント4泊10


⇒ついでなので鹿児島の両親の親戚にあいさつ周り+お墓めぐり。滞在11


⇒福岡の脱原発デモの御手伝いのために再び9
⇒激安宿で出合った韓国人の女の子が是非家に居候してくれというので御言葉に甘えて。滞在12



この1ヶ月半のうちで宿にお金を掛けたのは7と9のみ。10年前ヨーロッパを放浪しているときも、流れに流れてよく居候状態になっていたけど再びこのような事になるとは。。。


現在、福岡でとりあえずハローワークに登録して求職活動中!!ほんとうに
ここに移住したいのか見て周る。

こんなことに埼玉の実家を出たときは夢にも思いませんでした。 

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